「クソ喰らえ、クローン病!」第8話~ラトビア、予期せぬ祝福
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今まではクローン病に罹った故の絶望感などそういう負の感情についてばかり書いてきたが、たまには希望について書かせてもらってもいいだろう。肉体的・精神的疲弊によってベッドから動くことができなかった時、メールが届いた。ラトビアの文芸編集者であるVilis Kasims ヴィリス・カシムスからだった。メールにはこう書いてあった。
"久しぶりだね。やっと君の短編のラトビア語翻訳が終ったよ。数日後にサイトにアップする予定だ"
話がいきなり飛躍しすぎか、まあゆっくり説明させてくれ。俺はクローン病と診断される数か月前に、ラトビア文学を学ぶためラトビアの小説家や文芸関係者に片っ端からメッセージを送っていた。きっかけはノラ・イクステナというラトビア人小説家の執筆した長編「ソビエト・ミルク ラトヴィア母娘の記憶」(翻訳は真に偉大なラトビア文学の翻訳家である黒沢歩だ)を読んだことだ。かつてラトビアはソビエト連邦の支配下にあったが、この作品はそんな時代を産婦人科医であった"母"と彼女に反抗心を抱く"娘"が生き抜こうとする姿を描きだしていた。ラトビア文学を日本語で読める機会は本当に少ないが、この生存闘争の荒涼としながら激烈な風景には驚かされた。"母"は産婦人科医として女性たちから新たな命を受けとめながら、生への深い絶望感から逃れられない。そんな彼女の姿に共感を越えた壮絶な感情を抱いた。同時にルーマニアの反哲学者、崇高な反出生主義者であるエミール・シオラン(ルーマニア語読みではチョランだが)、彼が綴った生への強靭な憎しみに似たものを今作からは感じ、更に深く魅了されたのだ。そして思った、もっとラトビア文学が読みたいと。
ラトビア、悲しいがおそらく日本では知名度がない国だろう。北欧と東欧のあわいに位置する小国で、バルト3国の1つでもあるが、この国の名を聞いて何らかのイメージが湧く日本人は多くないはずだ。数年前まで俺だってそうだった。そもそもの話、俺がラトビアに興味を持ったのは映画がきっかけだった。映画批評家として大量の映画を観るにあたり、俺は2本のラトビア映画と運命的な出会いを果たした。まず1本目がAivars Freimanis アイヴァルス・フレイマニスというラトビア映画界の巨匠による傑作"Puika"("少年")だ。今作は1人の少年の瞳からラトビアの四季を描きだした素朴な作品でありながら、俺が今まで観た映画で最も美しい映画の1本として屹立する。俺は前に科学者になれたら四季という概念を滅殺したいと宣ったが、今作の美に触れていると四季も悪くないように思われる。俺はこの作品が、映画の形を借りた1つの小さな奇跡だと信じていた。
2本目はAnsis Epners アンシス・エプネルスが1993年に制作した1作"Būris"("檻")だ。今作は森のなかで剥き出しの牢獄に閉じこめられた男をめぐる不条理劇だ。不可解な極限状態のなかで男の意識は現在と過去を行きかい、その様から人間存在の生へ根源的に根づいた実存主義的な恐怖が立ち現れてくる。初めて観た時、今作が安部公房の「砂の女」と「けものたちは故郷をめざす」がラトビアの森の深奥で融合を遂げたかのような作風を持つのに驚かされた。この日本とラトビアの不思議な共鳴、そこから生まれる鬼気迫る生の切実さに俺は圧倒された。この2作に脳髄をブチかまされ、俺はラトビア映画に耽溺したんだった。
だが日本語において、いや英語においてすらラトビア映画に関する情報は少ない。そんな状況でラトビア映画史について知りたい時、どうすればいいか。1つ、シンプルな方法がある。ラトビアの映画批評家に頭を下げて"ラトビア映画について教えて下さい"と教えを請うのだ。俺自身が映画批評家である故に、この界隈にはコネがある。これを使って俺は2人のラトビア人映画批評家Agnese Rogina アグネセ・ロギナとIeva Viese イエヴァ・ヴィエセに接触し、ラトビア映画史に関するインタビューを敢行した。Agneseはラトビア最大の映画祭であるリガ国際映画祭のメンバーとしても活躍している人物(現在は政治家でもある)で、インタビューではラトビア映画史全般に関して尋ねた。Ievaはアニメーションの研究者でもあったので、ラトビア・アニメーション史について語ってもらった。俺が運営するワンマン映画雑誌"鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!"でインタビューを公開しているのでぜひ読んでほしい(AgneseインタビューとIevaインタビュー)この2人にはラトビア映画に関して本当に多くのことを教えてもらい感謝している。今でも親交が続いているが、この繋がりが更なるラトビア文化への繋がりを俺に齎してくれることになる。
こういうなかなか濃密な経緯で俺はラトビア文化を旅してきた訳だが「ソビエト・ミルク」を読んだ後、とうとうラトビアの小説家たちにFacebookを通じてメッセージを送り始める。
"自分はラトビアの文化が本当に大好きで、今はその文学に嵌っています。なので色々検索していたら、あなたの名前と作品を見つけました。悲しいことにラトビア語は読めませんが、しかし英語訳はあったりしないでしょうか? ぜひとも読みたいです!"
こんなメッセージを興味を持ったラトビアの小説家に片っ端から送った訳である。"そんなん返信来ないだろ"と思う読者の方が多いかもしれないが、いや意外とFacebookの友達申請は普通に受理され、かつメッセージも返ってくるのだ。もちろん返ってこないこともザラだが、ダメで元々なので何も気にならない。彼らはまず私が何故そんなにもラトビア文化が好きかに驚き、それからメッセージに丁寧に返信してくれる。肝心の英語訳についてだが、あるんだなこれが。ラトビア、というか私が根城にする東欧の芸術家たちは基本英語が堪能なので、作品を自分で英語訳しているという人物が少なくない。彼らはそのファイルをどこの馬の骨とも知れない俺に送ってくれる訳である、有難いことだ。こうして俺はしばしラトビア文学の喜びに浸った。Elvīra Bloma エルヴィーラ・ブロマ、Osvalds Zerbris オスヴァルツ・ゼルブリス、Lote Vilma Vītiņa ロテ・ヴィルマ・ヴィーティニャ、それから先述のIevaにも短編小説を読ませてもらった。この場を借りてぜひ感謝したい。
そんな中、俺はInga Žolude インガ・ジョルデという小説家にメッセージを送った。彼女は若手作家の中でも最も注目される人物であり、2011年にはEU文学賞を獲得するなど、ラトビアを越えてヨーロッパを股にかけた知名度を誇っている。正直返信は期待していなかったが、驚くことに返信が来た。ラトビアへの俺の関心の高さに興味を抱いてくれたとともに、彼女は2019年にラトビアへ3人の日本人作家――中島京子、小川糸、小佐野弾――を招聘し、リガ短文朗読会というものを開催したと教えてくれた。余談だがラトビアの文芸関係者と話をする際に日本文学について話題を振ってみると、村上春樹よりも先にこの3人の名前が挙がる。それほど彼らにとっては朗読会のインパクトが大きかったようだ。こうして俺はŽoludeとの会話に大きな手応えを感じた訳だが、こういう時に俺は大胆になる。一か八かの凄い申し出をする。
"実を言うと、私には1つの大きな夢があります。それは自分の作品がラトビア語、Aivars Freimanisやノラ・イクステナという偉大な芸術家が駆使する美しい言語に訳されることです。そこでなんですが、英語で書かれた2020年代最新の日本文学に興味がある方を知りませんか?"
"おいおい、何だコイツは?"と思われてもしょうがないが、Žoludeは喜んでそんな人物を紹介してくれた。そのなかの1人がVilis Kasimsだった。
早速、彼に自己紹介のメッセージを送った。ここでもまあ返信は期待していなかったが、彼はなかなかに乗り気で俺はすぐに自分の英訳作品を送った。こうして待つ時間はかなり不安で緊張させられるが、同時に死ぬほど興奮する。ルーマニアの文芸編集者にルーマニア語で執筆した作品を送った時も、同じ気分だった。例えば日本において新人賞に送っても結果が分かるのは数か月から1年後なので、緊張というよりも忘却と諦念が先立つ。だがこの俺という小説家の作品と1人の編集者の戦いは数日で終る、だからその数日緊張がずっと続く。精神的に疲労する、だがなかなか悪くない気分だ。
そしてこの時、俺の作品「鴨のように飛ぶ」(このnoteに日本語版が掲載されているので良かったら読んでほしい)はVilisという人物の心を勝ち取ったんだった! つまり俺の作品がラトビア語に翻訳され、ラトビアの文芸誌に掲載されるッ! 凄すぎるだろ、これは!(ついでに原稿料は50ユーロ、まあラトビアの以前の通貨単位ラッツでないことは残念だった。ちなみにルーマニアはレイである)そして編集のVilisと翻訳家のLauris Veips ラウリス・ヴェイプスと話し、計画は少しずつ進んでいった……はずだったんだけども、いつの間にか続報が途絶えてしまい"まあ、そういうこと良くあるよな"という感じで時が過ぎ去っていった。
そうして数か月の時を経て、Vilisからメールが届いた訳である。このメールが来た時の驚きたるや本当に大きなものだった。クローン病と診断されて完全に寝たきり状態になっていた俺のもとに、遠きラトビアから突然祝福が齎されたかのようだった。傷ついた肉体と精神を何とか奮いたたせて彼とメールを遣りとりした後、いやマジに、いやマジに俺の短編「鴨のように飛ぶ」が"Lido kā pīle"というラトビア語の新しい名前をもらい、そしてラトビアのオンライン文芸誌Punctumに掲載されたのである。
冒頭を比較してみるとこんな感じである。ラトビア語翻訳の原文は、日本語版から俺自身が翻訳した英語版なので、細部は微妙に違うのだが、それでもこんな風になるのか!って感動がある。夢のような気分だよ、だってラトビア語だぜ、どんだけ稀なことだよ、どれだけの日本人の作家の小説がラトビア語に翻訳されてる? あまりにカッコよすぎるだろ、そりゃもう有頂天に決まってる。それから先述した「ソビエト・ミルク」の作者であるノラ・イクステナが、俺の短編を読む可能性が生まれた訳である。クールすぎて、今じゃなきゃいつ興奮すればいいんだ?
そして今、Vilisとは小説家と編集者以上になかなかいい友人として、ラトビア文学や日本文学について話している。彼もリガの散文朗読会に関わっていたらしいし、小説家ではフリオ・コルタサルが好きらしい、最高じゃあないの。それから彼もまた小説家(かつ英語/ロシア語-ラトビア語の翻訳家)でもあり、自身で英訳した短編を読ませてもらったが、胸を打つ作品だった。今後、どこかで紹介できないかと思っている。彼のおかげで他のラトビアの若手作家と交流ができるようになったのは本当に有難い。更に映画の面ではAgneseが勤務するラトビア映画センターがラトビア映画史の古典を英語字幕つきで無料配信してくれており、最悪の状態は脱したとはいえまだまだベッドから簡単に離れられない俺には願ってもないものだ。ラトビア映画レビューに関してもどこか別の場所に書いていきたい。
今、俺はラトビア語を勉強している。これが俺を精神の断崖から救ってくれたラトビアやラトビア文化への恩返しになるかは分からない。だがコロナウイルスとクローン病のダブルパンチでラトビア旅行もままならない今、やるべきはこれに思える。今まで勉強してきた英語やルーマニア語、アゼルバイジャン語とはまた違う文法がここには広がっており、正直かなり苦戦している。だが、だからこその楽しさがあるとも言える。これからラトビアと深い関係性を築けたらと思う。もしかすると、それが俺にとっての生きる希望にも繋がるかもしれないのだから。
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【済藤鉄腸のすぐに使わざるを得ないラトビア語講座その1】
Ej dirst, Krona slimība!
エイ・ディルスト、クルオナ・スリミーバ!
(クソ喰らえ、クローン病!)
☆ワンポイント・アドバイス☆
ルーマニア語とまでは行かないけど、ラトビア語も割とローマ字読みでそのまま行ける(というか英語とフランス語がクソなんだよ、ボケ!)一方で、結構特有のアルファベットが多いぞ。例えばこの文章には"ī"があるけど、これは長母音の"イー"だ。ルーマニア語の"î"(唇を奥に引きながらの"ウ")と似ているけど間違えないでね、自分は何度も間違えたわ。そしてこれ以外にも"ā"や"ē"や"ū"など、この屋根みたいな記号がある母音は全部伸ばして発音しよう。このフレーズを使う時っていうのはもちろん、君がクローン病に罹ったその時だ。ちなみにこれを教えてくれたのは先述の友人Ievaだ。彼女が言うにはこの"Ej dirst"がベーシックな"Fuck you"で、他にも"Sūda Krona slimība!"とか、ラトビア語とロシア語が混ざった"Pis nahuj, Krona slimība!"が"クソ喰らえ、クローン病!"という意味で使えるらしいよ。みんなもラトビア人の前で言ってみよう! 結果がどうなるかには責任を持ちません。
私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。