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なぜ、世界がこんなふうになるまで、あなたは目覚めなかったのか。

目覚めた人、真実に気がついてしまった人、自分が奴隷であるとわかってしまった人は、今まで目覚めなかったあなたと、なにが違っていたのでしょうか。
あなたは気づかなかったのに、世の中には目が覚めていた、あなたよりも先に気づいてしまった人たちがいます。

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カウンセリングに行って、先生と雑談をしているとき、
「こんな人もいるんですよ。アダルトチルドレン、っていうんですけど」
「あんなことになっちゃう人もいますよ、共依存、って言いますけど」
先生はこんなふうにいうんですね。
さりげなく、私の無意識に何かを訴えてくる。
はじめは全く分からないのです。
分かれない。
聞こえない。
心が、潜在意識がそれを受けつけない。
「へえ、そんな人がいるんですか大変ですね〜。私なんてまだまだ楽な方ですね」
なんて笑って応じている。
HSPのときもそうでした。

(*ハイリーセンシティブパーソン:生まれつき感受性が極めて強い、繊細な人のこと。HSPは、動きや表情から他者の感情を敏感に察知したり、物音など周囲の環境、細かいことに気がつくため、生活において精神的なストレスを抱えやすい。)

HSPという人がいて、それがどんな大変な思いをして生きているのか、なんて噂はそれまでもカウンセリングで聞いていました。

しかしあるとき先生が、
「HSPの人には、自分の前に蛇口を3つぐらいおいて、自分の心がむき出しにならないようにコントロールしている、なんて人もいますよ。
普通の人がかすり傷程度に感じることも、HSPの人にとっては致死のダメージですからね」
とおっしゃった。
その、蛇口、という言葉にドクリと心が反応する。

中学生の頃でした。
どうして自分はみんなと同じように、器用に、そつなく社会を渡って行かれないのだろう、
どうして自分だけがこんなにダメなんだろう。
もう二度とみんなと同じ、より良いものを目指して当たり前に成長していく、
どこかに向かってみんな一斉に歩いていく、
その同じラインに立てない気がして、吐きそうになっていた。
だけど、その時ふと自分のお腹の周りに、まるでアフリカのコンゴを演奏する奏者のように、いくつも蛇口が付いているのが見えたのです。

その瞬間、ああ、全ての人には生まれた時からお腹にいくつも蛇口がついていて、そのことをもうとっくに知っていて、
それら全てをどう調節すればうまくやれるか、わかっていたんだ。
もう小学生ぐらいのうちにみんなはとっくに調整が終わっていたのに、私だけがバカだから、幼稚だから、自分勝手で性格が悪いから、鈍感だから、そのことに気づかないで蛇口をダダ漏れにして歩いていたんだ、恥ずかしい、と思ったことを思い出したのです。

それからは、何か失敗するたびに、ああ、まだ蛇口の調整が完璧じゃなかった、と水量を調整し直してきた。
何か失敗するたび、ひどい目にあうたび、絶望するたび、ああ、自分の蛇口が悪いからなんだって自分を責めて、だけど悲しくて悔しくて泣きたくなる、の中を無限ループしてきた。

そのイメージと、先生の言ったHSPの人が蛇口を使っているという話がピタリと重なり、ハンマーで後頭部を殴られたような衝撃を受け固まるのです。
「…先生、私、たぶん蛇口、7コぐらいありますけど」
「それは多いですね」
「…先生、私、もしかしてHSPですか?」
やっと気づいたか、というように、先生はニヤッと笑って、黙ってウンウン、とうなずきます。


カウンセラーの先生は、決してクライアントに、
あなたは共依存ですよ、アダルトチルドレンですよ、HSPですよ、とは言わない。
「私、アダルトチルドレンなんですよー」という人には「そうですかー」って返すと思いますが、とにかく自分で気がついて抉られて、ハッとする必要があるのです。
つまり、腑に落とす。
深く、わかる。

誰かに知識や解説を入れられても、この五臓六腑に染み渡るような理解は、ひん剥かれるような痛みは、決してやってこない。
ああ、HSPなのか。
だから、だから、自分はあんなに、苦しかったのか。
自分でたどり着くからこそ、同時に深い、癒しが得られるのです。

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陰謀論、真実に気がつくということは、知らなかった新しい知識を得ること、断じてそれで終わりではありません。
自分で調べなくてはいけない。
細い不確かな道を、「嘘つき」「キモい」「まだやってるの?」「ネトウヨ」「息してる?」「パヨク」と罵られながら、それでも真実の持つ強力な力に惹かれて、自分で手繰っていくのです。
止められない。
それはこの、腑に落とす、という作業がどうしても必要だからなのです。
たとえその後、別の角度の情報が出てきて、それまで信じていたことが嘘だった、騙されていたと気がついたとしても、
自分の足で辿ってきた道ならば、それが必要な行程だったとわかるはずです。

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今、まもなく「それ」がくる、と多くの人がいいます。
私もそう思います。
必ず「それ」は来る。
もう、噴火直前のマグマが、私たちの足元でぐわんぐわんと音を立てている。
それはもう、根拠を見せろ、ソースを見せろ、テレビで報道されてないぞ、なんていう人たちには解説しようのない領域で、確かに来ているのです。
だけど、地震が来る前に小さな小動物がその異変を察知して逃げ出しても、私たち人間は淡々と日常生活を営んでいるように、多くの人はそれに気づかない。


真実がむき出しになれば、嘘つき陰謀論者も、嘘つきスピリチュアルも、嘘つき政治評論家も、エセ国際評論家もみんな、暴かれます。
ゴロツキ政治家やハイエナ金融関係者や金萬ドクターが捕まるだけでは終わらない。

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Aという国があり、Bという国があったとしましょう。
私たちは今まで、自分の属するそのA、あるいはBが大変な目にあった、不当な目に遭わされた、お金を奪われた、と言っては怒らされてきた。
でも、彼らは、AにもBにも属していないのです。
私たちが怒り、命をかけて相手を殺しに行く姿に、高みの見物を決め込んでいる。
そうして自分たちに矛先が向かないように、自分たちの存在に気付かぬように、巧妙にいかにも大衆が怒り出しそうなエネルギーを投下して誘導する。
歴史や事実を歪曲する。
武器を手にたくさんの命を奪ってしまった私たちが、方向を見失い、傷ついて立ち上がれなくなるのを待っている。
そうして身も心もボロボロになった私たちから、笑いながら財産をくすねていく。
それが彼らの手口です。

彼らから逃れる方法は、武器を取って彼らをぶっ殺すことではありません。
それは、共依存から脱する方法と、怖いくらい共通しています。
「怒りからの解放」

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私たちは具体的に、なにに支配されているのか。
世界でしょうか。
国でしょうか。
社会でしょうか。
学校でしょうか。
会社でしょうか。

国や行政がそれをやれ、と言ったから、あなたは今いる場所から抜けられないのでしょうか?
先生が言ったから?
上司が言ったから?

みんながやっていることをやらないと、たとえばみんながやっていることを、みんなと同じようにやらなければ、
白い目で見られる、変な人だと思われる、わがままで勝手なやつだと思われる、というような同調圧力に負けたのでしょうか。
規則を守るのが正しいことだ、という先生の、上司の、圧力に負けたのでしょうか。
ルールの範疇にいなければ、会社を辞めさせられ、給料がもらえなくなるという、恐れに負けたのでしょうか。


別の仕事を探せばいい。
別の学校に行けばいい。
同調圧力に負けないで、自分の信じる道を行けばいい。

選択肢はあるはず。
でも、動けないですよね。
それは、なぜですか?

だって。。。。

心の中でいろんな言い訳が渦巻きます。

だって。。。。

結局それはどこに帰着するかといえば、答えはシンプル。
親です。
私たちは、自分で自分を縛っている。
奴隷であることを選んでいる。
どうしても、どうしても、親に愛されたかったからです。
世界に生まれた時、私たちはたくさんの愛をもらえると思って、たくさんの幸せがあると思って、わーい!って叫んでこの世に飛び出した。
でも、それは得られなかった。奴隷になるために修練を受けただけだった。
それをしたのは、親。
じゃあなぜ親は、愛しているはずの愛しい我が子であるあなたに、奴隷になれと言ったのか。
親も、そうだったからです。それしか、愛し方を知らなかったからです。
それが愛だと教わって生きてきた。
親の親も、そのまた親も、その親もまた、子に、奴隷になれと言ったのです。
どこから曲がってしまったのか。どこから歪んでしまったのか。
それを手繰っていくのが、陰謀論です。


陰謀論は陰謀論では終わらない。
必ず、一人一人に返ってくる。
陰謀論を辿れば、必ずあなたの足元全てが瓦解するのを見ることになる。
そのことを本能的にわかっているからこそ、人は目覚めに抵抗するのです。

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だからたとえこんなに明確な写真を見ても、
陰謀論でしょ、都市伝説だよ、ってあなたは鼻で笑って思考を止めるのです。



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あの日、どうしても耐えられなくなって、もう内臓が破裂しそうな苦しみで、家を飛び出しました。
あなたならそんな時、どこに行きますか?
どこまで、行けますか?

だって今月のお金が。
だって明日の仕事が。学校が。
だって親が。
だって子供が。

あなたの足首めがけて、いっせいにあらゆる足枷が投げつけられ、嵌めれ、あなたは足をとられる。
それらを振り払って、あなたはどこまで逃げられますか?

私があの日たどり着いたのは、家から徒歩10分のところにあるカフェでした。
中学生の時は、歯を食いしばって自室に閉じこもることしかできなかった。
だけどこうして大人になって、あれからこんなに時間がたって、やっとたどり着けたのは近所のカフェかよ、って。
泣きたくなります。
でも小洒落た照明の、ノートパソコン抱えた人が無言で集まるタリーズじゃ、泣けないけど。
いや、ほんとはちょくちょく泣いてしまう。
そんなとき、なにも言わず、私をほっておいてくれる、この前どうしたんですか?とか言わないでくれる、優しいタリーズ。


でも今、振り返ったとき、まさに私は自分でこの道を選んだんだなと思うことができます。
苦しかったことがあって、やっとそこから抜け出す一本の道を見つけた。
その道が、世の中で陰謀論と言われているものと、ぴったり一致していることがわかった。
私はこの順番で覚醒に向かいたかったのだ、と今ならわかります。

ネガティブがあるからこそ、私たちはそこから逃れようとしてもがいて、最後のマヨネーズを絞り出すような力をもらってポジティブに向かって走っていけるのです。
どんな道だっていいのです。
嘘つき医者として行きてきて、そこから目が覚めたっていい。
嘘つき陰謀論者から目が覚めたっていい。
なにも知らなくて、どかーんと目の前のものが崩れ去って、それから目を覚ます為に動き出すのだって全て、
自分が自分の道をどんな彩りにしたかったのか、どんな味わい方をしたかったのか、どんなドラマにしたかったのか、選んでいるだけです。


あなたは人生に、どんな彩りを求めていますか?


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