また明日

正直、実感が湧かない
友達が死んだ

魂に優劣はない
でも友達に優劣はある
中学が同じだっただけとか、一回だけ遊んだことがあるとか

彼はそういうんじゃない
小学校の頃に仲良くなって、今までずっと続いてた
20年来だ

私の交友関係など微々たるものだ
その上で、小学校からの20年に渡る期間、継続的に連絡を取っていた仲など彼ともう一人くらいのものだ
つまり、極めて貴重な一人だ
その一人が死んだ
この世からいなくなった

その実感が、正直、まだ湧かない

いつだ
明日、彼の家に挨拶をしに行く
玄関を開ける、おかあさんの顔を見た時か
お邪魔しますと家に入り、彼の家の匂いを感じた時か
骨壷を見た時か
その近くにある、遺影を見た時か

今思うのは、なぜ彼なんだろう、と

他にもいっぱいいるじゃん
もっとこう、全然俺の人生に関係ない奴がさ
そいつでいいじゃん。すまんけど

二人しかいない、親友?
なんとなく、ダラダラ続いてた
続けられてきた、長い間

つい3ヶ月前も、もう3ヶ月か
とにかくつい最近だって箱根に旅行しに行った
はじめて3人で行った旅行だった
20年友達やってきて、俺ら旅行したことないね、って
思いつきですぐ行った

もちろん楽しかった
次はどこ行こうか
なるべくお金がかからないところ
ご飯が美味しいところ
あーじゃ場所じゃなくて食べ物で決めるか、なんて話をしていた

そいつがもういない

そんなことあるかなぁ
あったんだけど

ものより、思い出
いい言葉だなと思って、それはCMで見たコピーなんだけど
んで心に残るからって、昔から写真は撮らない派

元々私は、写真が嫌いだった
写りが悪いし、で「魂が取られる」なんて、おばあちゃんの知恵袋みたいなものを理由にして撮られるのを拒んでいた

でもそれは良くないなと思った

思い出の共有
写真を撮らなくても、思い出は俺の心に残る
でもそれを、他の人間に見せる機会があるかもしれない。見せたいと思う時が来るかもしれない

そう思ってから、笑顔の練習をした
自分が写らずとも、友達や景色を写真に残すことにした

間に合ってよかった
そうしてきたのはここ数年の話だ
だから彼と行った旅行の写真も、数枚だけどちゃんとある
これを明日、おかあさんに見せたいと思う

特別、何かをしていたわけではない
私たちはいたって普通で、音楽を聴いたり、ゲームをしたり、おすすめの漫画を教え合ったり
お酒を飲める年になったら、これに加えて大学の話、就職先の話、職場の話
頻度は多くなかったけど、だからか話題は尽きなかった

つい最近だって、飲みに行こうって、LINEで3人でやり取りしていた


お前、なんで死んだんだろうね
また明日、聞きに行かせてね


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