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服従 ミシェル・ウエルベック

今日から5月が始まり明日からゴールデンウイークということなのでしょうか。しかし今年はこの黄金週間にふさわしい浮かれた気持ちになっている人はかなりの少数派ではないかと思います。私もこの状況がいつまで続くのだろうかと憂鬱になることもありますが、そうしたムードに押しつぶされることなく自分なりに面白いことを見つけて時間を過ごすことができている要因の一つはやはり「読書」だと思います。私は本のおかげでほとんどテレビを見る必要がありません。ネットのほうはそこそこ見ますが、ネットでの様々な情報を眺めていると、テレビや新聞のオールドメディアが危機感に火をつけ、ネット上でそれが増幅し燃え広がるという構図が何となく見えてきます。いつもは対立することもある新旧メディアが各々の存在感を示すために共犯関係を結ぶ協定のもとに危機感をあおっているような気がしてなりません。

ウイルスという見えない存在に日々おびえながら暮らしていくのは本当にストレスフルで、精神を削られていくものです。こんな時には何かにすがりたいと安易に救いを求めたり、自分と異なった考えを持つ人に対して攻撃的になったりしてしまいがちです。それこそがウイルスがあぶりだした人間の弱さともいえるのかもしれません。そして、メディアは発信している本人たちは意図していないかもしれませんが、その危機感につけこんでくるのです。

こんな時こそ本の持っている力を信じたい。膨大な情報が押し寄せるネット空間やマスメディアはいわば情報の三密状態です。物理的三密がウイルスを蔓延させるなら、情報の三密は恐怖心や猜疑心を蔓延させます。
(それすらダメだという人もいるそうですが)公園を散歩して日光をいっぱいに浴びたり、魚釣りをして潮風にあたったりするようにしてReading at Homeでゆったりと文字情報を浴びて過ごすことが今こそ求められているのではないでしょうか。

さて、Reading at Home vol.5でご紹介する本はミシェル・ウエルベックの「服従」です。描かれているのは2022年のフランス、再来年です。フランスにおいて大統領選挙のタイミングでテロが発生し、それによる不安が引き金となって大統領選挙は思いがけぬ接戦となり、右翼国民戦線のマリーヌ・ルペンと穏健なイスラーム教徒イスラーム同胞党のベン・アッベスが決選投票に勝ち残ります。社会の分断が極右政党への支持を集める反面、フランスにはファシズムにたいする強いアレルギーもある。ファシズムかイスラムかのいずれかを選ばなければならない状況になるという設定が、西洋の没落の象徴としてリアルに描かれています。

結果として、社会民主主義勢力を巻き込んだイスラーム同胞党のベン・アッベスが勝利することになるのです。私たち現代の日本人はそもそも宗教というものの存在を重視することがあまりなくなっています。したがって外国のことや異民族のことについて想像するのはもともと難しいことに加えて、宗教に無頓着なために一層人種や宗教など世界の多様性について鈍感です。そんな私たちからするとイスラム教徒がフランスの大統領になる話は荒唐無稽に受け止められるかもしれませんが、むしろフランスをはじめとしたヨーロッパではこの物語はさぞ重く受け止められたのではないかと想像します。

ミシェル・ウエルベックはイスラム教そのものはむしろ一部分を除けば寛容な面を有しており、消極的選択とはいえフランスという国が受け入れ不可能な政治を行う存在とは見なしていません。したがって決してイスラム教そのものを恐怖したり敵視したりはしていないと思います。むしろ自由や平等、資本主義や民主主義といった理念や政治システムを相対化することができなくなってしまっている西欧の脆さのほうを危険視しているのではないでしょうか。

主人公の「ぼく」(フランソワ)という大学教授がテロや大統領選の結果として周囲の状況が変化し、少しずつ何かを失いだんだんと追い詰められていく様子を通じて、現代の西欧社会が抱える弱さが物語を通じて描かれています。
舞台はフランスの近未来ですが、これは私たち日本人にとって決して遠くの出来事として済ますことは出来ないことだと思います。なぜならば、私たちもまたこの新型コロナを目の前にして、複雑な社会構造と同調圧力の中で不確実性に対して効果的に対処できない意思決定システムしか持ち合わせず、自分たち自身も相互不信の中で身動きが取れなくなってしまっているではありませんか。もしもここで救世主的な何かが表れたなら、私たちもまたその存在に対して安易に「服従」してしまうのではないかと思うのです。

「現代社会は常に危険な綱渡りをしている。」「時代の変化のスピードが速い現代は不確実性が高まっている。」などなど今ここにある状況を不安視する言説はいくらでもあるし、それらのほとんどは幾分かの真実を含んではいます。しかし私たちがそれでも心を取り乱すことなく生きていくことができるのは、鈍感力ともいうべき精神作用がいい塩梅にはたらいているからではないでしょうか。しかし「服従」を読む者はその不安と向き合わざるを得なくなります。

新型コロナによる危機を乗り越えるために私たちはウイルスを克服することができるのか、それとも共存していかざるを得ないのかはわかりません。しかしながらいずれにせよ、この危機からの救いの手そのものが自分たちにとって簡単には受け入れがたいものだったとしても、それを受け入れて、つまりそれに「服従」して社会や暮らしを維持していかざるを得ない局面が来るのではないかという想像無くして読むことができないこの本を、今読む意義は大きいのではないかと思います。

私がこの本を読むことにしたのは「21世紀の暫定名著」という本において、おそらく一番多くの知識人がこの本を名著に挙げていたからです。21世紀の暫定名著は今回の新型コロナの前に発売されている本ですが、この本の発売時点以上に新型コロナの影響が深刻化した現在において「服従」を読む意義は高まっています。まさに名著というか予言書的な存在となりうる一冊ではないかと思います。

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。
次回はもっとポップな一冊をお届けします。
お楽しみに~

ちなみに21世紀の暫定名著はこちらです。
たくさん面白い本が紹介されていますよ!



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