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コロナウイルス連作短編その76「ポルトガル流のさようなら」

 骨髄に異常があるかもって、片派友里が言う、かなりヤバそうだね、他人事のような言い方に父である片派貴秀は泥濘のような哀しみを味わう。大丈夫だ、貴秀はラーメンを啜る、大丈夫だよ、ラーメン喰ったら元気になるに決まってる、腹も血液もすぐ治るさ、おどけたような彼の声を尻目に、友里は大量の麺を箸で取りそれを啜っていくのだが、実際に唇に入っていった量は少ない。貴秀もまたラーメンを啜る速度が遅くなり、心を奮い立たせて麺を鯨飲しようとしながら、否応なく肉体の動きが鈍くなっていくのを感じる、指が無力な白アスバラガスのようになる錯覚を抱く。
 高校生である友里はバスクの闘牛が持つ類の逞しい首を持っていたが、最近それが痩せ細っていくのを貴秀は見ている。彼女の体調自体が少しずつ、妙な頻度の下痢や腹痛とともに、歩くような速さで衰えていくようで、それは女性によくある軽い貧血が原因かと思われたが、症状はそれ以上のものになっていき、だが友里自身は、別に大丈夫だから、心配すんなって、そんな態度を崩すことなく、今思えば貴秀は友里が見せる空元気の楽観に甘えてしまっていた。ある日、仕事から帰ってくると、友里が玄関に座り、俯きながら激しく胸を上下させていた。こんな娘の姿を彼は見たことがない、7年前に亡くなった母の片派江子譲りの体力と身体の逞しさを貴秀も友里自身も誇りに思いながら、今の彼女は1910年代のサイレント映画に出てくる、貧困と絶望に打ちひしがれたホームレスのようだった。病院行かなきゃダメかも、友里が言った、病院行かなきゃダメかもしれない。
 久しぶりに駅前のラーメン屋で濃厚な豚骨味噌ラーメンが食べられて、友里は嬉しさを感じる、最近は体力の衰えとともに食欲も不振になり、父が作った料理をあまり食べることはできなかったが、どうしても、まあ良くあるダイエットだよ、という風な月並みな言い訳を貴秀に、なるべく軽薄を装いながら言ってしまう自分に気づいていた。心配をかけたくなかった。だが限界が来て、父に付き添われながら病院へ行き、そこで処方された薬を飲むと少しずつ食欲不振も回復し、次に病院へ行く時にはラーメンを食べに行こうと彼と約束したんだった。だが濃厚な筈のラーメンの味は頗る掠れている。1回目に行った血液検査の結果が出たのだが、赤血球や血小板の数値が異常で、かつ肉体の炎症度数を示すCRP値が9.6を記録しており――その平均値は0.3だという――大きい病院で検査すべきだと医師は2人に通告したのだった。雨なんか結構強くなってるね。
 雨なんか結構強くなってるね、窓の外を眺めながら友里がそう言った、花粉に雨ってマジで最低、そう言うなよ、貴秀が言った、お前のママは春が1番好きだったんだから、別にそんなこと知らんし私は秋の方がいいよ、貴秀は友里の切り立った頬骨を見る、何か"ちょうどいい"って感じだから。
 娘のそのぶっきらぼうな言い方が妻に似ているので貴秀の心臓がギュっと縮まり、瞬間、病室のベッドに横たわっている江子が薄く笑いながら、彼の耳をギュッと掴むとそんな記憶がまざまざと蘇る。痛みを伴う郷愁が彼を包む。また幸せになっていいんだよ、だが彼の脳裏にそんな言葉が響いた。
 飯間安芸と出会ったきっかけは、友里が買ってきた外国の小説で、リビングで彼女がそれを読んでいるのを見つけ、少し尋ねてみるとポルトガル文学の翻訳ということで興味を惹かれる、というのも彼も江子もポルトガルという国が好きで、2人で何回か、そしてもっと小さかった友里も交えもう1度だけ、その国へ旅行へ行っていたからだ。彼女が読んだ後、本を貸してもらいそこで描かれるポルトガルの田舎町の風景に想いを馳せる、初めてこの地へ旅行したのは江子と恋人関係になってから1年後、大学3年生の時だった。
 この旅行の経験、そしてこの読書の経験は彼の心をポルトガルへと旅立たせ、ふとした瞬間にはネットでポルトガルについて調べるくらいには気になってしまう。そしてとうとう手にしたのは旅行ガイドではなく、ポルトガル語のテキストブックだった。今さ、貴秀は同僚である渡利宗吾に話す、ポルトガル語勉強してるんだよ、すると驚いたことに宗吾は友人にポルトガル語の通訳がいると話す、そしてオンラインで個人授業もしてるから紹介するよと勧めてくれる。発音だとか日常会話はアプリ使ってネイティブに学ぶ方がいいけど、宗吾は言う、文法に関しては言語を外部から観察できる外国人、特に同じ言語を母語にしてる教師に学ぶべき、って俺のその友達は言ってた、宗吾は笑う。
 そして彼を通じて幾度か連絡を取った後、貴秀はZoom上で初めて飯間安芸と顔を合わせた、年齢は聞いていないがおそらく同世代、瞳の色は錆びた車体のように老成され艶やか、首は友里とは逆に鶴さながら細くしなやか、だがひと際目についたのは喉ぼとけの近くにある少し大きなホクロだ、Zoomの荒い画質のなかでも何故だか際立って貴秀の視界に入ってきた。安芸の物腰はいささか固く、メールの無機質な文体をそのまま反映していると最初は思える、だが教え方は丹念でかつ丁寧、その合間のふとした瞬間に膨大なまでのポルトガルやその文化への知識を彼は惜しげもなく貴秀に共有してくれる。手を動かし、唇を動かしながら、貴秀は彼の言葉を通じてポルトガルへ旅をし、時々はその話が夢で映像として再現される。横には江子がいた、あの時から歳を全く取っていない。嬉しかったし、悲しかった。そして起きた時には決まって、頬に涙が通った残滓を感じた。友里に見られないように、いつも強く、強く擦り、その痕跡を消し去る。
 コロナ禍だったが、誰かと会うことの楽しみを忘れたくない。貴秀と安芸はUm Adeus Portuguêsというポルトガル料理店へ赴く、その言葉の意味は貴秀でも分かる、"ポルトガル流のさよなら"だ、これは有名なポルトガル映画の題名を引用してるんですよ、安芸が言った。出てきた料理はカルドヴェルデ、鮮魚のエスカベッシュ、タコとパプリカのマリネサラダ、干し鱈のクリームグラタン、オマール海老のカタプラーナ、岩中豚のロースト、たまには直接こう人と会って会話を楽しむくらいさせて欲しいもんですね、貴秀が言う、安芸が笑う。安芸が鞄から取り出したのは1冊の本で、表紙にはFederico Pedreiaraという作者の名前と"A Lição do Sonâmbulo"というポルトガル語が記されており、この題の意味が貴秀には分からなかったが、それ以上に驚いたのはこの本が昨年発売されたばかりの新しい小説であることで、それにしては、長い時をかけて安芸によって読み込まれたという風な暖かみある古さが濃厚だと思えた。しかし許可をもらい中身を確認すると、あらゆるページに青い文字で書きこみが成されており、この使い古され感も納得のものだと思える、この題名の意味分かりますか、いや分からないですねえ、"夢遊病者のレッスン"という意味です、へえ、中身は一種の告白文学、ルソーの『告白』や三島由紀夫の『仮面の告白』といった作品に連なるものですが、冒頭においてこんな文章が現れます、"小説家という存在は主観性に負うことなく、自己に無思慮であることなしに、ごく個人的な経験について書くことはできるのか?"と、とても入り組んだ、複雑な小説ですが、だからこそ本当に読むのが楽しいです。貴秀が本を返すと、彼は左手でそれを受け取り、右手の人差し指と中指でで"A Lição do Sonâmbulo"というタイトルを撫でる、そこから目を背けることができない。
 この後も2人はZoomを通じて交流を続け、時には公園へと赴き、抜けるような青空のもとで言葉を紡ぎあい互いに笑顔を共有する、何かスゲー嬉しそうじゃん、そう友里に言われた時に貴秀は思わず照れ臭くなるが、そんな笑顔を安芸も見ていてくれたらと思うと、唾が熱を放ち始めるのに気づく。そして貴秀は安芸から、私の家で一緒にポルトガル映画を観ませんか、そう誘われる。パウロ・ラウレアーノ、彼の作るポルトガル・ワインが1番だ、安芸の高揚した言葉通りその赤ワインの芳醇さには思わず陶酔してしまう。2人はヴィトル・ゴンサウヴェスという人物が監督した『ある夏の少女』を観る。小麦色の憂鬱のなかに、1人の少女がその心を彷徨わせる一方で、愛を抱く青年は彼女の軌跡を追い続けて、ポルトガルという名の迷宮を行く。その風景の数々は今にもバラバラになってしまいそうな予感を宿しながら、切実なメランコリーによって繋ぎ留められ、しかしそこから現れるのは胸を掻き毟られるほど美しい虚無だ。息を呑みながら、ゾッとする。目が離せない。同時にこの少女の姿に、友里の顔にかかった影を見出した。
 だがワインで少しだけ頬が暖かくなったのを感じた、ふと安芸の方を見るとその左頬が紅葉色に染まっているのに気づいた、俺のもこんな感じになってるかな、そして彼の首のあの少し大きなホクロ、そこに少しどころかかなり長い毛がニョロと生えているのにも気づき、貴秀は笑いを抑える。そのうち静謐が彼らを包み込んだ。気まずくはない、むしろ波の揺蕩いに浮かぶようで心地がいい。そのうち貴秀の鼻にある匂いが届く、安芸のくぐもった体臭、擦れた葉々の青臭い匂い、焔に焼かれ絶叫をあげる獣の匂い、2つの狭間にあるような生々しい匂いに脳髄が揺れ、だが彼はむしろ微睡みすら感じた。貴秀の左手と安芸の右手が重なる、視線が交錯する、貴秀が手を握ると安芸がその力に応える、2人はキスをした。
 久しぶりに味わう、言葉を越えた感覚にしばし浸り、そうして唇を離した後、互いの唇の間から滑稽なまでに涎の細い線が現れているので、納豆みたいだな、そう2人は笑った。首にホクロあるでしょう、貴秀が言う、そこに滅茶苦茶デカい毛が生えててそれがすごい抜きたいんですけどいいですか、貴秀の申し出を安芸は緩んだ笑顔で了承する。右の人差し指と中指で慎重に毛を摘み、引き抜く。痛いなあ、安芸はそう不平を言うが毛は抜けていない、もっかいもっかい、再び毛を掴んで抜き取る。今度はちゃんと抜けたんだった。別に床に落としていいですよ、安芸はそう言うが貴秀は立ち上がって、テレビの横に設置してあるオレンジ色のゴミ箱のもとへ赴き、そこに毛を捨て、後ろを振り返る。また安芸の笑顔を見ることができた、また安芸の笑顔を見ることができた。突然、涙が溢れて止まらなくなる。安芸が急いで立ち上がり、貴秀を抱きしめる、彼は思わず7年前に亡くなった江子について話す。俺、こんなに幸せでいいのかなあ。貴秀は言った。
 いいんですよ、また幸せになっていいんだよ。友里は麺を啜り、それを美味しく感じながらも、この行為すら努力を必要としている現状に気づく、麺に濃密な重さを感じ力が失われる、前はこのくらい余裕で平らげられたのにと思う。窓からは雨が激しくなっていく様が見てとれた。早く食べた方がいいねこの雨は、友里は食べるのを急ぎながらも内容量はほとんど減っていくことがない、残しても大丈夫だぞ、無理して食べるなよ、その労わりの言葉が癇に障る。友里は食べた、友里は食べた、意地でスープまでもを飲み干してしまう。まだ大丈夫だな、そう思った。
 店を出ようとするが、この時期にしては雨が異常に強くなっており、もはや嵐のレベルに至っている、ラーメン喰ったのが運命分けたね、友里が笑うと貴秀も笑った。しばらくは止むか勢いが弱まるのを待つけれども、むしろ雨は強烈さを増すばかりで、友里はそのまま雨の弾幕を突き抜けてやると決意する、いや大丈夫か、貴秀の心配をよそに雨の巷へと躍りでる。だが傘へと粒が突き抜けてくるのではと思えるほどの激烈さで実際は歩くことすらキツい、後から貴秀もついてくるが、あっという間に抜かされてしまい、友里は驚いた。父の歩みがこんなに早い訳がない、だが距離はどんどん離され、そのうち恐怖すら抱く。父さん、思わず叫ぶと彼は戻ってきて謝罪の言葉を口にし、その歩みはゆっくりとしたものとなり、何度も彼は後ろを振り向いて友里の進み具合を確認しながら、それにも関わらず距離は離れる。貴秀はまた足を止め、彼女が追いつくまで待つ。必死だった。その必死さで深く疲労し、肉体が悲鳴をあげる。
 親子3人で歩いてた時のことを友里は思い出す、小さい時は今よりも更に外を歩くことが好きだった、気分ばかりが逸りその歩みは走るのに近い早歩きだった。陸上部だった母は軽やかについていきながら、運動神経の鈍い父は息を切らしながら何とかついてきた、そして母が亡くなって2人で歩く時、子供じみた早歩きではなくなったが、陸上部で鍛えて歩くのが早くなり、父をいつだって置いてけぼりにする。おーい、そう貴秀に言われて後ろを振り向く。だが今、早く早く歩こうとしながら全くそれができないでいる。
 道の途中が水没しており、迂回せざるを得なくなる。貴秀が先を、力強くゆっくりと歩いていく、そのゆっくりですら友里には負担だ。突然、腹痛に襲われた。最初は小さい、だから家まで我慢できると思う、だが苦痛は加速度的に膨らんでいき、最後には蹲ざるを得なくなる。父さん、そう呼ぼうとするが声が掠れてでない。貴秀は進む、雨の向こうへと入ってしまうのではと思えた。友里は臀部の辺りに不気味な熱が広がるのを感じる、そうかと思った。後ろを振り向くと、友里が地面に蹲っているので、急いで駆け寄る。娘は力なく笑う、たぶん漏らしちゃった、えっ、いや何回も言わせんなよ、はははという乾いた笑い声が響いた後、彼女の瞳から雨とは確かに違う色彩を持った、あの涙というものが溢れだした。身体が痙攣するように震える、だが必死に抑え、貴秀は友里を抱きしめる。大丈夫だ、大丈夫、大丈夫なんだよ、俺たち幸せになろう、また幸せになっていいんだよ俺たちは、またあの頃みたいに幸せになろう、貴秀に抱かれながら、友里は思い出す、コスタ・ダ・カパリカ、そう、コスタ・ダ・カパリカって海に行ったんだ、楽しかった、海が今まで見たことない色をしてた、太陽も輝いてた、たくさん遊んですごく疲れた、でもホテルに帰るとき疲れてるのにすごくいっぱい雨が降ってきた、今みたいに強かった、雷まで鳴ってすごい怖かった、私はめちゃくちゃ泣いて地面に蹲って、そしたら父さんが抱きしめてくれて、それから母さんも抱きしめてくれて、何か言ってくれたよね母さん、忘れちゃったけど何か言ってくれた、雨も雷はどんどん強くなったけど私は大丈夫だと思った、泣くのを止めて大丈夫だと思った、父さんありがとう、だけど、母さん、会いたいよ、会いたいよ、母さん、母さん、

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。