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心のケアの出番です

ここしばらく、停滞していました

この note も3週間ぶりぐらいです。新型コロナウイルスのニュースの話が増え、職場環境も大きく変わり(実質開店休業で給料も⤵)。テンションが落ちて行くことが、自分自身でも感じることが出来ました。と同時に

グリーフケアの話「なんか」している場合じゃないよな…

そんな想いにも包まれていました

それが先日、あるニュースに触れたことで、自分の中のスイッチが切り替わった気がしました

こちらの記事、イギリスのお医者さまが「人生会議」をしておいて欲しい。新型コロナウイルスに罹ったら、そしてそれが重症化したら、亡くなっても家族とも会えないし。そんなことを悠長にやっている余裕が無くなるから!!と警告を鳴らす内容でした

だからそういう事態に備えて話せるうちに死についてどうするか話をしておいて欲しい

と書かれていました

実はこれに似たお話が少しづつ、日本でも、わたしの耳に入ってきています。先日も知り合いのお坊さまが facebook へ同様のお話をアップをされていました。日本の場合は上記だけでなく、さらに火葬をした後の骨上げにも家族が同席できない。対面出来るのは骨壺の状態になってから。だからこそこうした事態になることを避けるためにも、一人一人がきちんと、感染予防を徹底しましょうというお話でした

こうしたお話に触れてようやく、この状況下でも、あぁ、自分にも出来ることがあるのかもしれない。グリーフケアに関する知識や経験を総動員して、出来ることを考え、やってみないといけないのでではないか?と思えるようになりました

もちろん、なにが具体的に出来るのか。模索している状態です。実際にやり始めても、需要があるのかも分かりません。ただ

コロナウイルスで身近な人を亡くした方のお話を聞かせていただきます。それは葬儀の前後でも構いません。また場合によっては隔離や入院が決まった直後からでも大丈夫です

という看板を掲げるだけでも、いまは意味があるんじゃないのかな…と思っています

もちろんその対象は、上記の方だけに限らなくてもよいはずです。いまはわたし達自身、そして社会全体が少なからず「喪失」を抱えています

仕事や学校が急にお休みになった
普段していることが突然出来なくなった
仕事が無くなった
家族との関係がギクシャクしたり
社会や友人知人との接点が急になくなって孤独を感じている

そうした「身近な喪失」に対してどう向きあえばいいのか。どうやって受け止めていけばよいのか。こうした日常の中で起きている喪失へのケアは、グリーフケアが本来得意とするもののはずです

いま日本全国でグリーフケアに関わってきた多くの方々が似たような機能不全を感じているのではないかと思います。グリーフケアの活動の多くは対面形式を取っており、近い距離感で、お互いがお互いのストーリーを語り聴き合う形を取ることが多いです。それが出来ず、会場も使えず、普段顔を見せてくれていた人たちがいまどうなっているのか。新たにグリーフを抱えた人たちが相談や行先を失くしているのではないかと、ケアの活動をしてきた方々は気が気ではないと思います

そうした場を持てない、活かせないわたし達の側も同じように「喪失」を抱えているのです

そんな社会の状況の中でも何が出来るのか。もし出来そうなこと、やれそうなことがあれば一つでもやってみるしかなさそうです。先が見えない状況だからこそ、グリーフケアにも、出番があるのではないかとやっと思えてるようになりました

わたしも出来ることをやってみようと思います。。

<コロナウイルスで大切な方を亡くされた方へ>
電話やオンラインにてお話をお聴きします
ただ話をしたい、困りごとや気持ちを聴いてほしい、という内容でも構いません。内容に応じて、葬儀関係の方やお坊さまなど、死別・離別やグリーフケアに理解のある方々へお繋ぎもいたします
ご希望の方は、grief.otasuke@gmail.com
までご連絡下さい




デス・カフェ@東京主催。ヒトやペットの区別をしない、死別・喪失のサポート、グリーフケアのお話をしています