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コロナウイルス連作短編その81「フィンランド語のタトゥー」

 18分、それが日々のなかで川常賢が必要なものだった。川常帽子、未だ1歳にも満たない最愛の息子を育てるというのは愛おしく、壮絶な経験だ。この荒れ狂う時においていかに解放の時間を、救済の時間を作りだすか、それが問題だった。18分という些細ながら重大な流れにおいて、賢は映画を観ることを好んだ。Youtubeの短い動画を観た方がキリがいいのは承知ながら、自身の18分をそういったものに捧げるのは軽薄への敗北と思える。今、ミニシアターなどに行く時間はほぼないが、そこで上映する類の文芸映画を18分間観る、賢はこれを徹底する。この18分間において自分が子育ての時とは違うの脳の部分を使用していると感じる、脳科学など学ぶ気すらない故に断言はできない、だが脳髄のより深奥にある部位が駆動するのを感じていた。そして賢は映画を観る際にノートにメモを取る。思索、感想、日記、自己探求。その断片を紙へ気のままブチ撒けていく。例えば、賢は『発情中の猫?』というフィンランド映画を観て、言葉を書き連ねる。

 "フィンランド・ニューウェーヴというのは初めて聞いた。エルッコ・キヴィコスキという映画作家がこの潮流の担い手らしい。今作はフィンランドの『狂った果実』という評判"
 "最初から凄まじい乾き。不毛の感覚を濃厚に突きつけられるような作品。それがパッキリした白黒撮影で紡がれる。悪くない"
 "教師生活のドキュメンタリー的な側面。先輩教師の視線。ああいう驚きと軽蔑の入り混じった視線には覚えがある"

 紡がれる字は大きく、猥雑だ。賢は映画を観ながらも、目まぐるしい勢いで思惟を紙に書き留める、実際にはこれが目的だ。この加速度的な浄化を経て、賢は子育てへと戻る。

 賢の妻である笈先峰見(婚姻関係にはない、彼女は婚姻における同姓強制に反対している)はGummi-Tarzanという北欧家具の輸入を専門とする外資企業に勤めている。叔母の夫がノルウェー人だったという縁から子供時代より北欧に興味を抱き、オスロ大学への留学経験も持つ。ノルウェー語を中心にデンマーク語とスウェーデン語など北欧諸語を流暢に使いこなし、会社でも絶大な信頼を置かれている。ノルウェー語に関しては文芸翻訳家としても活動し、2019年にはイーダ・ヘガジ・ハイエルの短編集『慰めについて、いくつか』を翻訳出版した。リスボン、ベルリン、ブリュッセルに生きるノルウェー人女性が恋愛関係を紡ぐ様を通じ、ヨーロッパにおけるノルウェーの存在というものを探る作品で、峰見はこの翻訳が評価され日本翻訳小説大賞にノミネートされるなどした。
 今、彼女が勉強しているのはフィンランド語だった。この国はノルウェー、デンマーク、スウェーデンと接する北欧の一国ながら、公用語であるフィンランド語は、その3ヵ国の言葉がゲルマン語系に属する一方で、全く別のウラル語系に属するという大きな差異を持つ。これはむしろエストニア語やハンガリー語に近い。この断絶に峰見は戸惑い、一時は習得に励みながらも挫折の憂目に遭っていた。状況が変わったのは2年前の春、ウッラ・サルミネンというフィンランド人の新人が峰見の部下となった時だ。ウッラの新人離れした辣腕、裏腹の素朴で控えめな人柄に惹かれ、峰見は彼女を可愛がるようになる。そして交流を深めるにあたってフィンランド語に関する挫折を語ると、ウッラは教師役を申し出てそこから勉学を再開したのだ。後ろ盾を得た彼女はフィンランド語にのめりこみ、その愛は脇腹にタトゥーを彫りこむほどだった。賢にとって峰見の飽くなき知的好奇心は最も魅力的なものであり、最も戦慄を覚えさせられるものでもあった。
 賢自身は北欧に関しては好きでも嫌いでもない。だがふとした瞬間に峰見の嗜好には影響を受けており、例えば『発情中の猫?』を観たのは正にフィンランドの映画であったからだ。ふとした瞬間に峰見からの影響を悟る時、賢は何か妙な気分になる。喜びでも恥ずかしさでもない、正と負の感情が猥褻に合わさったような気分だ。それは北欧の素晴らしい芸術に触れる時は正へと振れ、峰見が北欧の政治や福祉を礼賛し逆に日本の現状を痛罵する時は負へと振れる。北欧をダシに日本の低劣さを嘆く彼女の姿は殊更に醜い。

 ある日、帽子がすっかりと、ぐっすりと寝てくれているので救済の18分を確保することができる。帽子の安らかな寝顔を見ていると肉体的疲労が癒されながら、もう1つの精神的疲労への癒しも不可欠だ。賢はリビングで映画を観ようとしながら、テーブルに1冊の本が置かれていることに気づく。それは峰見がフィンランドから輸入した小説だ。表紙には白い月のような半透明の円、そのうえに1つの都市、おそらくヘルシンキの街並が描かれており、賢はそれに惹かれる。そこには当然フィンランド語も記されている、Piia LeinoとTaivasという文字列だ。おそらく前者が作者の名前と予想する一方、小説の題名だろう後者がどんな意味を指し示すかは全く想像がつかない。興味を抱いてその単語の意味をGoogle翻訳で検索してみる――天国。思わぬ、運命的な意を持っていることに賢は動揺し、背筋に疾い戦慄の存在を感じた。そうして数日前に峰見が少しだけこの小説のあらすじを語ってくれたのを思いだす。2059年、激烈な内戦によって荒廃を極めたヘルシンキ、人々は現実への絶望から仮想現実へ逃げこむ毎日を送っている。そんな状況で昏睡のような謎の無気力状態に陥る者たちが続出し始め、この原因を探るため1人の大学教授が調査を行う。
「何か、今のコロナ禍を予言してるって感じがする」
 内心、その言葉を賢はせせら笑っていた。"予言的"というのはSFに対する最も安易で、浅はかな言葉だと彼は確信している。
 表紙を触りながら賢が思うのは、まだフィンランド語を勉強して2年と少しであるのにこんな文学作品を読めるのかということだ。猜疑心に尻穴を刺激されながら本を開くと、しかしページの余白に鬼気迫るまでの書き込みが成されているのに気づく。細かく色分けを行いながら、彼女は大量の線や文字を記しており、その濃密さに圧倒される。峰見の字は神経質なまでに小さく潰れており、それが日本語かフィンランド語か、それとも他の言語かすら判別できない。そんな文字の数々が巣に犇めく蟻の大群さながら凝集している。それに拒否反応を起こすのは、彼の字のスタイルが峰見とは真逆だからだ。背筋でぬるい戦慄が蠢き、ペニスでモヤモヤした痺れが泡立つ。だが目が離せない。彼には全く読み難いフィンランド語の呪詛のような羅列、その余白を病的に満たす無数にして極彩の線、その世界そのものが暴力的に圧縮されたような光景が賢の眼球を引きつけ、引き裂く。そして脳裡に異様な風景が思い浮かぶ。死んだ白のみに覆われた大地、この荒廃を黒馬の群れが駆け抜ける。雪の死骸を延々と、永遠と踏み躙り冒涜しながら、馬たちは一心不乱に疾走を続けた。彼らの蹄による蹂躙はそのまま賢の脳髄への蹂躙へと変わる。激痛が加速度的に増幅していき、肉を貫通する。苦痛に苛まれながら遠くからまた、耳障りな響きが届くのを賢は感じた。帽子の泣き声だ、それが賢の中枢神経を爆砕させようとする。そして彼は床に蹲る。更なる騒音が鼓膜を震わす。それは18分が経ったことを示す、タブレットのアラームだ。

 ベッドに横たわる自分に気づく。傍らでは峰見が看病のようなことをしている。彼女のアゴには何らかの小さな緑色の物体が付いていた。
「床に倒れてたから、本当ビックリしたんだよ」
 うっすら涙を浮かべながら、峰見が言う。アゴから緑色の物体が落ち、そのまま消え去る。
「心配させてごめん」
「いや、何で謝るの。悪いのはこっちだよ。疲れてるのとか全然気づかなかった」
 倒れたのは疲れたからじゃあない、賢はそう言うことができない。
「もしかするとコロナかもね」
 代わりにそんな無責任な言葉をおどけて紡ぐ。
「それはないでしょ」
 峰見の笑みは、不思議と自身の言葉より無責任に思える。
「何で?」
「えっ、いや別に、特に理由はないけど」
 話すのが面倒になったのか峰見は賢にキスをする。全部がうやむやになった、賢はそう思いながら彼女のキスを受け入れる。
「一緒に眠りたい、峰見の体を後ろからギュッとしながら眠りたい」
 一瞬、躊躇いのようなものが彼女の顔に兆す。
「うん、いいよ」
 一拍置いた後の、不自然に暖かみある言葉が賢の心臓を痛みで包みこむ。
 ふと起きると、もう既に朝になっていることに驚かされた。帽子も子育ても何もかもを徹底して無視し、ぐっすりと眠った身体には久し振りに活力が溢れている。横では峰見が眠っている、平和だった。天井に向けられた彼女の左脇腹を愛おしげに撫でる時、ここに彼女がフィンランド語のタトゥーを入れているのを思いだす。タトゥーを入れる際に最も激痛を感じる場所は臀部と脇腹であると聞いたことがある。そんな場所に入れる言葉の意味は何なのか、賢はシャツをゆっくりと剥ぐ。そこにはSynnyin laukaisemaan vallankumouksen helvetissäと書かれていた。タブレットを起動し、Google翻訳にその不可解なフィンランド語を打ちこむ。原文の右側に、日本語翻訳が現れる。
 "私は地獄に革命を引き起こすために生まれた"

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。