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コロナウイルス連作短編その100「海は赤い業火」

 宮下カナリは今年の戦隊ヒーローであるゼンカイジャーが好きだ。今年はコロナのせいなのか、戦隊メンバー5人のうち4人が人間でなくロボットだ、それが良い。彼らがブッ飛んだ身振り手振りでワチャワチャと騒ぎ、敵と馬鹿みたいにふざけあい、しかし最後には合体して巨大ロボットとなりカッコよく決める。そんな溌溂した、だがいつもと微妙に違う迫力に毎週ワクワクしていた。
 この日の朝は彼女の父たちである神坂沖と宮下志紀と一緒に最新話を観る。沖は朝が弱いのでいつもは番組を観られないが、今日はたまたま眠気に打ち勝ってソファーに座っている。志紀は筋金入りの特撮好きで、カナリが戦隊ヒーローやウルトラマン、ガールズ×戦士シリーズを観る際には、一緒にテレビの前に齧りつく。"ガキみたい"と思いながら、父のその大人げなさが堪らなく好きだった。
 テレビの中でヒーローたちが敵と馬鹿みたいな寸劇を始める。リーダーのゼンカイザーと桃色のロボット・マジーヌが結婚式を開く。これを祝福するため、敵は式場へ向かうのだが、青いロボット・ブルーンが道端でスリを働き、彼はそれを止めて説教を行った。これを逆恨みした青いロボットが弩デカい斧で敵をブチのめす。何故だか敵がいいヤツで、ヒーローの青いロボットが悪いチンピラになっている逆転ぶりが面白くて、カナリは爆笑したし、後ろで沖も笑っていた。ふと横を見ると、しかし志紀だけが苦虫を潰したような顔をしている。眼の下が痙攣していた。何故だか分からず、微かに怖くなり、テレビの方へ向き直す。ロボットたちが巨大化して敵をボコボコにする、いつもながら最高だった。
 観終わってから志紀がトイレへ行く。
「僕が先に行きたかったのに」
 沖がそう言うが、彼は無視してリビングを出ていく。出てきたところを驚かせようと、秘かに自分も向かい、扉の前で息を潜める。父の顔が驚愕に引き裂かれる光景を思い浮かべると、頬が思わず罪深く蕩けてしまう。しかし潜めた息の空白を埋めるように、コロコロした動物のフンのような独り言が聞こえてくる。
「あれはジェットマン馬鹿にしすぎだろ、凱は最後まで自分の正義を貫いて死んでったんじゃねえか……それを踏み躙るみたいなやつだろ、あんなの。ゴーカイジャーはもっと敬意を以てジェットマンに接してた、でもあれじゃただの悪ふざけだろ、マジでフザけんなよ……」
 その陰湿な声色に、カナリは初めて触れたような気がした。怖かった。身体が全然動かなくなり、自分で驚いてしまう。足の裏がタコの吸盤になって床と永遠のキスを遂げているようだった。そして沖が出てくる。声と同じく陰鬱な表情、しかし彼女の姿を認めるとパッと一瞬で明るくなる。
「おおい、俺のこと驚かそうとしたのかあ?」
 そこにはいつもの笑顔がある。レンジで温めたミルクのようだった。

 志紀と一緒に近くの公園へ行く。近くで彼が見守ってくれると感じると、思わず手足を派手に広げてはしゃぎ回ってしまう。ガガガと滑り台の階段を登るとその頂上で彼女はゼンカイザーの変身ポーズをする。空気を銃に見立てて側面のギアを回し、拳を握りながら闘いの構えを見せる。そして1回転、頂上は狭いので主人公のように華麗には回れなくとも、堂々と回ってみせる。そして天に向かって銃を撃つのだ。
「デカい女がゼンカイジャーやってる!」
 声の方を向くと、赤褐色の髪をした、自分より更に幼い少年がいるのに気づく。
「まだゼンカイジャー観てんのかよ!」
 彼は爆笑する。鼓膜が震えて、脳みそがみるみる縮んでいくのを感じた。すると志紀が滑り台の階段を上ってきて、追加戦士であるツーカイザーの変身ポーズをした。頂上にはもう空間がないので、階段の上で身体を動かしていた。とても危なかった、とてもカッコいいと思った。
 家に帰る途中、志紀とカナリは戦隊ヒーローの話をした。
「お父さんの一番好きな戦隊ヒーローって何? 前に聞いたっけ?」
「別に何回でも聞いていいよ。でも、うーん……『侍戦隊シンケンジャー』かなあ。侍っていうデザインをすごい上手く活かした格好だったり武器だったり、物語も本当に凄かったな、ラスト近くはもう驚きの連続だった。でも一番の理由は、ぶっちゃけレッド役の松坂桃李が結構、カッコいいなあって」
 志紀は恥ずかしげに笑う。
「黒髪の重みが似合う寡黙さ真面目さなんだけど、気持ちが緩んだ時に見せる爽やかな笑顔がよくてさあ。シンケンジャーの後に何かのドラマで彼を見た時、沖も一緒にいたんだけど、カッコよくて昔好きだったなあとか言っちゃったら、すねちゃってさ、アイツ」
 父が嬉しそうなので、カナリも嬉しい。
「じゃあ一番最初に観た戦隊ヒーローは何?」
「それは、まあ、ジェットマンだな」
 志紀が言った。
「今日のゼンカイジャーに出てきたやつ?」
「うん、そうだ。それだよ、5歳の時に観たんだけど、それで……」
 その後、志紀は何も言わなかった。

 家に着き、何か疲労感にドッと包まれ、寝室で眠ることにする。慣れ親しんだタオルケットに包まれると、全身の感覚が緩んでいき、瞼がするすると重さを増していく。しかし壁の奥から、パッと火花が爆ぜるような音が連なりながら、カナリの耳に届く。それが何かは最初から分かっている、彼らが言い争う響きだ。互いへの不信を隠そうとしながら、噴き出すことを抑えられない瞬間があった。何を言っているか、聞き取りたくない。眠れと自分に念じる。
 眠れ、眠れ、眠れ!
 ふと目覚めると、もう既に夕暮れ時になっている。目を擦りながらリビングに向かうが、そこには誰もいない。代わりにテーブルには志紀のタブレットを置いてある。ロックがかかっていないので、すぐに開くことができる。Youtubeのある動画が液晶に浮かびあがったので、カナリはそれを再生する。海から赤い業火が湧きたっていた。粘りきったマグマのように海面を蠢き、少しずつ広がっていく。彼方から船が消化のため水を噴射しながら、業火は消えることがない。とても綺麗だった。カナリは動画を停止して、ずっとその赤い輝きを見ていた。ふと、自分がぼうっと口を開けていることに気づいた。開け放たれた空洞、その境で淀んだ空気がどこへ向かうか迷い続けている。

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。