人×薬=楽、安心というのは、今までは状況が好転しない一過性のものであった。
嫌な人、怖い人。彼らを気にしないでいいように薬を飲み、一時的な楽さや安心感を得る。決して事態は解決せず、薬が切れたら終了。また地獄が再開される。

ここ十数年、同じことを繰り返している自分に気づいた。嫌気が差して、最近は狂ったように映画を見ている。
物語の内容を楽しむのはもちろん、キャラクターの心情を分析してみたり、自己を投影してみたり、映画から感じたメッセージを咀嚼してみたり、人とその作品について語らったりしている。
すると、新しい視点、考え方を持てたり、結果、何かを反省できたり、良い行動をしようと思ったりする。

自分はこれを、シネマセラピーと勝手に呼んで喜んでいたが、この言葉や定義みたいなものが実際にあった。

(シネマセラピーとは、)映画を観て語り合い、自分の深層心理に気付くことで、“癒し”を感じ“自己成長”を目指すという心理療法

概ね同意で、こうしたものが得られるという理解で映画を見ている。
ただ、始めてすぐに問題が生じた。
レコメンド系で度々起こる問題だが、自身に拡張性がないと行き止まりになるということだ。

あなたこれ見ましたね?であればこれも好きですよね?というレコメンド機能は、一見気が利いているようでその実、拡張性の低さが窺える。
例えば、一つSFを見ると別のSFをすすめられ、試聴後また別のSFをすすめられるといった具合だ。
これを続けると、SF以外の何かを見るきっかけがない限り、おすすめ一覧はSF映画で埋め尽くされ、次第にSFに対しての興味も薄れ、最終的に映画そのものから距離を置くようになる。

しかし、これを打開するのは億劫である。何しろ映画の鑑賞は時間がかかる。
一時間半、ものによっては二時間、二時間半。二本見たら四時間、それ以上の時間をかける必要がある。ハズレを見ている時間的余裕は、ない。
さらに、ハズレを見た後のどうしようもない感じもすごく苦手だ。
二本目がハズレだった時のやるせなさと言ったら。

億劫なのは、別のジャンルを見ようにもきっかけがないことだ。
当てずっぽうで作品を選ぶと、ハズレを引く可能性も高くなる。
行き止まりである。

人×薬=楽、安心というのは、今では状況を好転させるための一つの手段となっている。

人は、良い人と積極的に関わろうとしている。
薬で、嫌なことや、プロジェクトのプレッシャーに耐えながら、耐えているうちにこれ解消し、解決に導く。

人から逃げて、薬で楽さや安心を手に入れる状況をゴールとするのではなく、ゴールしてからが本番という感じである。
人と薬、どちらからも良い影響を受けられるので、相乗効果を感じている。

行き止まりにぶち当たっている自分に、強力な人間がいた。
映画好きで、これ面白いよ、とジャンルを問わずなんでもすすめてくれる。

明るい気持ちになる。穏やかになる。
その状態で映画を鑑賞する。思うところを咀嚼して、自分に還す。
また明るい気持ちになって、次の日を迎えられる。

なんのしがらみも、鬱屈もない。
受けて、見て、書き出して、話す。
インプットとアウトプットのバランスがものすごく良い。

もう少し

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