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コロナウイルス連作短編その206「寛容 読み方:かんよう」

 犬束尾高は息子の竜興,そして彼の同性の恋人である青井幹生と出前の寿司を食している.尾高はサーモンをゆっくり口に入れる.竜興はエンガワを音もなく噛みしめる.幹生はマグロの赤身を喰らい,矢継ぎ早にエビも喰らう.
「なあ」
 尾高が2人に向かって言う.
「同性婚が合法化されたら,お前と幹生くんも結婚するよな?」
 そう言ってから,少し焦る.ここは“合法化”ではなく“法制化”と言うべきだったと思えた.“合法化”は同性愛がさも法に悖る行為だったと見なす言葉遣いであり,それより“法制化”と言うべきだ.声の大きい言葉狩り集団がネットでそんなことを言っていたのを,尾高は忘れたくても忘れられない.しょせん文字列なはずだが,その言葉は何故か,幹に穿たれた刀創さながら鼓膜に音声記憶として刻まれている.愉快ではない.
 尾高は2人の様子を静かに観察する.竜興はさきのエンガワをグッと呑みこみ,首の筋が脈打つのが見える.幹生はサーモンを喰らい,矢継ぎ早にイカを喰らう.自分の言葉を特に気にしていないようだった.ゆえに“合法化”を“法制化”と言い直しはしない.
「同性婚できるようになっても,俺たちはそういうのはやらんよ」
 だが竜興がそう言うので,尾高は少し気圧される.
「俺らの関係に,法の保証はいらねえよ」
 箸を持つ右の手のひらから,ジトと汗が湧きあがるのを感じた.
「いや,そういう,そういう精神的なものだけじゃなく,結婚っていうのには実利的なメリットがあるだろ.ほら,例えば養子縁組の条件とか配偶者控除とか,そういうものの恩恵が受けられるようになるとか……」
 いきなり饒舌に言葉を紡いでしまう自分に驚く.内容も明らかに踏みこみすぎだ.だが止められなかった.体が躓きかけて,バランスを取ろうとするも,むしろ前のめりになり凄まじい勢いで前進していく,老いた人間の四肢の惨めさを,今度は舌と喉が模倣しているかのようだった.
「子供はいらない.養子取る気もない,代理母みたいなやつもやる気はない.後者は特に,ウクライナ関連で色々と厭なもん見たし,そういうのはいい.俺らは俺ら2人で完成形だ」
 竜興の横で幹生がプッと吹き出す.米の残骸が唇から吹き飛ぶのを,尾高は確かに目撃した.
「配偶者控除みたいなのも,別にいい.金のことはしっかり考えてる.大分前から幹生は,あれ何だっけ,積立てとか信託とか何とか結構しっかりやってんだよ.正直,俺は前まで“なんそれ? そういうの下らねえ”とか思ってたけど『エゴイスト』……あのゲイカップルの映画のやつな,あれとか観たら,俺もちゃんと金勘定はしっかりしなきゃなとか思った」
「『エゴイスト』観て,印象残んのそこ?」
 幹生がまたケラケラと笑う.いやそこだろ,竜興は彼から顔を背けながらそう言った.頬が少し赤く染まっていた.
「そりゃ公助も必要だよ.でもぶっちゃけ政府とかそういうのは信用に値しねえだろ.だから公助はないものとして,全部を自助でやってくことを前提が現実的だろ.まあ,自助でどこまでやれるか試してみるよ」
「おお,カッコいいね.ジャンプの主人公みたいな熱さじゃん.そういえば『PPPPPP』の最終回読んだ? あれヤバかったよ」
 尾高はサーモンを口に入れるが,醤油の塩辛さが急にキツすぎるように思えた.傍らの烏龍茶を一気飲みする.少し落ち着くべきだと自分でも分かっている.
 瞬きを過剰なまでに行った後,もう一度竜興と幹生の方を見る.竜興はつぶ貝を食べようとしていた.箸をうまく使い,ネタの端にだけほんのりと醤油をつけた後,それをゆっくりと口に運んでいく.焦る素振りは微塵も見せることがない.つぶ貝が口のなかに入ってからも,箸でそれを放りこむでなく,舌にスッと触れるような形で置くのだ.箸を口から引いていく動作すらも優雅なまでに緩慢だ.そして箸を小皿に据えた後に,初めてつぶ貝を噛んで味わい始める.
 尾高の妻であり,竜興の母である空子は息子に箸の使い方を,そして料理をゆっくりと味わうことの重要性を生涯教え続けた.彼女は亡くなれどもその面影は確かに,今つぶ貝を食べる所作にすらも表れている.こういうものに触れるたび,尾高は目頭が熱くなるのを感じるのだ.
 そして尾高は横にいる竜興の恋人の方を見る.幹生はサーモンを喰らおうとしていた.箸でそれを雑に取ってから,醤油でヒタヒタになった小皿へシャリの面をブチ落とす.そこからネタを鷲掴みにしたかと思うと,醤油へとビヂョビヂョに浸す,浸しまくる.幹生にとって寿司は醤油を味わうための媒介でしかない.醤油の塊と化したネタをシャリに載せ直すと,幹生はやっとそれを口に入れようとするが,案の定,醤油に浸りすぎたシャリの形が崩れ,米の粒1つ1つがバラバラになって醤油の湖へとブチ撒けられる.ここで幹生が何をするかと思えば,その1粒1粒を執拗に箸で摘まみながら,口へと入れていくのだ.横では存在を忘れ去られたサーモンが,水死体さながら醤油に浮かんでいる.
 この男は本当にお里が知れるよ.
 そんな言葉が思わず込みあげた.だが焦る.自然と首が動き,両目が周囲を伺っていた.“お里が知れる”は辺境の田舎に住む人々への差別語である,そういった言説を思い出したからだ.
 そして尾高は我に帰り,愕然とする.あれだけネットにおける言葉狩りに反感を覚えながら,内心において自己検閲が自動的に機能してしまっていた.それはほとんど言葉狩りに屈することと同じだ.
「竜興,最近思い出せない曲があるんだよ」
 尾高を尻目に,幹生は間抜けなまでの声色でそう言った.
「昔のアニメの曲なんだけど,サビでずっとロボット! ロボット!とか,あと確かロボットの名前とかを叫んでるんだよ.何とかロボット! 何とかロボット! ロボットの名前!みたいな感じで.最近,頭にそれがずっと流れてるんだけど全然思い出せなくて」
 尾高は竜興の方を見た.彼は優雅に寿司を味わっていた.だが紙でも破り捨てるような早さで,その表情が笑顔に張り裂ける.
「それ『トランスフォーマー』のOPだろ!?」
「えっ『トランスフォーマー』って昔の3Dのアニメのやつ?」
「いや,2Dのやつだ.カーロボット! カーロボット! カーロボット! サイバトロン!ってサビで連呼するやつがあった」
 彼は食卓から立ちあがり,何処かからスマートフォンを持ってくると操作を始める.そこから勇猛な音楽が流れてきた.
「30秒でサビ行くから待ってろ,待ってろよ」
 2人とも妙なまでに高揚しているのが見てとれた.
 
 Go Boy! コンボイ! 炎のオーバードライブ!
 ファイアー! コンボイ! 赤い閃光 ファイアーフラッシュ!
 誰もが輝く いのちひとつ
 カーロボット カーロボット カーロボットサイバトロン

 そんなサビが流れ,2人から歓声が漏れでる.
「うわ,正にこれだ.竜興,よく覚えてたね」
「いや,これ逆に忘れられねえわ.カッコよくて.子供の時めっちゃ観てた!」
 尾高はそんな2人を端から見つめていた.
 彼もまた,この曲を思い出していた.今,彼はそのアニメの題名すら言えた.『トランスフォーマー カーロボット』だ.竜興が子供の頃に,このアニメを家族揃って観ていた.ソファーの中心には竜興,その左には尾高,右には空子.このOPが流れる時には毎回小さな体をブンブンと揺らしながら,歌詞を熱唱していたものだ.そして空子と一緒に,尾高は目を細めながら彼を見守っていた.
 だが今,竜興の横にいるのは彼らではなく幹生だった.
 尾高は2人をテーブルに隔たれた向こう側から眺めているだけだ.
 空子は2019年の4月21日に乳癌でこの世を去っていた.
 今,竜興の隣にいるのは『トランスフォーマー カーロボット』OPである『炎のオーバードライブ』を,口の端から米粒の滓を飛ばしながら歌う青井幹生という男だった.
 ヴヴヴと,腿の辺りで何かが震える.その主は尾高のスマートフォンだった.確認するとLINEスタンプの広告通知だった.
 体の内部から何か小さなものが爆裂するような音がした.
 だが彼は自分が大人であるべきだと,感情を理性によって,完全統制とまではいかないものの,可能な限りうまい具合にコントロールできる大人であるべきだと思っていた.
 この時も例外ではない.
 彼はGoogleで“寛容”という言葉を検索する.
 ここにおいて尾高がよく参照するWeblio辞書記載の実用日本語表現辞典において“寛容”とはこのように定義されている.

寛容
読み方:かんよう

寛容とは、広い心をもち他を受け入れるさま。具体的には、自分とは異なる意見や価値観を安易に拒絶せず許容しようと努めたり、他人の失敗や失礼な振る舞いをことさらに咎めだてせず許そうとする姿勢などが「寛容である」(寛容だ)と形容される。

寛容の意味
寛容の「寛」の字には「(気持ちや心が)広く大きい」という字義がある。「寛容」の他に「寛大」「寛恕」などの語で用いられている。寛容の「容」は「容れる」の意であり、容器や容姿のように多種多様な字義を持つ字であるが、寛容の容の字義は「許す」「咎めだてしない」といった意味合いと捉えられる。「容認」「許容」「容赦」などの「容」の字義もこれに該当する。

寛容の類義語
「寛容」と似た言葉に「寛大」がある。寛容も寛大も「心が広い」という意味を中心とする語であり、どちらの語を用いても適切な場合少なくないが、とりわけ「寛容」は「他を許して受け入れる」というニュアンスを込めて用いられやすい。

https://www.weblio.jp/content/%E5%AF%9B%E5%AE%B9

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