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「クソ喰らえ、クローン病!」第7話~4月1日、血便記念日

「クソ喰らえ、クローン病!」前話はこちらから

 2021年を以て、俺のなかで4月1日は血便記念日になった。いつものようにトイレで下痢便を噴射したのだけども、いつもと違ったのはその下痢が血便であったことだ。赤黒い液体にドス黒い粘った滓の群れ、紛うことなき血便。だが俺の肛門から血便が噴射されることは、悲しいことにそう珍しいことではなかった。第2話で書いたように、かつて俺のクソは不健康なまでに硬くてデカかった。だから肛門の肉壁を切り裂いて血潮を迸らせるのザラだったし、切れ痔ひいては痔瘻のせいで様々な色彩の血液が肛門から流れていった。だがこの血便はそれとは意味が違った。何故ならこれはクローン病と診断されてから初めての血便だったからだ。
 1人の医師が俺にこんなことを言った。
「私の患者さんの中には、いきなり大量出血を起こして病院に緊急搬送されて、そのまま大腸を摘出したなんて人もいましたね」
 クローン病患者にはこの大量出血と摘出手術というコンボを喰らわされる人が少なくないらしい。ネット上の声を見ても、そういう人物が普通にいる。だからここにおいてケツから出血を遂げるということはこの危機的な状況へ一気に肉薄することを意味するのだ。これが恐ろしくて堪らないんだよ。
 4月1日というのは個人的に悪くない日付だった。2年前の2019年4月1日、俺がルーマニア語で執筆した短編"Un japonez ordinar"("普通の日本人"という意味だ)がルーマニアの文芸誌LiterNauticaに掲載され、そしてルーマニアで小説家としてデビューしたのだ(繰り返しになるが、ルーマニアと俺の関係性についてはこのエッセイを読んでほしい)記念すべき1日だった。これに関しては素直に自慢したいところだ。日本人がルーマニアの文学界にデビューするなんて前代未聞のことだと思えるし、それを成し遂げたことの達成感は摩天楼より崇高だ。この大いなる喜びが4月1日には宿っていた、しかもそれが嘘の記念日エイプリルフールっていうのがマジにイカしてるじゃあないの。だがその喜びが忌まわしき血便によって瞬間に色褪せるのを感じてしまったんだった。
 実は血便の前に、俺はある禁忌を犯していた。クローン病診断以降、母親主導で俺は厳格な食事制限を始め、その一環として食パンには脂質をカットしたマーガリンを塗ることに決まっていた。だが人の目がないことをいいことに、俺は昼に両親が使っている脂質をカットしていない方のマーガリンをベテョベテョに塗って、食パンを喰らったんだ。旨かった。その直後に腹痛が起きて、血便が出た。陰鬱な赤みを見た瞬間に、俺は罰が当たったのかと思ったよ。食事制限を無視して贅沢した罰だってさ。今、1週間後にこの出来事を振り返るなら、こういう自罰的な思考は止めるべきだと冷静に思える。この思考は長じて俺の魂を傷つけるだけだ。だが一方でこうして安易に因果を結びつけてしまう自分が消えないのにも気づいている。
 人は自分の身に不条理な出来事が降りかかった時、それに理由をつけようとする。不条理の裏側に何か言葉で説明できる類の理由があると、これを理解可能な現象として受けいれ、気が楽になる。俺自身、この血便も脂質をカットしていないバターを食べたからという、取り敢えずそれらしい理由を繕った。すると自罰的にしろ、俺自身にだけはこの因果関係が納得できるように思われて、恐慌状態からは脱することができた。
 だがこの思考を突きつめたとするなら、それはいつか"何故、俺はクローン病になったのか?"へ至ることになるだろう。遺伝的な要因、免疫細胞の過剰反応、食の欧米化など様々な理由が取りざたされているが、実際に原因はハッキリと分かっていない。おそらくそれがクローン病が難病と称される由縁の1つなんだろう。ふとこの問いについて考えてしまった時、俺の脳髄には様々な言葉が去来する。豚骨ラーメン食べ過ぎたか? 引きこもり生活があまりに不健康だったか? 運動をしなさすぎたか? 痔瘻を放置しすぎたからか?だとか思考が目まぐるしく回転を遂げて、1つの考えに自分を落ち着けようとしても駄目になる。そして最後には俺の人生全てがクローン病の原因なのだという、運命論的な悲観主義に陥る訳だ。
 血便が出た後、パニック状態からは脱しながらもヘコみまくって、ベッドに寝転がるしかなかった。本当にずっとYoutube動画だけを観ていた。クソゲー動画を観ているとそのあまりの下らなさには本当に何もかも忘れられて、時間が経つままに任せられる。これじゃダメだという思いの存在も感じながら、大量出血の恐怖と人生への諦念で身動きが取れない。ケツに蟠る強烈な違和感も、俺の肉体をベッド深くへ沈めていった。
 それでも考えたのは俺を今支配しているこの思考を手放す必要があるということだ。それでいて不確定な曖昧さというものを受け入れることがいかに難しいかを実感させられる。明確な理由を用意して白黒ハッキリつけることはある意味で楽だし、これで救われる時もある。だが原因不明の難病という相当に歪んだ不条理に対して、これは通用しない。不確定性をありのままに受け入れることが本当の意味で必要だった。
 この曖昧さを受け入れることについて考える時、頭に浮かぶ映画作家がいる。ジョー・スワンバーグという人物は日本では全く有名ではないが、2000年代からアメリカで頭角を現した米インディーズ映画界における重要人物だ(彼に関しては、俺が運営する映画雑誌"鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!"に詳しく書いているのでぜひ読んでほしい)そんな彼による最高傑作の1本が2011年に制作した"All the Light in the Sky"(レビュー記事をどうぞ)だ。今作の主人公は中年の映画女優で、年齢によって若手に仕事を奪われていくなか、自身の孤独と対峙せざるを得なくなる。何か展開として注目すべき起伏がある訳ではない。スワンバーグは彼女の日常を淡々と見据える。そうして物語は展開しながら、老いにも孤独にも明確な救いや答えが出ることはない。だがスワンバーグの暖かな眼差しのなかで、主人公は自身の日常のなかにかけがえのないものを見出して、自分の人生と肉体をありのまま受け止める。そしてそれを深く愛するまでに至るのだ。俺はこれに深く感動した覚えがあった。
 こういった曖昧なものをありのまま受け入れるために作られる芸術もあるのだと、俺はジョー・スワンバーグから学んだ。俺の場合は芸術はまず何よりも言葉から始まり、そして言葉にすることは思考を明確にするという意味では彼の姿勢と真逆にあるかもしれない。だが言葉を連ねていくなかでその行間から何か、言葉の間隙をすり抜けていく何かが生まれいづるかもしれない。これが、俺自身が曖昧なものを抱きとめるための縁になってくれるかもしれない。
 そうして俺は、クローン病診断の直後に書き始めながら途中で放棄していた文章に再び取り組んだ。一気呵成にこれを完成させた。人々にこれを告白するのは怖かった。Twitterを10年近くやってきて、リアルの友人よりも親しみ深い人物も多くいるなかで、この告白によって破壊される何かがあるのではないかと思えたんだった。だがエイプリルフールに俺が一生付き合わなければならない真実を共有すること、この意味は大きいように思えた。そうして俺は書き上げた文章――「クソ喰らえ、クローン病!」第1話とともにTwitter上でクローン病を告白した。

えーお知らせがあります。良くないやつです。私こと済藤鉄腸、クローン病になりました。腸が炎症を起こしまくる原因不明の難病です。3月に発覚してからマジに地獄のような日々を送っていましたが、今の心境を吐き出しました。ぜひ読んでください。クソ喰らえ、クローン病!

 何にしろ、俺にとって4月1日は書くことへの決意が宿る、そんな日だった。

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【済藤鉄腸のすぐに使わざるを得ないルーマニア語講座その7】
Azi e Ziua Păcălelilor. Mi-a explodat stomacul mai demult, doar glumesc! Am câștigat 100 de milioane la loterie, doar glumesc! Am luat o boală incurabilă numită Boala Crohn, păi, e al naibii de serios...
アジ・エ・ジュワ・パカレリロル。ミア・エクスプロダト・ストマクル・マイ・デムルト、ドアル・グルメスク! アム・クシュティガト・スタ・デ・ミリオアネ・ラ・ロテリエ、ドアル・グルメスク! アム・ルアト・オ・ボアラ・インクラビラ・ヌミタ・ボアラ・クローン、パイ、イェ・アル・ナイビイ・デ・セリオス……

(今日はエイプリルフールだね。さっきお腹爆発したんだよね、嘘だよ! 宝くじで1億円当たっちゃった、嘘だよ! クローン病という難病に罹りました、いや、これはマジに本当なんだよなあ……)

☆ワンポイント・アドバイス☆
エイプリルフールはルーマニア語で"Ziua Păcălelilor"だよ、訳すと"デマばっかの日"という感じかな。でもこの日にルーマニアの人が嘘ついているという印象はあまりないぞ。基本的にルーマニアの人はかなり皮肉屋でイラつくほど冷笑主義だけど、嘘はつかないって印象だ。ぶっちゃけ日本人の方が平気で嘘をつくぞ。それでも陰湿さは結構似てるかもしれないね。この文章は来年のエイプリルフールで使ってみよう。自分も使う予定だけど、その前に来年自分が一体どうなっているかがマジに不安だよ、正直ね。


私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。