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コロナウイルス連作短編その95「パララックス効果」

 松本理世と松本香能は姉と弟という関係性であるが、恋人関係でもある。手を繋ぐし、キスもする。セックスもするし、夕食を終えた後には食器を一緒に食器洗浄機に入れる。人からその関係性を聞かれた際は、その態度や身ぶりから恋人関係と予想されていると踏まえたうえで、正直に姉弟関係だと言う。そうして指を絡めながら、軽くキスをする。人々は最初狐に摘ままれたような顔をしながら、2人があまりにも堂々としているので、この関係性を、思っていることはそれぞれ異なるにしろ、受け入れる。明白なタブーと社会に見なされる事象も、威風堂々たる態度を誇るのなら突き抜ける一線があると、既に彼女たちは学んでいる。

 一緒に唐揚げを買いにいく。駅の高架下、不動産屋がコロナ禍によって潰れた後、その跡地に響き岩という唐揚げ店ができたのだった。彼女たちの家のポストにもチラシが投函されており、無類の唐揚げ好きである理世は即座に反応した。質素な食事が好きな香能の方は最初特に気にも留めていなかったが、オープンが近づくにつれ理世の高揚が瞳の輝きとして露になるうち、香能にも興奮が伝染し、ふとした瞬間に口のなかに唐揚げの、あのサクサクジューシーな食感が幻として浮かぶようになった。そうして香能たちはここ1週間わざと肉を一切食べずにいた。
 オープンから3日後、一緒にいられる時間ができたので駅へ唐揚げを買いにいく。高架下はすこぶる閑散としている。そもそもこの町自体が土地開発の機運から完全に見捨てられ、打ち捨てられた陸の孤島といった有り様であり、それならば高架下は灰塵色の無機質な空洞といった印象だった。天井にはコンクリート打ちっぱなしの梁が臆面もなく露出しており、それがこの空間の外界からの断絶を端的に、饒舌に示している。町の断絶を、この空間がそのまま担っているといった風だ。
 ただでさえ極まっていた閑散は、そしてコロナウイルスによって二番底三番底とその先へと順調に進んでいる。この唐揚げ屋ができるのと同時に、向かい側にあったケーキ屋が潰れたし、その少し前には隣にあった定食屋すらも潰れた。両方ともテナントは未だ決まっていない。そんな中で不動産屋の跡地に唐揚げ屋ができたというのは驚きであったが、一種の無意味な博打にも思えた。
 店頭は目が覚めるほどのドギツイ黄の色彩で塗ったくられており、空間を覆い尽くす灰塵とは真逆だ。そしてこの灰塵は内へ内へと凝縮していく閉所恐怖症的な印象を与えながら、唐揚げ屋の黄はまた真逆の、凝縮を跳ね返すような膨張のギラギラした力を持っている。理世も香能もこの彩りを気に入った。

 唐揚げ店にはほぼ誰も並んでいない。彼らは朗らかな笑顔を浮かべる女性の店員に唐揚げファミリーパックを頼む。岩さながらの大きな唐揚げが10個ほど、やはり黄色いバケツ型の箱に入ったセットだ。揚げたてを提供するゆえに、少しお待ちくださいと店員が言い、店前でしばらく待つことになる。理世が香能の腰に左腕を回し、その水色のシャツを握っては離す。
「何してんの」
「別にぃ」
 そうおどけて言う理世を愛おしく思い、啄むようにキスをする。1回するともう1度したくなり、それが連鎖反応的に連なっていく。自分が彼女をいかに愛しているかを、全世界の皆に見せつけてやりたい。その思いに理世も応えるように、脇腹をぎゅうぎゅうとつねってくる。
「うわあ、もうアツいですね。まだ付き合って1ヶ月も経ってない感じですか」
 店員の女性がそう言ってきた。理世と香能は思わず笑う。
「そう見える?」
「ええもう、そう見えますわ」
「でもちょっと違うな」
「私たち、恋人の前に姉と弟って関係なの」
「ははぁ、何言ってんすか。冗談が上手いですね」
「いや冗談じゃないよ、ぼくらは同じ母親のお腹から生まれた恋人同士って訳だよ」
「そりゃ、はは、へえ……」
 彼女はどう反応していいのか分からないようだった。
「今の時代、色々な愛の形があって、僕らはその1つを体現してるってことだ。姉と弟が愛しあうなんて、もはや何の珍しさもない」
「そう、あなた、私たちのこと付き合って1ヶ月のカップルみたいって言ったね。実際は彼が私の後に母さんのお腹から生まれたのが32年前だから、そう付き合って32年!」
「もうかなり長いね、だから次のステージに行きたいって思ってる」
 店員は口を間抜けに開いている。
「子供を迎えたいんだよ」
 まあ!とばかりに理世は口を大きく開き、その上に開いた右手を掲げてみせる。
「でも、これが難しい訳だよ。ほら良く言うだろ、近親婚っていうのは遺伝子構造の近さゆえに、生まれる子供が先天性の疾患を持つ障害児になりやすいとかね」
「ああ、何か世界史とかで、ハプスブルク家がそういうのを繰り返して、障害を持った子供ばかり生まれてとうとう断絶したみたいなこと習った気がします」
「そうでしょ。後はホラーとかでも生まれた子供がとんでもない奇形児で、人を惨殺して貪るモンスターになるみたいなね。それに妊娠中に胎児が障害を持っているのが発覚して生む生まないかみたいな話があるけど、私たちの場合はそれ以前の問題で、そもそも子供が障害を持つ確率が高いから難しいっていうこと。まあ、障害を持った人が生を全うできない健常者中心にできてる社会が本当のところは悪だ、というのは前提としてもね」
 理世は弟の唇を撫でる。
「精子提供も何か違うと思ってる。僕が不妊症ならまだしも、精子は健康なのに他人から精子をもらって姉さんに妊娠してもらうのは違和感がある。それじゃ“僕らの子供”じゃなく“彼女の子供”って感じだな」
「だから養子を迎えるのが望ましいって思ってるのだけど、養子縁組って本当に条件が厳しくてね、そもそもの話、夫婦じゃなくちゃ無理なんて時代遅れも甚だしいと思う。色々な人を排除して、色々な可能性を殲滅するみたいなもの」
 理世は目の前の店員を見据えた。彼女は奥の同僚に呼ばれ一度引っこむと、唐揚げファミリーパックの箱を持ってくる。中では唐揚げのような岩が、茶色い輝きをバチバチと放っている。
「ありがとう、本当美味しそう」
「そりゃもう、美味しいですよお」
 店員は言った。胸の名札には“瀧本雅”と書いてある。
「それじゃ。多分また来るよ、唐揚げ大好きだからね」
「宜しくお願いします!」
 雅は弾けるような声でそう言う。

 2人が歩き始めると、トンネルの入り口から、2羽のツバメが目にも留まらぬ速さで飛んでくる。彼らは剥き出しになった灰塵の梁に巣を作り、そこで雛を育てているようだった。歩きながら理世も香能もそれを眺め、その思惟はいつの間にか自身の今へと至る。巣でエサをあげていたらしいツバメ、その片方が再び飛翔し、来た道を戻っていく。翼を持った弾丸は駅に満ちる陰鬱な空気を清々しいほどに突き抜けていく。その時には2人も入り口付近にいた。入り口の前には横断歩道がベタ塗りされた道路が通過しているが、ツバメがその領域に入った瞬間、右側から猛スピードでトラックが突っ込んでくる。このままではぶつかると思った瞬間、2人の脳髄へとツバメの意識が雪崩こみ、極彩色の映像がまるで走馬灯のごとく流れる。不思議とその傍らで彼ら自身の意識も駆動している。自分たちが死ぬ訳ではないと、彼らには分かっている。だがツバメは轢殺されるかもしれないと、予期している。だが、されないかもしれない。
 理世と香能は自分たちの人生をツバメに賭けようと、止まった時間のなかで合意する。言葉は一切交わされないまま、通じあう。
 そして灰塵色の駅がこの親密な瞬間の、唯一の目撃者だった。人間には理解できずとも、駅にもまた己の言葉がある。それを以て、時の流れのなかにこれから浮かびあがるだろうツバメと2人の道行きを、例えどんなものであろうとも、祝福する。

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。