見出し画像

コロナウイルス連作短編その92「俺も結構、黒人」

 吉武瑛士はよく"黒人のハーフ"と間違われるが、ただ肌の色が濃いだけだ。もしかするとアフリカ系の血が流れているかもしれないが、両親は純粋な日本人に思える。それでも彼らの肌は白人よりも白く、言い換えればアジア系に典型な病的青白さで、何故自分の肌だけがここまで黒いのか判然としない。"黒人のハーフ"と呼ばれる気分は悪くない。彼は日本で黒人が差別されるなど戯言としか思わない。確かに彼の通う中学にも"黒人のハーフ"がおり、実際虐めとは言わずともいじられの対象となっている。だがそれは"黒人のハーフ"なのに、錚々たる有名人、例えば最近では八村塁や大坂なおみなどのように運動神経がある訳では微塵もなく、体育の時間で惨めな姿を晒し続けるからだ。勿体ないし弄られて当然だと、瑛士は思う。逆に彼の運動神経は相当なものであり、個人戦でもチーム戦でも、その暴力のような動きが同級生たちの脳髄を荒々しく殴打する。そして彼らは"黒人のハーフ"であるアスリートたちに感嘆するように、汗まみれの手で瑛士の肩に触る。瑛士は"黒い"英雄だった。気分は悪くない。

 学校からの帰路、駅にまで至る。瑛士はホームに黒人女性らしき人物がいるので驚く。彼女の斜め後ろでその姿を凝視しながら、新鮮な驚きに打たれる。実際、彼はニュース番組やNetflixの配信するアメリカ映画、Tik-Tokの動画を通じてしか、黒人を見たことがない。実世界で彼らを見たのは、初めてだった。明らかに日本人の肌色からは逸脱した色彩の肌を、彼女は持っている。だが近くで見るのなら、実際は黒ではなく煉瓦のような茶だと彼は発見する。もしくは彼女は黒人の中でも色素が薄い方ではないかと推察する。映画に出てくる黒人たちは、SF的世界に広がる宇宙のように深いが、彼女の彩りは浅い。
 もしかしてこいつも"黒人のハーフ"か?
 そう思うと、なかなか愉快な気分になる。右手の甲を覆う皮膚を眺めながら、彼女は自分みたいだと思った。
 鉄の塊が駅に突入してくる。ひときわ鋭い風が右の網膜を切りつけ、不覚にも後ずさる。だが女性が地下鉄に乗ったので、瑛士も急いで乗りこむ。攻撃的な白色灯に頭蓋を殴られながら、彼は敢えて女性からかなり隔たった椅子に腰を据える。遠くから、干潟の野鳥を観察するような様式で彼女を観察する。滑らかな灰燼色のウレタンマスクの存在感は腑抜けな一方、その怜悧な瞳が瑛士の背筋に火花のような痺れを齎す。だがその瞳はただただ目前のスマートフォンを眺めているだけだ、勿体ないと感じた。代わりにその視線が自分を貫く瞬間を妄想し、股間に疼きを感じた。勃起はしない。
 俺は日本人でしか勃起しないのか?
 自分の運動神経を称えてくれる友人たちを想うと、恥ずかしい。女性を見据え、ペニスの位置を調整するフリをして海綿体を刺激する。そして勃起しろと念じる、血が肉の海を競りあがるよう奮起させる。瑛士のペニスは勃起した。嬉しかった。
 俺は黒人でも勃起する!
 そしてマスクを取ってほしいと願う。今まで液晶越しに見てきた黒人は例外なく頗る太ましい唇をしていた。彼女もそんな食欲的としか言い様ない唇を持っているか、それを確かめたい。ゆえに念じた。錐で精子色の壁を突き通さんとするように念じる。しばらく念じたが、外さない。女性はただスマートフォンを眺めている。悔しかった。
 ある駅に着くと、女性は地下鉄から降りていく。ぬるい落胆を抱きながら、彼女が電車内に何かを落としたのを目撃した。反射的に立ちあがり、それが何かも分からぬまま拾い、電車から降りる。何らかの噴出のような轟音とともにドアが閉まった。鉄塊が駅を出ていくのを尻目に、瑛士は女性を追った。長い脚の歩みは頗る早い、既に改札への階段を下っている。ドドドと雪崩さながら階段を駆けおり、瑛士は彼女に声をかける。
「すいません、これ落としましたよ」
 それは橙色のパスケースだった。
「ああ、ありがとうございます」
 女性は右目を擦りながら、左手でケースを受け取る。彼女の人差し指と中指がさりげなく瑛士の肌に触れる。
 黒人の手触っちゃったよ。
 後にトイレで尿を排泄しながら思った。

「ただいま」
 リビングに行くと、父である吉武明志が静かにテレビを観ている。彼は妊娠6か月で、そのお腹は健やかに丸々と太っている。瑛士もしばらくニュースを見ようと、彼の隣に座る。
「あっ」
 明志が間抜けな声を出す。
「今、中から蹴ってきた」
 そうはにかむので、思わずこっちまで嬉しくなる。許可を取ってから、シャツの上より父のお腹を撫でる。
「元気いっぱいなのが最高。健康に育てよお、俺のきょうだい!」
 明志はその言葉に頬を綻ばすが、息子が手を洗わっていないのを知るとその耳をベチベチと叩いて、リビングから追いだす。へいへいと息を吐きながら、洗面所に行き、瑛士は鏡で自分の顔を眺める。事によれば、女性の肌よりもその黒は濃厚に思えた。
 俺も結構、黒人じゃねえの?
 部屋に行き、友人から来たメッセージを読む。そこには“ブラックジョーク!”という言葉とともに、Youtube動画のリンクが張られていた。黒人の若者が日本のギャルゲーをプレイしている動画の切り抜きだ。最初は普通に楽しんでいたが、登場人物の1人が「苦い」と間延びした声で言った時、彼は驚愕の表情を浮かべ、叫んだ。Youtuberに典型の大袈裟な表情でありながら、それ以上の鬼気迫る驚愕がそこにあった。滑稽に思え瑛士は爆笑するが、最初は驚愕の理由が分からない。少し考え、彼は"苦い"を"ニガー"と聞き違えたのだと理解し、爆笑の音量が更にあがる。肺が爆発的に痙攣するのを感じながら、瑛士は友人にメッセージを送る。
 "おい真嗣、俺のこともニガーと呼べよ!"

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。