見出し画像

「クソ喰らえ、クローン病!」第15話~コルネル・ブルダシュク賛

「クソ喰らえ、クローン病!」前話はこちらから

 ルーマニアの画家と聞いた時、その名前を挙げられる日本人はかなりの少数派だろう。俺としてはルーマニアにおける現代絵画の祖であるNicolae Grigorescu ニコラエ・グリゴレスクとか、彼の盟友であり風景画を得意としたȘtefan Luchian シュテファン・ルキアンとか、稀代の肖像画家として高名なCorneliu Baba コルネリュ・ババとか色々挙げたい。だけど俺にとって本当に重要で、心を掴まれて離されることのない人物はCornel Brudașcu コルネル・ブルダシュクって画家だった。俺は彼の絵画の、その壮絶なまでの両義性に深く惹かれるんだ。

 Cornel Brudașcuは1937年生まれで、ルーマニア随一の文化都市であるクルジュ・ナポカのヨン・アンドレスク美術協会で絵画を学んだ。彼が画家として活動を始めた60-70年代という時期は共産主義の独裁者として名高いニコラエ・チャウシェスク政権の初期にあたり、しかしこの時の彼はむしろソ連に背を向けて、欧米の文化や政治姿勢を積極的に吸収する態度を見せていた。故にBurdașcuも多くの西欧芸術、例えばポップアートやネオ・アヴァンギャルドに触れて、そのスタイルを自身の絵画に取り入れていく。例えば彼はモノクロ写真の白黒を反転させるソラリゼーションを駆使した、ドギツいまでに極彩色の絵画を作りあげたりしている。Portrait (Ion Munteanu)という若くして自死したBrudașcuの友人を描いた作品はこの時代の代表作だ。
 だがチャウシェスクが中国の文化大革命や北朝鮮の主体思想に影響を受けた後、ルーマニアは鎖国状態になり、表立った海外との文化交流は完全に断たれてしまう。そうしてBrudașcuの作風はポップアート的なものから、表向き体制迎合を装う隠喩的なものへと移行する(彼の作品だけじゃなく、ルーマニアのありとあらゆる芸術家の作品がそうなってた訳だが)そして共産主義崩壊後、彼は俺の心を深く魅了するような不気味な境地へと至ることになるのだが、これが今回のメインテーマだ。83歳の今も精力的に活動を行い、現在ではヨーロッパで最も有名なルーマニア人画家の1人としてルーマニアは勿論、パリやベルリンでも個展を開催するなどしている。

画像1

 俺は60年の歳月の後にBrudașcuが辿りついた絵画の群れが1番好きなんだ。今の彼の作品は人間の肉体、特に男性の肉体に焦点を当てたものが頗る多い。だがその肉体は暴力的なまでにぼやけているのが特徴だ。まるで肉が蕩けていき、闇に溶けこんでいくその過程を描きだしているように思われる。かなり不気味だ、見ている時に淀んだ嫌悪感が魂の内奥から込みあげてくるのを感じるんだよ。それでも俺はこの肉体の深淵から目を背けられないんだ。
 肉体、というか肉体を持っているという感覚に俺は物凄く興味がある。だから濃厚なまでに質量を伴った肉がのたうつ様を捉えている芸術に心が惹かれる。俺は昔から運動神経というやつが最低で、主に体育の授業で何度も何度も苦渋を味わってきた。体育っていうのは俺にとって恥を晒すと同義だ。そんなんだから俺は自身の肉体を一種の牢獄のように感じてきた。精神がここに幽閉され、自由はないって風にさ。Brudașcuの絵画を見ているとさっき書いたように嫌悪感や戦慄を感じる一方で、奇妙な共感も感じるんだ。闇のうねりに溶けこむ肉体が、精神の監獄に見えてくる。俺が日々抱いていた感覚がここに刻みつけられてるって思える。
 そして人間の肉体というこの個的なものは、もっと大いなる黙示録の予感によって常に抱かれているんだ。肉体が暴力的にぼやかされている一方で、背景の重苦しい色彩も狂人の断末魔みたいに荒れ狂っている。この色彩に包まれながらある者は俯き、ある者は力なく横たわり、ある者は悲惨なまでに淋しげな表情を浮かべる。それは黙示録を前にしたそれぞれの絶望のように思える。何も適当に黙示録って言葉を使ってる訳じゃあない。Brudașcuは何故かトランペットを吹く全裸の男性を何度も描いている。ほらトランペットといったら、ヨハネの黙示録だろ。だから彼の作品を形容する時、黙示録って言葉を使いたくなるんだ。まあ聖書とかは一切読む気がないがね、神は理解し難い。

画像2

 この禍々しい世界観に俺は惹かれてきた訳だけども、クローン病を発症してBrudașcuの世界が更に肉薄してきたのを感じる。

"健康であれば、わたしたちは器官の存在を知らない。それをわたしたちに啓示するのは病気であり、その重要性と脆さとを、器官へのわたしたちの依存ともども理解させるのも病気である"

 前にも引用した、ルーマニアの反哲学者E.M.シオランの言葉はBrudașcuの絵画そのものに思えるんだよ。つまり彼の肉体の絵画は病そのものなんだ。そしてその肉体ってやつは全て、クローン病によって現実を突きつけられて腹痛と下痢に苦しむ俺自身なんだよ。

 で、この作風には1つ重要な背景が存在する。共産主義の崩壊後、Brudașcuはゲイであることをカムアウトし、このアイデンティティを模索するかのように男性の肉体を執拗に描き始める。だから美術評論家は彼の作品を形容する時"クィア"ってよく使うね、本人がどう思ってるかは知らないが。共産主義下における同性愛者の状況は過酷で、バレれば秘密警察に逮捕・粛清される可能性もあった。だから絵画を見ている時、この時期にBrudașcuが被ったかもしれない抑圧に思いを馳せざるを得なくなる(とはいえ正直今もルーマニア正教の極めて保守的な価値観のせいで、同性愛者の置かれた状況は良くなっていない)
 だけどなんだよ。俺はこう彼の絵画をずっと見つめていると、濃厚な不穏から突き抜ける瞬間を味わうことがある。あの黙示録のような肉体の蕩けと背景のうねりに、真逆の印象、つまり荒れ狂う渦のような力、生命力すらも感じるようになるんだ、何故かね。これは共産主義の瓦礫を背にして、ゲイとして新たに生き始めたBrudașcuが感じる一種の解放なのかとそうとすら思える時がある。
 正直、この文章を書きながら、その論旨が全然一貫しないで何だか極と極の間をうねりまくってるなって思ってる。だけど今回はそれでいいんじゃないか。だって彼の作品は常に両義的で矛盾したなものだからで、特に共産主義崩壊以後の作品はそれが窮まってるような感じだ。ここに描かれるのは黙示録に包まれた肉体の監獄なんだけど、同時に荒れ狂うような生命力すら滲みだしていて、そこからの解放が謳われているようだ。今の俺は正にこの肉体の監獄、クローン病の監獄に閉じ込められているような気分だった。だけどいつかそこから突き抜ける解放の瞬間も来たるのではないかってさ。

 最後に書きたいのは、俺の夢だ。今、俺はルーマニアでルーマニア語の短編集を出版するために色々やってる。そしてこの奔走が成就した暁には、Brudașcuの作品を表紙にしたいんだった。先にも書いた通り彼はヨーロッパで最も有名なルーマニア人画家だから、権利とか金とかの関係で相当難しいだろう。だけどそもそもの話、日本人がルーマニアで小説家としてデビューすること、これ自体相当なことだろ。俺はこれを成し遂げた、だからいつかはこの夢も叶えられる気がするんだ。

////////////////////////////////

【済藤鉄腸のすぐに使わざるを得ないルーマニア語講座その14】
Bună ziua, domnul. Brudașcu. Mă numesc Tettyo Saito. Probabil, sunt cel mai stăruitor admirator de tabrourile dvs în Japonia. Sunt atras de corpul sinistru și atmosfera apocaliptică pe tabrourile. Visul meu este că, când public o carte așa scriitor în Romania, vă folosesc tabroul pentru coperta de cartea!
ブナ・ジワ、ドムヌル・ブルダシュク。マ・ヌメスク・テッチョウ・サイトウ。プロバビル、スント・チェル・マイ・スタルイトル・アドミラトル・デ・タブロウリレ・ドゥムニャヴォアストラ・ウン・ジャポニア。スント・アトラス・デ・コルプル・シニストル・シ・アトモスフェラ・アポカリプティカ・ペ・タブロウリレ。ヴィスル・メウ・イェステ・カ、クンド・プブリク・オ・カルテ・アシャ・スクリイトル・ウン・ロムニア、ヴァ・フォロセスク・タブロウル・ペントル・コペルタ・デ・カルテア!

(こんにちはブルダシュクさん。私の名前は済藤鉄腸です。多分、日本で最も熱烈なあなたのファンです。あなたの絵画に描かれる禍々しい肉体と黙示録的な雰囲気に魅了されています。私の夢はルーマニアで小説家として本を出版する時に、あなたの絵画を表紙に使うことです!)

☆ワンポイントアドバイス☆
"Bună ziua"は"こんにちは"という意味で、最も基本的なルーマニア語のフレーズだね。"Bună"1語でも言い換え可能で、かつこれは朝昼晩といつでも使えるよ。"Domnul"は男性に対する敬称の"~さん"で、女性の場合は"doamna"を使うかな。"Dvs"は"dumneavoastră"の略で、だから読み方が"ドゥムニャヴォアストラ"とクソ長ったらしいよ。これは"あなた"という尊称としても使えるし、"あなたの~"という所有形容詞としても使える。取り敢えず"ドゥムニャヴォアストラ"って言っとけば、尊敬語使おうとしてくれてるんだなっていうのはルーマニアの人に伝わると思うよ。この文章、実際にBrudașcuに言えたらいいなあ。でも連絡先とか全然分かんねえや。

画像3


私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。