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クリエーターの人となりと作品の質について思うこと

宝塚ファンです。
昨年暮れ、いわゆる『文春砲』が界隈をざわつかせました。
名前も出ているので伏せませんが、演出家の原田諒がスタッフに対してセクハラ発言を繰り返したという報道でした。その上生徒(タカラジェンヌ)に対してのパワハラも明かになり、雇用元の宝塚歌劇団でもハラスメントの事実を認めて、本人は退職したというアナウンスが為されてとりあえずは幕引きとなりました。

宝塚ファンの間では、「とんでもない」「許せない」「見損なった」「生徒がかわいそう」という論調がほぼ100%で、原田氏をかばうコメントは見たことがありません。

誤解を怖れずに言えば、私はクリエーターの人となりと作品の質はリンクしないと思ってまして。作者が一般的に見てクズのような人間でも、後世に残るような佳作は生まれることもあるわけで。高潔な人間の作ったものが必ずしも傑作でないこともまた、
一面真実だと思っています。特にクリエーターやアーティストのほとんどが男性だった時代には、「女遊びは芸の肥やし」とか都合のいい言われかたで、浮き名を流すのが一流の証のように称えられたことすらありました。それぞれのファンもいましょうから名を挙げるのは避けますが、一人二人思い当たるかたもいるでしょ?

さて件の原田氏ですが、40代にのったところ。私生活は知りませんが、劇作家としては中堅、宝塚歌劇団雇用の作家でしたが近年では宝塚歌劇にとどまらず外部の作品でも活躍し、順風満帆なクリエーター人生だったと推察します。作品的にはゼロから作るより、原作ありの作品の演出に長けている印象で、良かったと感じた作品が私も複数あります。
昨年暮れには浅田次郎原作の『蒼穹の昴』という大作を舞台にのせ、感動的で壮大な代表作となるような秀作であったのに、いやだからこそ、その裏側で卑劣なハラスメントがあったことが信じられない思いです。その行為自体は許されることではない、原田氏がハラスメントに厳しい現代の風潮に鈍感だったことを残念に思います。

こうした行為に至った原因がもし本人の性根の部分だったとすれば、性犯罪的な要素は容易に改まるものではなく、残念ながら再犯率が高いこともある程度は証明されているところです。
「先生、先生」と呼ばれ続けて、誰も逆らえない状況に次第に思い上がって(どんなことでも自分の意のままにならないことはない)と思いこんでいたのだとすれば、原田氏を監督する立場にある管理者はその勘違いをただすことはできなかったのか?
仕事のストレスに耐えかねて八つ当たりや腹いせでそうした行為に及んだとしたら、管理者側にもそれを防げなかった責任はあると思います。
たぶん理由は一つではなく、様々な要因が絡み合ったあげく、一番弱いところに被害が及んだのかと。
被害にあわれたかたには本当に気の毒に思いますし、一日も早く傷が癒えることを祈っております。また生徒の皆さんにとばっちりがなかったことを祈るばかりです。

と同時に、原田氏がせっかくの才能をこれで葬られることなく、もちろん相応の反省と罰を受けた上で復活のチャンスが与えられるようであればと願います。
クリエーターと作品を切り離して考えることはできませんが、人格と作品の質は必ずしも一致はしない。罪は罪として裁きを受けるべきですし、擁護するつもりはありませんが、原田氏の創りあげた作品の価値がなくなるわけではないということは、隅っこに記しておきたいと思います。


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