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コロナウイルス連作短編その99「反日浄化」

 昨日深夜から今まで、中原堅固は踊りまくっている。周囲には“コロナなんかクソ喰らえ”という同じ信念を持った同志が、厄災前と同じような大胆さで自身の肉体を躍動させている。常に空間を満たす極彩の瞬きは、黙示録の世界を満たす色彩のように思える。そんな時だからこそ自由だ、堅固は額から汗をブチ撒けながら思う、今こそが自由なんだ。
 堅固は、東欧はジョージアのエレクトロニカを愛す。今流れている曲もそうだ、ガシャ・バクラゼは現代最高峰のテクノ作家だ。彼の曲と初めて出会った時のことをありありと思いだせる。Mtkvarzeという名のクラブ、弾けるような高貴なる紫の彩、四方に聳えたつギリシャ建築を彷彿とさせる柱たち、濃厚な空間に犇めくジョージアの若き肉体たち。そこに現れたのがバクラゼが紡ぐ硫酸さながらに激烈なビートだった。鼓膜の真横で無数の火花が爆ぜ、いつしか脳髄が大炎上を遂げる。百烈する拳のような暴力だった。そんな衝撃的な痛みになぶられながら、自暴自棄のままに肉体を動かすことの至上の喜びだった。だがいつか、開かれた聖域のような場所へ導かれる瞬間がある。その時、堅固は超越的な何かに肉薄したような気がした。この感覚に近づくために、今だって踊っているのだ。
 だからこそ今、あまつさえコロナ禍において、ノマドという低劣な人種が軽薄にジョージアへ赴き、ヘラヘラしながら“物価安くて最高!”などという言葉を吐き散らかすのには虫酸が走る。特にあるノマド系Youtuberが、掌に刻んだタトゥーを下品に見せびらかしながら“トビリシでは全然英語通じます、特に若者は皆ペラペラ”と宣う姿は耐え難かった。堅固は今、ジョージア語を勉強している。その日本語から遠く離れた文法や発音、奇妙なまでに丸っこいグルジア文字を彼は愛す。言葉を学ぶことはその言語を使いながら生きる人々への敬意を培うことだ。それを根本から放棄する人間を、堅固は唾棄する。

 糞便を催すのでトイレに行き、個室のドアを開けるが、そこでは寝ぼけ眼をした人間がマリファナを吸っていた。面倒臭い匂いを放っている。堅固は最初この人間を女性だと思い、急いで入り口を確認するが、男子トイレだった。戻ってその顔を確認するが、男性にも女性にもどちらにも見える。どちらか分からない。その人間は完全に他の感覚を遮断しているとでもいう風に、緩慢な動きでマリファナを吸っていた。腕にはナスカの地上絵のような、理解を越えた紋様の数々がビッシリと刻まれている。
 タトゥーとマリファナ、今の世界で最も平凡な組み合わせだ。
 堅固は文字通り反吐を吐き捨てる。
 日本人のつけるタトゥーはもはやただのファッションでしかない、装飾は悪だ、タトゥーをつける人間は犯罪者か変質者しかいないとアドルフ・ロースは言った、今の日本はもっと酷い、タトゥーをつける人間は凡人しかいない、誰でも気軽にできる罪悪として平凡でないと思われたい凡人のお手軽道具に成り果てた、ジョージアの若者たちがつけるタトゥーとは訳が違う、切実な社会への反抗、権威へとブチ撒けられる壮絶な敵愾心、彼らのタトゥーは彼らによって生きられた本物のタトゥーだ、日本人の低脳がつけるタトゥーとは違う、ぬるい、そして日本のマリファナ愛好家の馬鹿なところはそれが認められるべきという文脈で、3兆円だか何だかの市場規模になるほど世界経済に浸透しているんだから日本で解禁されないのは時代遅れだと言うことに疑問の余地を持たないことだ、マリファナも反体制的なものだったはずだ、それが資本主義の歯車になって経済という搾取の尖兵になることをみすみす認めるのか、ハリウッドスターがこう言ってるから解禁しろとか言う間抜けも権威の犬なのか、マリファナが資本主義に取り込まれることを良しとする人間があまりにも多すぎる、こういう人間に限って安倍晋三の“反日”発言に“じゃ、自分も反日ですわ(笑)”と気軽に言ってみせる訳だ。
「俺も反日人間だけど、お前みたいな底の浅い反日を見ると厭な気分になるんだよ」
 堅固はわざとそう口に出して言った。目の前の人間はただ口をボケッと開いているだけだった。堅固はぺニスを露出し、刺激して勃起させるとそれをその口にねじこんだ。しばらく腰を振って射精した後、隣の個室で糞便を放出する。マスターベーションを行う際に顕著だが、肛門に便意が蟠っている状態で射精をすると、股間に熱い違和感が生じることがある。今、堅固はそんな状態にあったが、横から吐瀉物をブチ撒ける音が聞こえてきた。丁寧に肛門を拭いてから横の個室に行くと、床に倒れている肉塊があった。
 彼はスタッフを呼びにいくが、応対した顔見知りの上条赤根もマリファナを吸っていたので不愉快になった。
「コイツ、男か女かどっちか分かんないんだよな」
 身体を運びながら堅固は言った。
「じゃああれだ、宇多田ヒカルだ」
「は、何言ってんだ?」
「ニュースとか読んでないの、名前は忘れたけど、何か自分は男でも女でもない存在とか何とか言ってたんだよ、インスタで」
「ああ何かそういうのあったな、ジョージアにもそういうやつらいるよ」
「でも男でも女でもないとか言った癖に、資生堂のCM出てさ、“私にとって女性であることは、自分自身であることです”とか言っててさ、じゃあお前女性じゃねえかっていう。女性として資本主義に心臓を捧げます!ってね」
「そりゃ爆笑だな、爆笑」
 堅固は一切笑っていなかった。
 2人はその肉の塊を昼間の路地裏に捨てた。
「男か女か見分ける方法思いついたわ」
 彼女が言った。
「ズボン脱がせてチンポついてるか確認とかはなしな」
 赤根は死ぬほど臭い息を吐きだしてから、凄まじい勢いで肉塊の股間を蹴りあげた。反応はなかった。
「こりゃ女だね」
「もしくはマジで死んでるかだな」
 赤根はその傍らでスクワットを始める。しばらくそれを眺めていたが、急に気分が萎えたので帰ることにする。

 帰り道の途中で、都議選の投票に行く。元々、投票には行く気だったので投票券はポケットに突っ込んである。そして投票所に入り、紙に“うんこ”と書いて箱に入れる。こうして堅固は投票を終えた。
 歩きながら、ふと選挙の後に両親が小学生の彼をファミレスへ連れていってくれたことを思いだす。そこで食べた安いハンバーグの旨さを、彼は思いだす。そしてこれは自分の家族だけと誇りに思うも、モーニング娘の『ザ☆ピ〜ス!』という曲が流行ったのをきっかけに、同級生もなかなかの数が投票後に外食へ連れてもらっているのを知り、幻滅した。
 サイゼリアに行く。気のせいか、いつもより家族連れが多いような気がした。いつものたらこスパゲッティを頼む一方、サルシッチャのグリルと煉獄のたまごという新メニューが追加されていたので、それも頼む。ガシャ・バクラゼの新作アルバムObscure Languagesを聞いていると、すぐ時が過ぎ、料理が運ばれてくる。
 まず喰らうのはサルシッチャのグリルだ。最初はソースをつけずに喰らう。噛み応えが抜群に心地よいが、味はかなり素朴で物足りない。そこで噛み千切られた断面に、西洋ワサビと野菜風味のクリームがかけあわさったというレフォールソースをデロデロにつけ、喰らう。素朴さが驚くほどの豊かさを得たことに驚く。旨かった。2本すぐに平らげてしまった。悲しかった。
 次に煉獄のたまごを喰らう。グツと煮えたトマトソース、そこに蕩けてふやけた笑顔を見せる卵たち、それをパンで掬いとり、勢いよく口に持っていく。熱いのに、ふわっと柔らかい。矛盾が優しく織りあわされながら、口内に広がっていく。旨かった。これは老若男女に受ける味だと堅固はそう思う。そうして周囲を見渡すのなら、様々な家族が無邪気な笑顔を浮かべながら食事を楽しんでいる。このみなが、きっと煉獄のたまごを気に入るだろう。
 だが最後にはたらこスパゲッティに帰ってくる。堅固はたらこスパゲッティが好きだった。子供の頃から好きだった。スーパーで買ってきたたらこで母親が作るたらこスパゲッティも好きだったし、生協から送られるたらこソースで作るたらこスパゲッティも好きだ。インスタントのも冷凍のたらこスパゲッティも好きだったし、レストランで食べる高級なたらこスパゲッティも好きだった。だがサイゼリアのたらこスパゲッティは格別だった。ずっと変わらずに、自分を迎えてくれると思った。
 そしてたらこスパゲッティを喰らう。啜り、そしてこのスパゲッティに限って、噛む。深い旨みを、そして自分が生きているというこの幸せを、深く噛みしめたかったからだ。

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。