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コロナウイルス連作短編その215「Uatași ua Cristian desu」

 そうして梅時クリスがボールをシュートしようとする瞬間,やはり現れるのは松崎セイドゥだった.視認するや否や,クリスは体を引いてボールを死守しようとする.
 セイドゥの足が蜂の針さながら突っ込んでくるのを見計らい,フェイントをかけた.だが瞬刻,セイドゥの足は獲物を捕食するタコの足さながら暴力的なまでにしなやかに蠢き,気付いた時には既にボールは奪われている.
 そこからセイドゥはチーターさながら,逆方向へとフィールドを駆ける.
 追いかけようとしながら,息が切れて足がもつれてしまう.疲弊のモヤに包まれた彼の目には,そこからセイドゥがゴールにボールをブチ込むまでは本当の意味で一瞬だった.
 逆転だ.それを見計らったかのように,学校のチャイムが鳴る.巨大な拳が耳の小さな穴に捻じこまれ,鼓膜ごと頭が爆散するような気分だった.これが敗北の感覚というわけだ.
「また“植民地”にしてやられたな」
 顔面を覆い尽くす汗を体操服で拭っていると,友人の出結匡にそう声をかけられた.
 “植民地”というのはクリスたちの友人グループが使っている松崎セイドゥの仇名だ.以前の世界史の授業,ここでフランスの植民地化政策が解説された.そこで植民地化されたアフリカの国の1つとしてブルキナファソという名前の国が挙げられる.セイドゥの母親がブルキナファソ人であることを,クリスは何処かで聞いたことがあった.
 これを匡に話した際,セイドゥの仇名が“植民地”に決まったのだ.仇名にしようと提案したのがクリスか匡か,はたまた別の人間か,グループの誰もが既に忘れてしまっている.
 そこに在るのは“自分たちはセイドゥを“植民地”と呼ぼう”という絆だけだ.
 教室での着替えの際,彼のいる方向は見ないが,しかしクリスはセイドゥの話し声には聞き耳を立てている.議題は海外サッカーについてだ.ある時,セイドゥたちはキリアン・エムバペについて話す.周りの人間はカタカナで“エムバペ”と表記できる類の発音で,彼の名前を呼称する.だがセイドゥだけは,その名前を“Mbappé”と発音する.
 これはカタカナでは表記ができない.これは“Mbappé”としか表記できない発音だ.
 ブルキナファソには多数の民族が住んでおり,民族それぞれが独自の言語を持っている.しかしそれでは意思疎通できない故に,公用語としては旧宗主国の言語であるフランス語が使われている.これはクリスがネットで学んだ事柄だ.そしてブルキナファソにルーツを持つセイドゥはこのフランス語を流暢に話すことができる.故に“エムバペ”を“Mbappé”と発音することができる.
 ポール・ポグバにしろ,プレスネル・キンペンベにしろ,セイドゥが発音する際にはPaul PogbaとPresnel Kimpembeになる.そして選手たちがこのようにセイドゥの舌から現れる時,その空間には一種異様な高揚感が生まれる.周りの同級生たちは本場のサッカーの空気に触れることが出来ていると,そう浮き足立つのだ.
 これを確認するに視線を移す必要はない,耳を傾ける必要もない.そちらにクリスの皮膚が晒されているのなら,その表面の細胞が静かに揺れるのだから.
 フランス語を流暢に操ることができるという一点のみでも,松崎セイドゥという青年は皆から一目置かれていた.男性,女性,ここに収まらないクィアな人物に関わらず,少なくない同級生から尊敬の眼差しで見られることは勿論だ.サッカーファンの男子生徒たちにフランス語を教えている光景を目にしたのは一度二度ではない.そしてカナダはケベック出身という英語教師と流暢なフランス語で会話しているのも見たことがある.
 日本においてはフランス語を喋れればもう注目の的だ.クリスはルーマニア語を教えてもらいたいと請われた経験は一度もない.人前で喋った覚えもない,誰にも理解されないからだ.

「お,お帰り」
 そう声をかけてきたのが姉のリナだったことにクリスは驚いた.そして近づいてきて,ハグまでしてくるので正直煩わしくすら思う.
 大学生である彼女は今,母シミナの母国であるルーマニアに留学,首都ブカレストのカラジャーレ国立演劇映画大学で映画製作を学んでいる最中だった.
 新年に里帰りというわけだったが,もう少し遅い時期に帰ってくると思っていたゆえ,この無駄に暑苦しいハグは予想外だった.
 一緒にリビングへ行くとシミナもいたのだが,リナは彼女とルーマニア語で話し始める.
 -Au, リナ, am găsit că va vine o trăducere de Ryu Murakami în română, numită “Tokyo Decadance”. Dar pe ce carte e bazată? 「ユーチューバー」?
 -は? Nu știu al naibii! Hei, a venit acasă prințul tău!
 クリスにはもちろん意味が分かる.
「うわ,リナ,今見かけたんだけど“Tokyo Decadance”って村上龍の本がルーマニア語に訳されるんだって,“Tokyo Decadance”って題のやつ.でも何の翻訳?「ユーチューバー」かな?」
「は?そんなん知らねえし.それよりアンタの王子様が帰ってきたよ!」
 そしてシミナはそのままルーマニア語で「クリス,あなたはどの本が元か知ってる?」と聞いてきた.
「俺も知らんよ.村上龍とか読んだこと一回もないし」
 クリスはそうルーマニア語で返答する.
 だが自分では“Nu știu și eu. Am citit o carte de Ryû Murakami niciodată.”と言っているはずだが,何処か“Nu syutiu shi eu. Amu titito o carute de Ryu Murakami nichodata.”と日本語の訛りが濃厚に思えるのだ.
 この先もルーマニア語で話し続けるが,自分の言葉への違和感は拭えない.
 シミナにとってルーマニア語は母国語だ.断続的に20年以上も日本に住んでいるとは言え,Facebookを通じて本国の友人たちと頻繁に連絡を取り,ルーマニア語を鈍らせない努力を欠かしていない.リナも幼少期の数年間はルーマニアに住んでおり,彼女にとってルーマニア語は日本語に先立つ母語だ.ルーマニアでの留学生活で,その流暢さには磨きがかかっている.
 だがクリスは生まれてからずっと日本に住んでおり,ルーマニアに行くのは数年に一度といった具合だ.ルーマニア語自体は家族が日常的に使用している故に,喋ることも理解することもできる.だがアクセントが日本語がかっているのは勿論だが,何よりも“ルーマニア語のクセ”というものに欠けていた.少なくともクリス自身はそう思っていた.
 これを詳細に説明することはできない.しかしアクセントに加えテンポや話し方,フィラーの入れ方,その複合体としての“ルーマニア語の癖”が,自分のルーマニア語には明らかに欠けていると彼は確信している.
 クリスの理解において,この“癖”は幾ら文法や単語,表現を覚えたとしても,実際にその言語が日常の中で使われている場に住まなければ体得できない類のものである.シミナとリナは実際にルーマニアに住んでいた故,そのルーマニア語には“ルーマニア語の癖”がある。だがルーマニアに住んだことがない自分のルーマニア語にはそれが欠けざるを得ない.
 代わりにそのルーマニア語に代入されているのは“日本語の癖”だ.抑揚に欠けた喋り,文章の最後に感情を込めたがる指向……そしてルーマニア語それ自体が他のロマンス語に比べ,スラブ諸語の影響を受けてボソボソした響きをしているようにクリスには思えたが,自身の“日本語の癖”に満ちたそれは別次元のボソボソぶりを宿しているような気がしてならない.そのせいで頻繁に「は? 今何て言った?」とリナやシミナにそう聞き返されることもある.その問いは決まって日本語だ,ルーマニア語ではなく.
 -Hei, Cristian.
 唐突にシミナが言う.
 -“N-am” citit niciodată.
 彼女は指で“”を作りながら,クリスにそう告げる.
 -Vă rugăm să nu folosiți “niciodată” ca “never”.
 リナがプッと吹き出す.
「嗚呼クリス,どうかお願いですから“ニチョダータ”をあなたが学校で習ってるクソったれ英語の“ネヴァー”みたいには使わないでくださいね」
「ちょっと,翻訳するならちゃんと翻訳するなさい!」
 そう言ってシミナとリナは爆笑した.クリスも一応は笑った.母親の日本語が少し間違っていたことをクリスは言えなかった.

 夜,風呂から上がったクリスが居間に行くと,リナが独りで映画を観ているのを見かけた.
「それ,ルーマニア映画?」
 クリスは思いつきでそう言ってみる.
「ルーマニア映画じゃないけど,ルーマニアの映画」
「……どういうことだよ?」
 リナの隣に座り話を聞いてみると,テレビに映る映画がフランスのホラー映画ではあるが,ルーマニアで撮影された作品というのが分かる.フランス人のカップルが森の一軒家に住んでいる.だが彼らは謎の集団に襲撃され,極限の状況に追いこまれてしまう.この一軒家があるのが,ブカレストの郊外というわけだった.
「何か,ルーマニアで実際にあった事件を基にしてるらしいよ」
 ヘラヘラとそう言うリナだが,その瞬間,TV画面にはドアの覗き穴から棒が突き出て,ヒロインの目に刺さりかけるという場面が流れ,クリスは仰け反らざるを得ない.その後もカップルが嬲り殺しにされる様が延々と描かれ,かなりの陰惨さに気分が悪くなる.
 終盤,謎の集団の正体が明らかになるのだが,彼らは十代の少年少女だった.彼らはもちろんルーマニア語で喋っている.ヒロインはその一人に殺されかけるが,抵抗の末に彼の首にナイフを刺し命からがら逃げ出す.だが下水道の中で彼らは無力だ.最後にカップルはルーマニア人の子供たちに抹殺されてしまう.その後,少年少女は何事もなかったかのようにスクールバスに乗り,学校へと向かう……
 その吐き気を催すほど邪悪な展開に,クリスはしばらくソファから動けなくなってしまった.横でリナはケラケラと可愛らしい笑いを響かせている.
「ヒロインにブッ殺されたガキ」
 そしてリナが言う.
「小学生の頃のクリスに似てんね」
 はらわたに直接穢らしい手を突っ込まれたような気分になった.
「は? 意味わかんねえ,あんなんと一緒にすんなよ.つーか,フランスのやつらに俺ら完全に蛮族扱いでムカつかねえのかよ?」
「いや,何,何でそんなムキになってんの?」
 リナは未だに笑顔を浮かべている.今,その輝きは網膜にへばりつくヘドロにしか思えない.
 クリスは居間を出ていく.自分の怒りをリナに知らしめるために,ドアを乱暴に閉めた.ショットガンの一撃で脳髄が爆砕する時のような音がした.

 クリスは夢を見る.
 彼はサッカーをしている.だが今回は選手でなく,審判という役どころだ.
 目を皿のようにしながら選手を追いかけ,クリスは勤勉にかつ情熱的に職務を果たしていく.
 ある時,黒人選手がスライディングで他の選手を転ばせたのでホイッスルを吹いた.イエローカードを出すのだが彼は熱烈に抗議してくるので,同僚である審判と話をしようとする.
「おい,あの審判,俺のことを“nigger”って言いやがったぞ!」
 選手がそう叫び,クリスは動揺する.もちろんその言葉はフランス語だった.少数の味方とともに彼を宥めようとするのだが,続々と他の選手たちがクリスの周りに集まってくる.いや,自分はルーマニア語で話してただけだ,ただ彼が黒人であるから“negru”と言ったまでで……
「この審判,また“nigger”って言いやがった!」
 選手がそう喚くと,人々はクリスのことを糾弾し始める.英語,フランス語,イタリア語,スペイン語……その中にルーマニア語はない.
 クリスは必死になって理由を説明しようとするが,そのうち気づくのはクリスの側にいる人々もまたこちらを敵意に満ちた目で見つめてきていることだ.
「お前の変なルーマニア語のせいで,俺らがバカにされんだよ!」
 そしてクリスは目覚めた.

 朝,玄関の棚の上,折りたたみ傘の隣にノートが置いてあるのにクリスは気づいた.
 青の表紙には“映画”と書いてあるので,それがリナの映画ノートであることが分かった.何故こんな場所に放置されているのかは分からない.だが少なくとも,これを盗んだら姉が困るというのは分かった.
 昨日の仕返しだ.そう思いながら,クリスはそのノートを鞄に突っ込んだ.
 歩いて学校へ向かう途中,彼は中身を読んでみる.かなり雑な筆致で映画について書いてあるのだが,ある映画についてはルーマニア語で,ある映画については日本語で書かれており,何かの理由で書き分けがなされているようだった.
 そしてルーマニア語に関しては全く読めないので,クリスは驚いた.字が汚いのは勿論だが,筆記体があまりにも極まりすぎて判別不能なのだ.クリスにルーマニア語の読み書き能力が欠けているわけではない.だが彼が読むルーマニア語はネットのそれであり,全てが厳密に整えられているので容易に読める.この筆記体は,生きたミミズの群れのように蠢いている.それをどうしても読むことができないのだ.
 気分が悪くなってきて,日本語の方に視線を移す.
 “最近,ブルキナファソ映画が面白い”
 そんな文言が目に入り,心臓が止まりかけた.ブルキナファソとは,つまりセイドゥのルーツだったからだ.心は拒否しながら,クリスの網膜はその日本語を淡々と読み取っていく.

・“Al Djanat”は直接的にじゃないけど,ブルキナファソの反フランス感情とかえ描いてるよなあ.クーデターもそれで起こったんだっけ.面白い.
・最近良いドキュメンタリー作家がたくさん出ている気がする.Chloé Aïcha BoroとかSalam ZampaligreとかBoubacar Sangaréとか.ブルキナファソ・ニューウェーブとか起きたり? ルーマニアみたいに.
・取りあえず昔のブルキナファソ人監督の名前のメモ.Idrissa Ouedraogo,Gaston Kaboré,Drissa Touré.

 そこで読むのを止めた.その裏側にセイドゥの得意げな顔が見えてしまったからだ.
 だがもう一度だけ,ノートに目をやると“植民地”という単語が見えた.
 思わずクリスはそれを地面に投げ捨てる.ベグチャと,濁りきった音が響いた.

 昼休み,クリスは中庭の小さなコートにいる.友人にサッカーをやらないかと誘われたからだ.実際乗り気ではなかったが,セイドゥも来るらしいと聞き,行くことにした.
 しばらくしてセイドゥが友人を引き連れやってくる.地下鉄駅の柱さながら屈強で,しかし伸び伸びとした肉体には威圧感以上に余裕が宿っていた.それが何よりも皮膚を静かに圧迫してくるように,クリスには思えた.
 そしてコートの真ん中へ行き,人目も憚らずに地べたに蹲る.さらに左足を後ろに出したうえで右ももを前に出すと,それを覆うように彼は上半身を前へと倒す.
 ストレッチらしいが,このポーズには見覚えがあった.シミナが家でこれをやっていた.彼女はこれが下半身,特に股関節をほぐすのに効果的だと話していた.ポーズの名前は確か,眠れる白鳥のポーズだ.
 ゲームが始まると,早速その白鳥は目覚める.
 セイドゥは始めから獰猛にボールを捉えていき,それを奪い取ろうとする者を薙ぎ倒していく.その無敵の突進ぶりに対し,心のなかで荒々しい炎が燃え滾るのにクリスは気づいている.
 調子乗りやがって,マジでブッ殺してえよ,“植民地”……
 そう思った瞬間,昨日映画で見た,カップルを嬲り殺しにする少年たちの姿が思い浮かぶ.
 おい,フランス人にお膳立てされた蛮族ルーマニア人になるのかよ?
 そんな言葉とともに,滾る炎を理性で抑えこもうとする.
 蛮族は“植民地”にやらせとけよ.
 だがセイドゥが猛烈にフィールドを突き抜けていく様を見て,クリスの足は自然と駆動した.心や脳髄よりも,何よりも体が彼を捕らえようと前へと進む.
 クリスは自分のその体を制御しようとしながらも,猛烈に動く.クリスは自分が獣になってきていると感じた.
 そして彼の体は,セイドゥにまで猛追し,一瞬に肉薄する.
 足が牙を剥き,セイドゥに襲いかかる.
 だが巧みにフェイントをかけてきて,ボールを奪い取れない.
 それでもこの展開は予想済みだ.振り回されるフリをして,虎視眈々と狙いを定め,そして奪う.それでいい.
 そして,クリスの目に,セイドゥの両足とボールの合間の隙が飛びこんでくる.
 ここに右足を,ブチ込む.
 だがクリスは違和感を覚えた.足が,体が,世界が動かない.何故か.しばらくして気づく.動いていないのではない.足も,体も,世界もただゆっくりと動いている.唐突なスローモーションの世界でクリスは戸惑うしかないが,ある1つの不穏な確信が心に兆す.これから自分は成すすべもなく,全てが自分の意志の埒外で動き,何らかの出来事が起きるのだと.
 クリスが目撃するのは,セイドゥの足のその艶めかしい動きだ.あの時に見えた隙がスローモーションの中ですら一瞬で消え失せたかと思うと,ボールを吸い寄せながらその両足がスルリとまるで鞭さながらにしなる.クリスの右足は,そうして生まれたフィールド上の虚無目掛けて突っ込んでいく.つまりセイドゥこそが獣の調教師だったということを,彼は今理解する.
 そしてクリスは見る.右足がそのまま地面に追突したかと思うと,ゆっくりと,衰弱した野良犬が路地の裏側で死んでいくのと似た早さで以て,本来有り得ない方向へと足首が,それを構成する関節や筋肉,数え切れないほどの細胞諸共に,折れ曲がっていく様を,彼は見た.
 オグ会う嗚呼う嗚呼嗚呼嗚呼あああaaaaaaaaあ゙アアアaaaaaa………………
 絶叫,その後には激痛のあまり声もあげることができなくなる.
「おい,大丈夫か?!」
 苦痛に悶えるクリスに真っ先に駆け寄ったのは,セイドゥだった.
「俺がおぶって,保健室連れてくわ」
 彼はいとも軽々とクリスを背負い,保健室へと連れていこうとする.
 その巨大な背中に身を預けながら,クリスは痛み以上に恥や怒りに打ちひしがえる.だがそれらが激しく衝突を繰り広げる末,奇妙な無感覚が彼を包みこむ.
 何やってんだよ,俺.マジでバカすぎる.
 そのうち,年末に「M-1グランプリ」敗者復活戦でスタミナパンのネタを観た時にそうしたように,腹の底から爆笑したくなった.はは,ははは,ははははは.
「なあクリス」
 セイドゥがそう言った.
「僕のこと“植民地”って呼んでるらしいな」
 一瞬,セイドゥが何と言ったのか,理解が追いつかなかった.
「負け犬みたいにせいぜい吠えてろよ,ホワイトニガー」
 全身の毛穴という毛穴から汗が噴き出してくるのを,クリスは感じた.ここから,セイドゥの背中から今すぐ逃げたかった.だがあの激痛がぶりかえし,その苦しみがすぐさま全身へと駆けめぐる.
 クリスは最後の力で,周りに視線を動かした.それは偶然,出結匡を捉えた.彼は歩きながら,横の女子生徒と話していた.見覚えがある,確か迎田夏彩という女子だ.クリスは苦痛と裏腹の冷静さで,彼は迎田と話すばかりでこっちを見ないと思った.
 だが匡はクリスを見た.その白い顔は,すぐに夏彩の方に向き直した.そしてまたクリスは気づいた.匡の,セイドゥの,そしてクリスの周りには大量の日本人の顔があった.そのどれもこれもが本当に真っ白だった.
 視界にチラついたクリス自身の左手,何ならこちらの方が黄色く見える.

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。