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コロナウイルス連作短編その82「エリー・ヴェルベーケ、或いはその防衛本能」

 エリー・ヴェルベーケが適当にネットニュースを読んでいると、ある記事を見つけた。Primaveraというモデル雑誌が白人しか起用していない、日本における時代遅れの白人コンプレックスには飽き飽きだ。そんなTwitter上の呟きが話題を呼び、これが記事にされていた。引用された呟き、そこに添付された写真に写るのはエリーだった。冷ややかな赤毛、過剰なそばかす、カメラマンから強制された物憂げな表情。なかなか悪くない写真、エリーは場違いにそう思う。そのうちこの状況が荒唐無稽に思え、部屋のなかで孤独な爆笑を響かせる。腹部の脂肪が死滅したように思う頃、突然走った虫唾のままにゴミ箱を蹴りあげる。親指に馬鹿げた痛みを感じながら、タバコを吸う、そのまま10本を連続で吸った。こっちだって好きで白人として生まれてるんじゃあねえよ、ネット上のゴミ溜めにそんな言葉の刻まれた反吐を吐き捨てたくなるが、何とか押し留める。その日の夕食はスーパーマーケットで買ってきた海苔巻きチキンとガリガリ君ミント味だった。

 翌日、エリーは撮影に向かう。資本主義の塊のような服の数々を着せられる後、臀部をオレンジ色の小さな椅子に据えて、目を閉じる。その滑らかな、酷薄な生地が自分の皮膚に馴染むよう、数十秒間の瞑想を繰り広げる。靴のなかで足の指が蛆の大群さながら蠢く、顔の前で手の指が腐った白アスパラガスさながら絡みあう、左の膝関節で鈍い痛みが白濁した波紋さながら拡散する、この肉体の感覚を生地の感触に共鳴させる。いつもながら不愉快な経験だった。
 めまぐるしくポーズを変え、表情を変え、服装を変える。この反復のなかでエリーの世界は速度を増していく。自分が第2次世界大戦前後に作られた廉いハリウッド映画の登場人物になった気分を味わう。彼らの人生に余白はない、物語の効率性だけに奉仕している、そしてたった60分ほどで終り、観客からはすぐに忘却される。この加速主義から逃れるため、逆に世界が止まる瞬間を妄想する。映画の世界よりも写真のなかの住人になった方が気分がいい、凍てついた瞬間というものは情愛に溢れた暴力のようだ、もう何もかもが永遠に動かなければいい。エリーの願いは、だがカメラのフラッシュによって断絶を迎え、そのまま動へと投げ出される。
 休憩時間、ミニストップで買ったカルビおにぎりを食べながら、スタジオの周囲をフラフラする。前に人影が見える。角を下に向けながら歩く水牛のような妙なヨロつきで、彼女がルース・レオポルドだと分かる。2つの身体が近づく、ルースはエリーのマスクを着けていない顔を認めると、朗らかな笑みを浮かべ、走り寄ってくる。エリーはおにぎりを一気に食べ、マスクを着けなおす。ルースは最近モデルを始めたらしい大学院生で、最近よく鉢合わせするような気がしていた。そして理由は伺えないが、彼女はエリーを気に入り、慕ってくる。彼女とは日本語で話すが、その特徴的な訛りからオランダ人だと分かる、少なくとも独りよがりに予想される。エリーはベルギー人だった。モデルとしてはEllie V.という名前で活動し、名前からは出身国が伺えないようにしている。実際隠しているという意図はない、ただマネージャーが勝手にこういった名前をつけただけだ。ルースも日本語の訛りからエリーがオランダ語を喋れる人間だと分かっているだろうが、エリーがベルギー人であり、そのオランダ語は正確に言えばフラマン語だということまで分かっているかは謎だ。
 オランダ人の前でフラマン語を喋りたくはない。彼らはその言葉を嘲笑うように思える。オランダ語はアクセントが穏やか、フラマン語には相当な波がある、それでいて前者の響きはダイヤモンドさながら明確、後者の響きは海面に浮かぶ蜃気楼さながら曖昧だ。この曖昧でありながら荒んだ波濤の響きをオランダ人は好まない。率直な言い方か、さもなくば無言を貫くある種の狡猾な善良さを持つ彼らは、当然表立って嫌悪を表明はしない。だがその頬が、その瞼が、ヒルに血を吸われるかのように微かに痙攣するのが軽蔑の証だ。そしてベルギー人は劣等感を学ばされる。子供の頃、エリーは人並みにディズニーが好きだったが、テレビ放映される映画はフラマン語でなくオランダ語吹替だった。後にエリーがディズニープリンセスの物真似をすると、父であるヤンはあのヒルによる痙攣より露骨な嫌悪をあらわにする。その時にエリーが喋っていた言葉はフラマン語ではなく、オランダ語だった。
 おそらくルースとオランダ語で会話をするなら、アクセントや語彙に宿る微妙な差異が、自分たちは異なる存在であると思わせると、エリーは確信している。だが日本語で話すのならば、そこには自分たちが同じく"ガイジン"であるという奇妙な連帯感が現れる。彼女の方もそう思っている可能性は十分にあった。
 2人は道路を渡ろうとする。青い車が止まったので、エリーはタッタッと小走りで渡った。横にルースはいない、彼女はいつもと変わらぬ悠然とした足取りで道路を歩く。追いつくのを待ち、エリーが再び歩き始めた時、ルースが言った。
「日本人みたいだなあ」
 エリーが振向く。
「何が、どこが?」
「車の人のこと考えて、走ったとこ。そういうの日本人しかしない」
「ふうん」
 エリーは下唇を噛んだ。
「何も正直に言わない、人を褒めたり優しい言葉をかけない。日本人みたいな真似は止めて」
 それは母親であるシャンタルが、思春期の激動にあるエリーに言った言葉だった。エリーは彼女の首を一瞬本気で締めた後、部屋に駆けこんだ。母親の言葉が、いつまでも消化されない海藻の滓さながら脳髄に溜まり、エリーの行動を規定した。同世代のようにアニメや漫画といった文化には一切傾倒することないまま、エリーは日本語の勉強を始め、大学では言語学を通じその理解を深め、何となくの心地で日本に移住し、今はモデルとして活動している。特に際立った感慨はない。

 エリーはフィリップ・モンサラという黒人の青年と、彼の部屋でセックスをする。その肌の触れあいには、軽薄ながら軽妙な労わりがあり悪くない、過去にした酷いセックスを鑑みれば猶更だ。セックスだけの関係性を半年続けているが、特別な感情などは抱かない。エリーは自身が恋愛感情をそもそも持たないアロマンティックな存在だと思っていたが、結局はどうでもよかった。セックスを終えた後、2人は適当に缶ビールを飲む。今日彼が買ってきた種類には後味の甘さが夜尿のように口へ広がる、背徳的な感覚がある。エリーが一切の躊躇なく琥珀色の液体を唇へ流しこむ一方、フィリップはおちょこに入れた日本酒でも飲むように少しずつビールを摂取する。それでも既に彼は酔っていた、アルコールには頗る弱いタチだった。真逆の性質であるエリーには、そんなフィリップが可愛く思える。濃密な肌の黒味、その深奥から甘やかな赤の彩りが浮かび、エリーはそれを撫でる。ふとルースの言葉を思いだす。
「アンタって日本人みたい」
 フランス語でそう言ってから、ビール缶でその唇をこする。
「よく言われる」
 フィリップは笑った。
「君は日本人っぽくない」

 撮影が野外で行われる。カメラマンの赤座百をエリーは気に入っている。彼女は現在売り出し中の新鋭で、普段の態度は抜けるような青空さながらの弛緩した楽天さながら、撮影に差し掛かると便を捻りだす肛門括約筋のように真剣かつ全力だ、このギャップがエリーは好きだったし撮影もいつもよりマシな気分でいられる。
 撮影の合間、エリーと百は英語で会話する。Primaveraの白人コンプレックスを話題に挙げた。
「いや大変だったね、あの呟きにエリーの写真載っててホント驚愕っていう」
「まあ別にいいよアレは、気にしてない。けど百はああいうのどう思う?」
 百が鼻を掻くと、艶めかしい脂の光沢が現れる。
「日本のモデル雑誌とかがそうなんのは、まあ仕方ないんじゃないの。だって上層部が求めてる、読者が求めてる、日本社会ってやつがそれを求めてる。まあ時代遅れだとは思うけど、ぶっちゃけ私が意見できるようなものじゃあないし、ハハハ」
 百は頬を膨らませて、ウシガエルのような面になる。すぐに息を吐き、普段の表情に戻る。
「これは内緒話って感じでね……私自身は白人を撮影するのが1番楽しいし、すごく気分が乗る」
 百の言葉への興味が、エリーの口角を上向きにする。
「アジア人はクソ貧相で、撮ってて手応えみたいなの感じないんだよね。アラブ系とラテン系は逆に濃すぎて、こう網膜が焼けるから無駄に疲れる。黒人は論外、醜い。白人が最も美しくて均衡……いや、もっと恰好いい言葉ないかな、秩序っていうの、そういうのがある。それを私のカメラでフレーミングして、切り取るっていうのが気持ちいい。暴力みたいな感じでね」
 百は自身の腹部に視線を向ける。
「これを表立って言うと絶対ヤバいから秘密にしてるけどさ、何で醜いものを醜いと言って、美しいものを美しいということが咎められなきゃいけないんだよっては思うよね、正直ムカつく」
 エリーは笑った。

 夜、エリーはコンテンポラリーダンスの映像を眺める。4年前にベルギーへ里帰りした際、友人に連れられ初めてコンテンポラリーダンスというものを観劇した。その前までのイメージは難解かつ退屈で独りよがりというものだったが、モロッコ出身の振付家ラドゥアン・ムリジガによるダンス劇"7"にこの認識を劇的に改めさせられた。人間の肉体が躍動する様を堪能するのはダンスの醍醐味だ。ムリジガが指揮するダンサーたちの舞踏はしなやかさを感じさせながら、そのしなやかさは人間でなくロボットのそれに肉薄しているように思われ、戦慄にも似た奇妙な高揚を味わう。そしてダンスの合間、ダンサーたちがマスキングテープで床に何かを描きだす。線の群れが緩やかさと緊張のあわいで錯綜する緻密な文様だ。これはムリジガの故国モロッコに伝わるイスラム教の幾何学文様だという。この儀式のような行為の後、文様を一種の重力と引力としながら、ダンサーたちは躍動する。この時エリーは人間の肉体以上に、それが躍動する空間自体を意識させられ驚く。視界とともに、感覚や認識が開かされる。共鳴するようにエリーの肉体もまた震えた。今でもこの経験を忘れることができない。
 エリーはYoutubeでムリジガの"7"の録画映像を観る。実際に観るのとでは全く異なりながら、液晶の二次元的な映像にすら新鮮な感動を抱く。視線は躍動から逸らさぬまま、エリーは右の手首をゆっくりと回転させる。機械化された波のように滑らかに動かしたいが、エリーの動きはただぎこちないものでしかない。ムリジガの舞踏に触れた後、自分でも踊ってみたいという欲望が芽生えながら、自身の才能のなさに幻滅しすぐに諦めた。ただこうして時々手首を動かす。

 休日の午後、ベッドでゴロゴロしているとルースからテレビ電話がかかってくる。2人は適当に酒を飲みながら他愛ない会話を繰り広げる。酔いが進むとルースの表情には影がかかりだす。彼女が話すのは、良い関係性を築けていたはずなのに何となく疎遠となってしまった日本人の女の子についてだった。
「スパゲッティ食べた、ズッキーニ入り。その後にケチャップまみれの口でキスして、すごく感じあってるみたい。だけど私がちょっと……急いで、それでその子が帰っちゃって、その日から何でかあの子の心が、離れていくという。そのまま消えてしまって、悲しい」
 ルースは啜り泣きながら、ゆっくりと日本語でそんな言葉を紡いでいく。エリーは自分でも驚くほど心臓にジンという熱を感じた。恋愛感情は持たないが、それでも理解と共感はできる。だがそれはある意味で強制された反応だ。理解させられる、このクソ社会に生きていれば。
 ルースは直接的に"悲しい"や"もっと一緒にいたかった"という自身の思いを吐露した。そのハッキリとした物言いをエリーは羨ましく思う。ベルギー人は喧しく喋り文句も躊躇なく垂れ流しながら、その言い様は人間がめぐる死への道筋のごとくどこか迂遠だ。子供ですら「食べたいアイスは何?」と聞かれ「どれでもいいよ」と自分の願望を隠す。何度も促されてやっと言えるのは「どれでもいいから、パパが選んでいいよ」という生殺与奪すらも相手に明け渡すような言葉だ。
 そんなことを考えているうちに、通話が終る。酔いを醒ますためにスープを作ろうと、キッチンで赤い鍋を取りだす。
「オランダ人はどうやってトマトスープを作ると思う? 赤い鍋にお湯を入れる、それで完成。だからあいつらの料理はマズいの!」
 折に触れて祖母がそう言っていたのを想いだす。それを聞く度に祖父が不愉快な顔をしていたのは、オランダ人はベルギー人より優れていると信じていたからだ。そしてオランダ語はフラマン語より優れているとも確信していた。

 適当に道を歩いていると、日本人の男が声をかけてくる。明らかにナンパだったが、珍しく流暢な英語で口説いてくるので暇潰しに付きあうことにする。
「君、何人?」
「ははぁ、ベルギー」
「いいね、ベルギー映画好きだよ」
「どうせダルデンヌ兄弟しか観てないだろ」
「いや、昨日は……名前の読み方がよく分からないんだけど、こんな名前の監督の映画を観た」
 勝俣空という名の男が掲げるスマートフォンにはJan Decorteというスペルが記してある。
「へえ、知らない」
「何か有名じゃないらしいね、この監督。舞台演出家としての方が有名らしい。でもこの監督は凄まじいね。『ピエール』っていう映画を観た。ある男の孤独な日常が、シャンタル・アケルマン、彼女もベルギー人だろ……アケルマンから継承したような崇高な即物性とともに描かれるんだ。食事をする、服を着る、仕事をこなす、道を歩く。だけどその果て、いとも容易く行われるえげつない、さりげない残虐、そんなものがゴロっと転がり出てくる。この監督は人間存在の底の知れなさを、ただただ静かにスクリーンに浮かべるだけだ。だからこそ悍ましいって思ったよ。ベルギー映画史の特異点、そんな感じだ」
 彼を面白いと思ったので、今も酒を提供するレストランへ一緒に入った。最初から勢いよくビールを飲みながら、エリーは尋ねる。
「アンタって白人フェチ?」
 空は日本酒を文字通り口から噴き出す。
「いや直球だな、そうやって変な質問されるの良くあるよ」
 彼の軽薄な笑いは不愉快なものではなかった。
「白人フェチというより自分よりも見た目も心も遠く隔たった人間に惹かれるんだ、僕はね。アジア人、特に日本人、中国人、韓国人は見た目が僕と同じ過ぎて少しも惹かれない。アジア系はインドとか南アジア系だけがギリで興味を抱ける。白人、黒人、ラテン系、アラブ系は自分と遥か隔たってる感じがあってそそるよ。人間は本能的に自分の遺伝子と全く異なる人間と生殖活動をしたがるって聞くけど、僕はその本能ってやつに露骨に突き動かされてる感じだな」
「白人、黒人、ラテン系、アラブ系で序列をつけるなら?」
 空は味わうように焼酎をゆっくり飲みくだす。
「君の前で白人は最下位と言ったら殺される?」
「別に」
「まあいいや。個人の好みとしてアラブ系は魅力的だけど毛が濃すぎるかな、眉毛が繋がっているのが耐えられないんだ。その他の人種に文句はない、全部理想的だ。ラテン系は濃厚な体臭がすごく好きで、包まれていると子宮で泳いでるような安心感がある。でも黒人と白人には敵わないな。黒人の肌の滑らかさを味わうともう元には戻れない、究極的に即物的な官能性は底なし沼だ。白人はもっと精神的に僕を高めてくれる感覚がある。魂が豊穣になる」
 空は明らかに自分とセックスしたがっていたが、酒を過剰に飲ませるうちにテーブルにつっぷし動かなくなる。エリーは金を払い店を出た後、フィリップの部屋へ赴く。彼とセックスがしたかった。
「いや、いや駄目だな」
 フィリップは突然の来訪者に苦笑いを浮かべる。
「酒で判断が鈍ってる状態のやつとセックスはできない。そんなセックス、気分が悪いだけだ。その前に酔いを醒ませよ、それでもヤリたいならじゃあヤろう」
 エリーはフィリップと並んでソファに座り、ホットミルクを飲む。熱はエリーの皮膚に対して優しい、そこから神経を通じてアルコールに火照った脳髄へ届き、その皺を愛撫するように満たす。テレビではネットフリックス配信の映画が流れている。柩のような低温ボットに主人公が閉じ込められている。彼女は全ての記憶を失ったままに脱出を試みる。その生存闘争はコロナ禍を生き抜こうとする人類の戦いを象徴しようとするように大袈裟で、退屈だった。
「これSF映画なのに現実すぎるだろ。侘しくなるな」
 フィリップは乾いた笑いを響かせる。
 結局セックスはした。その後、フィリップの火花のような体臭を感じながらTwitterを眺める。そこで日本に生きるコンゴ人の男性の記事を見つけ、思わずクリックした。難民申請を拒否されながら日本に住む彼の人生を軸として、コンゴ民主共和国の歴史や血腥い暴力に塗れた今の状況が綴られている。だが1番印象に残ったのは冒頭の何気ない文章だった。
 "1960年まではベルギーの植民地"
 それを知らない訳ではないが、まさか故郷の過去を日本語で突きつけられることを予想していなかった。そしてこれが齎す動揺は予想外に大きかった。歴史の授業、そこでベルギーという国の時の流れを教えた教師はマルセル・ファンデン・エンデという禿頭の男だった。だがどういう風にベルギー史を教えられたか、それを完全に忘却している。思い出さない、もしくは思い出せないのは脳髄の防衛本能なのか。
 そしてフィリップの黒い肌とコンゴという名が結びつく。もし彼がコンゴ人だったら? もし彼がコンゴ人で、そんな彼がエリー・ヴェルベーケという目前の人物はベルギー人だと知ったら? 背徳的な好奇心が首をもたげ、それがエリーの視線をフィリップの優雅な横顔へ注視させる。目を背けることができない。その泥ついた熱に気づくとフィリップは笑う、"いや、何だよ"とでも言う風に。いつもはその笑みを見ると気分が良くなった。今は気分が良くない。不穏な液体金属が大腸を這いずるようだ。
 何でこういう気分になってるんだよ、私は?
 フィリップのペニスにゴムを着け、騎乗位でセックスを再開する。そして彼を射精させる。

 家に帰り、ベッドに身を投げ出す。深淵へと呑みこまれる感覚がある。タブレットで観るのはモーレンベークで行われたラドゥアン・ムリジガの新作公演だ。"Tafukt"と題されたこの公演は、北アフリカの原住民であるベルベル人が代々紡いできた神話をテーマとした3部作の1本だ。中核にあるのはアテナと呼ばれる女神、彼女はベルベル人にとって重要な存在でありながら、ギリシャ人によってリビアの聖地トリトニス湖から地中海へと簒奪され、ギリシャにおける神話の奴隷とされた。液晶のなかでマイテ・ジャノリング――ムリジガが北アフリカのラップミュージックやケンドリック・ラマーの楽曲を基にして制作した"8.2"というダンス劇にも彼女は出ていた――が踊る、踊る、踊る。以前の"7"などの作品と違うのは、そのしなやかさが機械的なものから、緩やかに人間的な印象に変わっているということだった。生々しい儀礼的感覚がエリーの意識を攪拌する。
 いつものように彼女はクルクルと手首を回す、同じタイミングでダンサーも手首を回した。これも文化簒奪ってことだ、エリーはそう思う。手の甲に目を向ける。皮膚と肉を突き進む血管の色は吐き気だ。

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。