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「クソ喰らえ、クローン病!」第17話~4月10日、夜のこと

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 4月10日、昼間は悪くなかったんだよ。久しぶりに病院行く以外で外に出れて、図書館で本も借りれたんだ。だけども夜にベッドの上で借りてきた日野啓三の「夢の島」を読んでいるうち、腹の調子が悪くなる。物語が面白いので無視してたけど、違和感が大きくなっていくんだ。いつもながらの液体金属の蠢きっぽいんだけど、何かが違うって直感的に思った。
 そしてこの痛みというか、静かに禍々しい感覚がどんどん膨張する。下腹部の辺りで、すこぶる鈍重で凶悪な何かが現れ始めてるんだよ。いつもの腹の痛さは"お腹痛いわな"って素直に思える鮮やかさで、"こりゃクソ出るな"と思うと実際ケツ穴からクソがまろびでるし、その後には痛みも雲散霧消する訳だ。でもこれは違う。木の幹に穿たれた酷薄な洞が、俺の腹部にまで穿たれる、さらに膨らんでいく。
 この痛みの問題は、何故だかしばらくクソが出ないことだ。先述の鮮やかな痛みの場合、速攻でクソが出る。だけどクソが出ないもんだから痛みがずっと続くんだ。どうにも出来ない中で、やっと重苦しい感触より痛みの方が強烈になり、クソの予感を抱きながらトイレへ走った。
 ああ、クソは出たよ。だがいつもは踏んばらずにクソが出るのに、今回は結構踏んばらずを得なくなり、排泄後には肛門も痔瘻も痛むことになった。その末にまろびでたクソは固形だった、下痢じゃあない。とはいえ「クソ喰らえ!」って叫びながら相手に投げつけられるほど立派な固形じゃない。本当になけなしのクソの欠片って感じだった。
 最近はほぼ下痢だから感じてなかった、排便後の辛辣な痛みに尻を覆われて、不快感から逃れられない。かつ腹部の重苦しさもなくならないという不条理。一応はベッドへ戻るんだけど、明らかに以前とは違った。体調的にキツい、体力が少しずつ奪われていく感覚を味わわされる。

 とうとう母親に助けを求めざるを得なかった。母親は病人の俺でも憐れに思えるほど悲痛な表情を浮かべ、俺を支えてくれた。それからトイレに近い1階のリビングに布団を敷いてくれた訳だけど、こういう姿を見るのは本当に辛かった。そして体力が奪われたことで、体温すらも奪われて寒くて堪らなくなった俺は風呂に入ろうとする。その時も彼女はずっとついてきて、俺が震えながら脱ぎ捨てた服をいちいち拾ってくれた。"もういい! もういい!"と叫びたかったよ。けどその力もなくて、這這の体で風呂へと雪崩れこんだ。
 冷えた身体が一気に暖まるのを感じた。だが熱に呑みこまれて湯へ深く沈みこんでいく感覚もあった。沈みこんだまま逃れられず沈むかもしれないとそう恐怖するほどだ。でも何とかゆっくりと湯に身体を埋めていって、細心の注意を払いながら全身を熱に浸した。その時の俺は身体を回復させなくてはならない一方で、熱に奪われる体力のことに気を回す必要すらあった。
 それでも湯のなかで落ち着いていると、腹部の違和感が収まっていくのが分かり、安堵感を抱いた。そんなふとした瞬間に、腰の方へと視線がいった。肉の奥から隆起する骨の存在が際立っていて驚く。以前は80-90kgの間を行きかう贅肉だらけの肉体を持っていた訳で、骨が浮きでるなんて見たことなかった。広がっているのは贅肉の沃野だけだったんだ。それが今や、暴力的なまでの勢いで骨が肉を突き抜けようとする光景を目撃している。そこまで肉が減り、肉体が痩身にまで衰えたんだなと思った。
 ドアをノックした後に母親が顔を見せ「大丈夫?」と心配してくる。俺は更に悲しくなるし、もはや煩わしさすらも抱いた。全てが厭になるんだよな。俺の現在進行形の哀れな状況も、母親がこんな哀切を露にする状況も。解脱したくなるよな、偉い坊さんきてくれよ。
 風呂から出て、何とか体調が安定した後、俺は布団に寝転がるんだけど不安を感じて眠ることができない。だからタブレットで適当にTwitterを眺めて暇を潰していた。そんな時にAnush Babajanyan アヌシュ・ババジャニャンっていうアルメニアの写真家の作品と出会った。"Inlandish"と名づけられた写真群の被写体はアルメニアの女性、特に中年女性たちだ。アルメニアはかなり保守的な社会らしく、女性嫌悪的な雰囲気も割合濃厚だという。そんな社会で中年女性たちが思い思いに着飾るを姿を映した写真は、写真のトーン自体は結構陰影深いのだが、むしろ眩くてしょうがない。金髪を優雅にカールさせた老婦人が、赤い水玉に包まれたワンピースを着こなす。風に舞う草々が描かれたような上着に身を包む女性、彼女はサングラスを着けていて瞳の様子は伺えないが、その鋭い表情は瞳に浮かぶだろう強靭な光と意志を想像させる。ある女性は白鳥の無数の羽根でできたような服を着ながら「白鳥の湖」を舞うバレリーナさながら顔を真っ白く染めている、瞳まで黒に縁どっている。彼女たちは、精神の奥底からの輝きに包まれていると俺には思えた。そして俺の母親を思った。この中年女性たちと彼女は同世代だ、だがこんな輝きを纏った姿を、少なくともこの10年見たことがなかった。
 ここ10年は俺にとって最悪の時期だった。第1志望の大学に落ち、東日本大震災が起こった後には放射能の恐怖に怯え、大学では痛烈な失恋を経験し、俺は鬱病へと真っ逆さまに墜落した。当然だが就活も失敗して引きこもりが続き、その途中で自閉症スペクトラム障害と診断され、更に引きこもりが続いた。いや、ルーマニアで小説家として認められたっていうのは確かに素晴らしいことだったよ。でもその喜びに浸っていたらこれだよ、クローン病な訳だよ。俺も苦しみ続けていたが、まあ母親にとっても最悪の10年だっただろう。このことについて詳細なことを今は考えたくない。だが言えるのは、母親は俺から解放されるべきだということだ。このアルメニア人女性たちのように老いを謳歌するべきだった。なのに俺の精神も肉体もまともに動くことはなかった……

 この後、夢を見たんだ。あの駅の近くの小さな病院に母親と一緒に行ってから、血液検査は最悪だったけど、ラーメン屋に行った。辛ネギをトッピングに入れた味噌ラーメンは濃厚で、最高に旨かった。でも食べてたら雨がすごく強くなり、遂にはどしゃぶりになる。ラーメンが運命を分けたなって母親と笑いながら、傘を指して歩き始める。歩く最中も雨の勢いが強くなり、もはや道路は洪水状態と化してしまう。母親は前へと力強く歩いていくんだけど、衰弱した肉体の俺の歩みはどんどん遅くなり、もはや追いつくのに必死だ。そして道の途中が完全に水没して進めないので、回り道せざるを得なくなる。母親が率先して前を歩いていくけど、彼女と俺の距離は更に離れていき、その姿は豪雨の奥へと消えていくんだ。自然と言っていた。
「俺を置いていかないでくれ」
 でも次の瞬間にはこう言ってた。
「俺なんか置いていってくれ」
 そうして母親はただ影だけになる。
 俺は、俺は。

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【済藤鉄腸のすぐに使わざるを得ないルーマニア語講座その16】
Ieri rahatul meu era tandru ca o zăpadă. Dar azi rahatul e firm ca un diamant. Care-mi place mai mult? Îmi place rahatul tău mai mult.
イェリ・ラハトゥル・メウ・エラ・タンドル・カ・オ・ザパダ。ダル・アジ・ラハトゥル・イェ・フィルム・カ・ウン・ディアマント。カレ・ミ・プラチェ・マイ・ムルト? ウミ・プラチェ・ラハトゥル・タウ・マイ・ムルト。

(昨日のクソは雪のように柔らかかったです。でも今日のクソはダイヤモンドのように硬いです。どっちが好きかですか? あなたのクソの方が好きです)

☆ワンポイントアドバイス☆
このコーナーでは何度も登場しているけど"クソ"はルーマニア語で"rahat"と言うよ。でも勿論、他にもたくさんの言い方がある。例えば"căcat"だったり"porcărie"だったり、"馬鹿"という意味の"tâmpenie"から派生した"tâmpenia"だったり。でも個人的には"rahat"が1番好きだから何度も使っているよ。この文章は、何だろうね、愛の告白みたいなものかな。その人を愛しているなら、クソまで愛さなきゃね。受け入れてくれたら、ダイヤモンドのように硬いクソで指輪を作ってその人に贈ってあげよう。クソ喜ぶぞ。



私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。