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「クソ喰らえ、クローン病!」第12話~4月7日から8日にかけて

「クソ喰らえ、クローン病!」前話はこちらから

 4月7日の午後6時にガスが止まった。父親から風呂が沸かせないと言われて、母親の気が動転してしまう。狼狽しながらも色々と確認するなか、俺の家だけじゃなく近隣一帯でガスが止まっていることが発覚する。母親は隣人たちと相談した後にガス会社に連絡、すぐに作業員がやってくる……実を言えば、この風景を実際に見ていた訳じゃあない。俺はクローン病の調子が悪くてベッドに臥せっていたからだ。だけど人々の声は聞こえてきてて、俺の耳はいやに敏感な形でその響きの数々を貪り、脳髄は風景を創造していったんだった、現実と当たらずも遠からずの風景を。
 作業員がガスの状況を確認しただろう後、車の群れが到来するような音がして、そのまま工事が始まったのには驚いた。大地を震わすような轟音が夜9時に闇を抉るというのはここ一帯では珍しく、かなり違和感があった。そしてこの非日常感が俺にとってはそのままストレスになるのが分かったんだよ。自閉症スペクトラム障害のせいで、ルーティンから外れた状況への拒否感は深い。いったんこの状態に追いつめられると、精神的な疲労が幾重の波紋さながら俺を苛むようになる。
 だが今回は肉体的な疲労や苦痛も現れて、腹痛が酷くなった。大腸を蠢く液体金属が増殖を果たし、更に大規模な形で腹部を苛んでいくんだ。工事の轟音の奥からですら、腹部から首をもたげる音が聞こえるんだよ。ボゴボゴとマグマから気泡が浮かぶ光景が想起させられるほど、不快なまでに力強い。この苦痛と響きに晒された腹部から肉や血潮が廃滅されていき、いつしか黒い虚無へと変貌していく、そんな感覚があった。痛みは淀みながらも鮮烈で、マジに俺はベッドから動けなかった。
 それでも何とかこの状況に自分を慣らす努力をして、身体を動かそうとする。その努力はある程度実ったが、不快感からは逃れられない。俺は、いつもは2階の自分の部屋で寝ているけど、腹部の調子がかなり悪い時はすぐトイレへ行けるように1階のリビングで寝る。この日もそうしようと決意した。橙色の夜灯に包まれる感じを、喜ばしい違和感として楽しもうとする、健常者が修学旅行を楽しむみたいにだ。
 ムラムラし始めたのでオナニーをする。窓の向こう側では工事ガンガンやってるのに、俺はペニスをしごく。そして射精する。惨めな気分になるのはまあいつも通りなんだけど、何故だか最近射精する精子の量が多くて煩わしい。クローン病で調子が悪くなった数か月前からそうなったような気がするが、これっていわゆる子孫繁栄の本能みたいなやつか。ほっといてくれよ生物の本能様、ティッシュやら水でペニスを洗う手間が増えるだけなんだからさ。
 寝ようと思うけど、当然眠れないよな。この突貫工事、深夜までやんのかよって感じだった。それでも轟音は午前2時くらいには収まったので、再び眠ることにする。ストレスに散々晒されたから、かなり腹痛と下痢に苦しめられる予感があったんだけど、身体は耐えてくれてすんなり熟睡できた。多分、ステロイド様様だな。

 翌朝も割と調子がよくて、映画配信サイトのMUBIで"Black Pond"という映画を観ることができた。南イングランド環境保全に励む人々を描いた作品だが、ただのドキュメンタリーじゃない。カメラは彼らが自然と交流する時の手に肉薄し、ほぼその手の画だけで映画が構成されている。この手の営みが無数に積み重ねられる最中、自然とそこに生きる人々への深い敬意と好奇心、何より映画作家自身の途方もない美学が交錯する。この光景が本当に美しいのだ。心が引き締まると同時に浄化される、そんな映画体験だった。
 感動した末に、俺はこの映画作家の次回作である"Those That, at a Distance, Resemble Another"を続けて観た。これは美術館で象牙の修復に携わる人々を描いたドキュメンタリーだ。冒頭、1人の女性が象牙のレプリカを製作する。彼女の爪に横たわる鮮やかなマゼンタのネイル、皮膚の無数の皺に入り込んだ粉塵の白み。このささやかな手の営みのなかで、2つの彩りが等しく輝くかけがえのない瞬間を見た時には、もう俺は今作の世界に没入していた。何てささやかで、大いなる1作なんだろうかと感動を抑えられなかった。
 2作を監督したJessica Sarah Rinland ジェシカ・サラ・リンランドは英国とアルゼンチンを拠点とする映画作家だ。2作のようにほぼクロースアップされた手のみで映画を構成する、やろうと思えば誰にでもできるだろう。だがこれほど真摯な作品は手を動かすという営みへの深い敬意と好奇心がなければ絶対生まれない、俺はそう確信していた。観たのはたった2作だけだが、既に俺は彼女へ全幅の信頼を置いていた。
 朝からまた突貫工事が始まり、轟音が響き渡る。いつまで工事が続くのか分からないが、取り敢えず早く風呂に入りたい。だがそのうち、工事の轟音は確かに煩いんだけども、その奥から作業員たちがお喋りする声が聞こえてきたんだった。最初は仕事しろよって思ったよ。だけどその響きは何だか和気藹藹としていて、いつの間に羨ましくなった。そういう楽しい気分を、俺も味わいたかった。そんな時に父親が俺のもとにやってきて「髪、切らないか」と言ってきた。身体が震える。確かに大分髪を切っておらず、俺の脂ぎった黒髪は嵐に見舞われたような酷い装いになっていた。もう切るしかないかとは思うけども、躊躇いがある。
 ここで説明するべきことがある。俺の父親は美容師で、家に隣接された美容室で働いている。だから俺はずっと父親に髪を切ってもらってたし、他の誰かに切られた覚えがない。高校生の頃は色々とワックスを使い、髪を立てまくっていた。だから髪を切る時にも、言葉少なにだが髪型の相談をしていた。でも大学生になり人生が急転直下の下り坂になった頃から、俺はニット帽を被り始める。色んな事件が重なり鬱病になって、そんな自分をひた隠しにするようにニット帽を被った。四六時中、春夏秋冬被り続ける。クソみたいな猛暑の時ですらだ。ある意味でニット帽はスヌーピーに出てくる安心毛布のような役割を果たしていた。当時通っていた精神科医に「1回脱いでみようか」と勧められるが、結局脱げなかったのを覚えている。実際今でも被っていて、ルーマニアの文芸誌に載せた宣材写真でもニット帽被ってるよ、俺は。
 そしてこれはある意味で美容師でもある父親という権威への反抗心が、思春期からは遅れたけど芽生え始めたということだったのかもしれない。第1話で書いた通り、父親は"無口で言葉をほとんど発さない故に、俺にとって圧倒的なまでに理解を越えた存在、無音で聳え立つ権威としてそこに在"るってそんな感じだった。そして俺は安全圏で反体制主義者を気取りながら、そんな彼に対する、そして父権に対する恐怖と従属心へ未だに囚われている。それでも反抗していない訳じゃないんだよ。
 午後1時に美容室へ行き、髪を切る。高校の頃はあれだけワックスを付けてたのに、今や髪を霧吹きで濡らされるのすら嫌悪感を覚える。父親は凄い勢いで鬱蒼たる俺の黒髪を切り落としていくけど、その時は確かにサッパリしていくのを感じたんだった。
 この間、俺と父親はほぼ会話を交わさない。俺は目の前に置かれている江口のりこが表紙の女性自身を読み、父親は俺の髪を切る。俺たちの間に介在するのは髪が切り落とされる音と、工事現場の轟音だけだ。正直言えば、父親に何か言われるのが怖かった。クローン病のことを話されるのが一番怖い。多分内心では息子を心配しているだろうが、実際には何を言うのかが予想できず、髪を切られてる時にはずっと神経が緊張していた。俺には沈黙が突きつけられる。沈黙っていうのはやっぱり読み取るのが難しいよ。一応俺は自閉症スペクトラム障害だけど、言葉を読み取るのはクソほど小説を読んだり自分で書いたりしてきて学んだ。だが沈黙は全く質が違うんだ。俺の理解を越えている。それは父親という存在への恐怖とも繋がっているのか、この関係性が変わる時がいつか来るのか。苦痛と死がより近くなった今、そう思わされるんだよ。
 散髪が終り髪が短くなって、俺の今の顔が露出する。特に感想が思い浮かばない。
 午後2時にインスタントラーメンを作る。小麦が無理なクローン患者でも食べられるような素材で作られたラーメンらしい。調理してから、鍋から直接食べる。韓国映画に出てくるカッコ悪い、人間臭いやつらは皆そうやってラーメンを喰らっていた。正直言って、麺が口に入った瞬間に落胆を覚えざるを得なかった。コシのレベルがラーメン専門店はもちろん、他のインスタントとすら格段に違って、悲しくなった。でもラーメンを喰らうのは久しぶりで、かなりの勢いで喰らったんですぐ無くなった。多分、これからもこのラーメンを喰らい続けるという予感すら覚える。そこで気づいたのは、いつの間にか工事現場の轟音が消えていたことだった。

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【済藤鉄腸のすぐに使わざるを得ないルーマニア語講座その11】
Tatăl meu, care e coafor, zice că părul meu e pârdalnic de firm, ca Excalibur înțepenit în pământ. Cu toate această, îmi taie părul. Păi, mulțumesc frumos.
タタル・メウ、カレ・イェ・コアフォル、ジチェ・カ・パルル・メウ・イェ・プルダルニク・デ・フィルム、カ・エクスカリブル・ウンツェペニト・ウン・パムント。ク・トアテ・アチェアスタ、ウミ・タイエ・パルル。パイ、ムルツメスク・フルモス。

美容師である父は私の髪は悪魔的なまでに硬い、まるで大地に突き刺さったエクスカリバーのようだと言います。それでも彼は私の髪を切ってくれます。まあ、ありがとうございます。

☆ワンポイントアドバイス☆
"Pârdalnic de"は以前紹介した"afurisit de"と似たようなスラングで、程度の甚だしさを示すよ。形容詞として"悪魔的な"という意味もあるので、訳は"悪魔的なまでに"にしてみたよ。ルーマニアの人が言ったのを見たことがないけど、dex.roっていうオンライン辞書が"今日のルーマニア語"って感じでこのフレーズを紹介していたので使ってみました。"Mulțumesc frumos"は"ありがとうございます"という丁寧な感謝の言葉だ。"Frumos"は元々"美しい"という形容詞で、つまりドイツ語の"ありがとうございます"である"danke schön"の"schön"と同じ意味な訳だね。ちなみに作者はドイツ語も勉強したことがあるけど、定冠詞の壮絶な格変化に挫折したよ。オランダ語のシンプルさを見習えよ、全く。


私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。