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コロナウイルス連作短編その216「どこか、より安心できる場所」

とうとうですよ
湖東優
とうとう
妻の湖東釈
妹の騎子
彼女のパートナー富士見野わかば
彼らに
今日の新年パーティーのメインディッシュを披露
「これが酸湯肥牛だ!」
酸湯肥牛は
四川料理における定番の汁物
高菜や大根
生姜の塩漬けと野山椒の混ざり合ってできる
酸い辛さが特徴
そこには大量の牛肉も
優はスタミナをつけたい時
職場近くの中華料理店で
これをよく貪る
だけども今回
池袋の中華食材店で
買ってきた材料で
自分で
これを作ったというわけ
どんぶりに
たっぷり盛られた
酸湯肥牛を前に
3人が喰らう前から
舌鼓を打っているの見ると
優も鼻が高くなる
「さあ、食べようや」
そう言うと優自身が
浮足立った小学生さながら
真っ先に酸湯肥牛を食べ始める
まず高菜や大根などと一緒に
牛肉を口にかっこむ
事前に硬水で灰汁を取っておいたんで
牛肉はかなりやわい
それを噛みしめると
細胞が縮むような酸っぱさが
口全体に広がって
思わず唸る
そして時間差で
野山椒の
舌先に電流を流されるような辛さが
優を襲い,気持ちよく悶絶
そして牛肉の奥には
えのきとさらに
土豆粉と呼ばれるじゃがいも春雨
それを臆面もなしに
じゅるるじゅるると
啜りに啜ると
これが凄まじく重い
歯に対して頑として
抵抗するかのごとく
麺の弾力が極まっていて
それでもなお顎に力を入れるなら
ブチッ!
勢いよく千切れていく
このドチドチした
感触が堪らない

4人
紹興酒など交えながら
喋る
次はシンガポールの会社と商談
鈍った英語を鍛える必要性がある
と優が話す
出産の時期が迫ってきたけど
1作短めの短編を書かないかって依頼
とは釈が話す
このポスター
私がデザインさせていただきました
わかばが携帯を見せながらの自慢
やんなっちゃうわ
騎子だけはトーンが違う
絶対あの先輩
機ぃ見計らって
ウチのこと“彼”って言ってんの
分かるんだよ
無知を装った狡猾って感じ
そっから止めどなく色々と
愚痴りまくっていた
トランス女バカ一代
山あり谷なし
山あり山あり
マジにきっついわあ
そう冗談言ってから
酔いの勢いもあって
泣いちゃう

でも
騎子を
わかばが抱きしめて
そっから優が抱きしめて
それから釈が抱きしめるんだ
「あっ」
釈がそんな突拍子もない声
「お腹の中の赤ちゃんも
 騎子ちんのこと
 抱きしめてるよ〜」
そんな言葉に皆が笑う
そんで
騎子がさらに泣きまくる
泣いて
泣いて泣いて
泣いて泣いて泣いて
そんでもって泣き止んで
「英気養うぞ、おい!」
それから
喰って
喰って喰って
喰って喰って喰って
そんなもんだから
皆もお腹がさらに空いてきて
あの酸湯肥牛
喰らっていく
デュルデュル
デュルデュル
デュルデュルデュルケムデュルデュル……

妹たちが帰ったあと
優は
口に酸っぱさの余韻を感じながら
天井を見つめる
いい1日だった
そう思う
いい1日だった
楽しかった
喜ばしかった
天井を見つめている
その視界の左端辺りに,妙な色をした
シミが突然映った.数え切れない乗客にケツで潰され
くすんでしまった地下鉄の席のように青いのだ.
何故そんな色をした滲みが,自分たちの部屋の天井に存在するのか?
何故か分からない.目を背けても,視界の端に青い滲みが喰いついてくる.
不愉快だ.
細胞がチリチリと灼け始め,そして痛みを帯び始める.心の奥底から,濁ったドス昏い何かが込みあげてくる.ダメだ,ダメだと優はそれを抑えこもうとする.だが込みあげる理由の分からないものを,どう抑えこんでいいかなど分からない.
 優は傍らに置いてあったスマホを起動し,画面に映るニュースをとにかく無差別的に網膜へと投げこんでいく.
 その最中,妙なニュースを眼球が捉える.Yahooニュースに載っていたそれはラテンアメリカの一国であるコロンビアで,あるアニメーターが引き起こした騒動についてのものだ.彼女は,自分が宮崎駿作品で作画監督を務めたとコロンビアのメディアで主張したのだ.人々は彼女を称賛し,講演会や教室を定期的に開くほどの名声を得ていく.しかし「君はどう生きるのか」がコロンビアでとうとう公開された際,クレジットに彼女の名前が書いていないことで彼女の言葉が完全な嘘だということが発覚する.もちろんネット上で相当量の批判が成されるも,その頃には既にSNSを軒並み消去して,彼女は逃亡してしまっていた.
 優がこれを読んで思い出したのは,一回もルーマニアに行ったことがないのにルーマニア語で小説を書いてそれでデビューした日本人がいるという胡散臭いニュースだ.それどころか海外に一度も行ったことがないらしい。そんなことが有り得るのか? 体中の細胞が痛む.あの滲みの青に染まるのを感じる.ムカついた.

 “コイツ、何かルーマニアでデビューしたとかいう日本人っぽいな。自分も語学やってるから分かるが、そんなんムリに決まってる。語学を舐めてる。詐欺師だよ、コイツと同じく。ふざけるなよ”

 光の速度でそう書き,その勢いのままYahooコメントにそれをブチ込んだ.
 すると急に,あのムカつきがすっと消えた.かなりスッキリして,溜息をついた.
 天井を見るとあの青いシミも消えているので,安心する.
 安心すると緊張の糸がほどけて,自然と笑えた.なのでその勢いのままに,しばらく笑い続けた.いい気分だった.
 と,携帯が震える.騎子からのLINEだった.
 ”兄さんあざっす”
 そんな言葉が画面に浮かぶ.
 “料理喰って泣いてスッキリしたわ〜”
 “ホントありがと”
 “何か思ったけど”
 “兄さんの家ってクィア界隈でよく言われてる「セーファースペース」ってやつだね”
 “安心してありのままでいられるっていうかさ”
 “わかばのことも歓迎してくれるし”
 “だから本当兄さんには感謝してるありがと”
それを見て
何かマジで情けなくなってしまった
ファック
ファックファック……と言いまくるんだった
クソクソクソ
とは言えなかった
日本語っていう
母語でこの感情を表現するのが
怖かった


何とか
冷静になって
優はこのヤフコメを
消そうとする
んだけども
なあ恥ずかしいとは思わねえのかよ
指が止まる
消すくらいなら最初からさ,書くんじゃあねえよ,お前
心の奥底から,そんな声が込みあげてくる
お前さ,マジで女々しい野郎だな……おっとこれを言っちゃうとTwitter……じゃねえやXで炎上確定ってか? ま,どっちでもいいわ,僕はね,妹なんかの言葉にほだされるってアンタが悲しいよ,そもそもの話としてだな,ヤフコメってのはネットの肥溜めなんだ,ここにはむしろクソがあった方がいいんだよ,あったほうがいいんだ,そのおかげでいい土ができんだからさ,いい作物もそこでこそ育つわけでね,だろ? それともあれか,ヤフコメをさ,アンタがクソコメを一つ消すことでヤフコメを妹も安心して過ごせる“せーふぁーすぺーす”ってやつにすんのか? そうか,そうかそうか,そりゃ素晴らしいな,アナーキズムも斯くやの理想主義だな,おい,まあせいぜい頑張ってくれ,どうせその前に,この家を肥溜めにするのがオチだろうがな,お前の場合は.
いつもそうだ.

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。