『dele』を改めて観てみたら、グリーフの物語りでもありました
一昨年放送された深夜ドラマの 『dele』。Amazon Prime での見放題が今日までだったので、慌てて全話を一気に観ました
もともとこのドラマ、本放送時は第4話だけ観ていて。そのストーリーがとても印象に残っていたのですね
それで改めて観返してみて思ったのは、ホントこのドラマは、全編がグリーフの物語りでもあるんだなぁ…ということでした
え、なにグリーフの物語りって?
どういうコト?!
ってなりますよね。書いているわたし自身、そうツッコミたくなります。そう言われてしまうと、確かに、なんと言ったらいいか・・・になります
まだ上手く言葉に出来ないんですが、やはりこの物語、全編がグリーフで成り立っていると思うのですね
例えば冒頭に挙げた第4話。細かいストーリー解説は省きますが、データ消去(delete)の依頼者である特殊能力を持った青年は、その能力故に少年時代に親に見放されるという喪失(なおわたしは死別だけでなく「喪失」全般をグリーフと呼んでいます)を抱えており。この青年と過去に関わった家族も、その家族内でそれぞれに喪失を抱えている。この二重、三重の喪失が物語の鍵になっています
また第3話も別の形で delete の依頼者である女性が家族との喪失を抱えており。その依頼者の友人や仲間も依頼者その人を喪失している。そうした関係の中でストーリーが進行していきます
一方、その依頼者から様々なデータの消去、delete を請け負う二人の主人公もそれぞれに喪失を抱えていることが、ストーリーが進む中で徐々に明らかになっていきます。特に最終回では、主人公のひとりである圭司(ドラマ内ではほぼ「ケイ」と呼ばれています)とそのお姉さん「舞」も家族内でグリーフを抱えていたことが。またもう一人の主人公である祐太郎がグリーフを抱えることになったある出来事が物語りの柱となっていました
こうしたモロモロのことを踏まえると、こ『dele』というドラマはやはり、グリーフの物語りなんだなぁ…と思えてくるわけです。ただ考えてみればこのドラマ、そもそも物語の重要なポイントが「データの消去(delete)」なのですよね。つまり自分の身に「死」などの出来事があったら依頼しておいた自分のデータを消去してもらう
その中には人には絶対に知られたくない、見せたくないものもあれば、実は本当は観てもらいたいものもある
みなさんもやはり自分がこの世からいなくなる時に何かしら、残しておきたくない。自分の他には誰にも、特に大切な人には触れて欲しくないデータや情報があると思います
それを依頼人の希望を受けて削除する
簡単なように見えてこの delete という仕事、そのひとの人生やそのひとのアイデンティとも言うべきデータを本人に変わって削除するという。実はすごく重くて、シンドイことなのですね…
これ自体がわたしには、上手く言えないのですが、依頼を受けていくこと自体が「喪失」を自分の中に抱え込んでいく作業のように見えてします
ま、ドラマにここまで感情を移入する必要は無いのですが、『dele』 というドラマはそう観ていくととってもとってもグリーフの物語りだよね…
ということを書きたくて、この note を書いてみまし。実は結構観ていくとシンドかったデス
今回は、以上になります
追記 全話観終わりました。あの終わり方からすると、続編は無さそうデスね。。
デス・カフェ@東京主催。ヒトやペットの区別をしない、死別・喪失のサポート、グリーフケアのお話をしています