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コロナウイルス連作短編その85「良心なき世代」

 前田圭は食器棚から1枚の皿を取り出す。それは大分県で作られた小鹿田焼の大皿で、半年前に彼が買ったものだ。これを持った時にはいつも、そこらの量販店で買った皿とは格の違う、大いなる土の厚みと温もりを感じるんだった。そして皮膚が皿を包むとなると、心が引き締まり生への揺るぎない決意が堅固を増すのだった。その幾何学模様も魅力的だ。飛び鉋と呼ばれる手法で彫られた模様は、圭には無数のトビウオたちが波紋を描きながら海面を飛ぶ風景を彷彿とさせる。一方でこれを遠目から見ると、皿自体が黄金のアンモナイトにも見えた。小さな頃に県の教育センターで、母と一緒にアンモナイトのレプリカを作ったことを思いだし、心が暖かみに包まれる。
 圭はここに大量のパスタを置き、そこにたらこスパゲティのソースを2袋かける。料理は得意でないゆえ、この1万の大皿に見合う料理を盛りつけることは殆どないが、この皿から大味なたらこスパゲティを啜るというのもまた乙なものだった。今日もまた圭はアンモナイトの祝福に包まれながら、パスタを貪る。旨かった。徹底して不健康な塩辛さが口内で爆ぜた後、食道を凄まじい勢いで疾走する。この感覚が堪らない。パスタを啜りながら北京に住む友人であるリ・シャオフェンと話す、彼より10歳ほど年下であるが映画作家として既にロッテルダムやロカルノといった世界的映画祭で作品が評価されている。以前、圭も北京に住んでいた頃、その撮影に参加したことがある。
「最近驚いたことがある。その女はアラビア語文学の翻訳者でさ、例えばシリアとかアフガニスタンの文学を日本語に訳してるんだよ。割と作品面白かったからTwitterでフォローしてたんだけど、こいつ、友達が挙げてたラーメンの写真を話題に挙げる時、何て言ってたと思う? “飯テロwwwww”だってよ。アラビア語文学の翻訳者が“飯テロ”って言葉を何の躊躇いもなく使ってんだよ。ちょっと衝撃受けたね。対テロ戦争みたいな言葉に翻弄された国に寄り添うはずの人間が、一方でアラブ人は日本語読めないからってこんな言葉を軽々しく使える訳だ。やっぱ日本人ってどっかおかしい、基本的に下等なんだよ」
 それからシャオフェンが怒濤さながら自分が最近食べた料理の写真を送ってくるので、その“飯テロ”に圭は爆笑した。
 食事を終えた後、ある天啓のようなものが圭にさりげなく舞い降りたので、出かけることにする。地下鉄の柔らかな椅子に腰を据えながらヴァージニア・ウルフの『灯台へ』を読む。これは友人である中山東に半ば強引に勧められた作品で、彼は今作を日本が舞台の短編映画にしたいと計画していた。しばらく読みながらも、中山の知的退屈さと同じ類のものをこの作品には感じる。意識の流れ、時の流れを捉える文体というものの胡散臭さに鼻毛が焼き尽くされる思いだ。そもそもヴァージニア・ウルフという人物が胡散臭い。レズビアンでフェミニストというのが、ポリティカル・コレクトネスと資本主義が悪魔的な合体を遂げた今に再評価されているといった風だ。彼女の文章は読んでいると微笑みとともに身体に侵食してきて、細胞を殲滅してくるような感覚がある、吐き気を催す。中山のような愚かな人間が今作を映画化しようと画策するのは納得だ。彼はTwitter上で常に自身が映画作家としても映画批評家としても評価されないことを嘆き、最後には自分のような屑はこの現状が当然だという結論に達する。自分はダメだと公衆の面前で躊躇いなく言える人間ほど、深淵のように悍ましく醜い自己愛を宿している。彼が作家としても批評家としても有名になる可能性は微塵もないと圭は確信している。それでも友人関係を続けているのは、彼が高田馬場の華清という中華料理屋で酒を目一杯奢ってくれるからだ。
 目的地の駅に着き、ある建物まで歩いていく。しばらく待っていると鎌田大希という男が彼の予想通り現れたので、付いていく。住宅街に差し掛かり人気も少なくなったので近づいていき、持っていた包丁で大希の腰辺りを刺し貫く。この時のために高級な包丁を買っておいた。滅多刺しにしてその身体が痙攣するのを見届けてから、駅に戻って家へと帰る。地下鉄に乗っている途中で、そういえばトマトを切らしていたのを思いだし、最寄り駅のスーパーに寄る。だがついついトマト以外のものも買ってしまう。万能ネギ、茄子、鶏の胸肉、冷やし中華、ミニクロワッサン、スパゲッティの和風ソース、チョコパイ。会計を終えてから商品をエコバッグに詰めていると、横に老婆が立った。カゴには発泡スチロールに入ったトマト3パック、それだけがある。老婆はビニールをビリビリに破っては剥き出しになったトマトを袋へブチこむ。そのあまりに暴力的な勢いに圭は苦笑する。そのうち1個のトマトが床に落ちる。コロコロと控えめに、紅の着物を纏う平安の大和撫子が部屋をおもむろに進んでいくとそんなトマトの転がりを圭は何となく目で追う。老婆はそれを右足で踏み潰し、汁とともに果肉が爆裂する。
 家に帰って商品を冷蔵庫に収納した後、まだ皿を洗っていなかったことに気づく。桃色のスポンジに洗剤を染みこませ、右手で優しく握ると柔らかな白泡がその内奥から込みあげてくる。小鹿田焼の大皿はちゃんと湯に浸けておいたので、表面にはたらこの粒が浮かんでいる。これを排水溝に流し、左手で皿を持つ。締まった重みと厚みが肉にグッとのしかかる。この感覚を味わえるだけで、皿に1万円を払った価値はあると思えた。堅固さに万全の信頼を置きながら、5本の指で皿を握り締めながら、スポンジを表面へ滑らせる。泡が皿の汚れを掬いとっていくと同時に、その光沢が更に磨かれていくのが分かる。自分が洗うたびにこの大皿は再誕を遂げるのだ、そう思うと否応なしに高揚感を味わう。表面から裏側まで細心の注意を払いながら、時間をかけて洗い清めていき、たらこスパゲッティの残滓など一切残らないようにする。そうした後、汚れも泡も全てをお湯で洗い流していくのだ。シンクに小さな流れが生まれて、細やかながら美しい軌跡を描きながら排水溝へ吸いこまれていく。この光景を存分に味わい、彼は桃色の布巾で他の食器と一緒に大皿をも拭いていく。まるで助産婦が、生まれたばかりで母親の粘液に包まれている赤子の身体を慈愛を以て綺麗にするように、圭もまた皿に取りついたお湯の滴を拭き取っていく。再誕を遂げた大皿への圭からの、これが祝福だ。
 他の食器を片し、最後にこの小鹿田焼の大皿を食器棚へと戻す。置く時、皿と木材とが触れあう微かな響きが圭の耳朶を揺らした。余韻に浸りながら、食器棚の扉を閉じる。圭は今、自分自身が救われていると感じた。世界は糞尿や亀頭に溜まったチンカス以下の汚ならしさを誇り、それは留まることを知らない。正に現在進行形でそれが極まっていっている。だが少なくとも、今の圭は救われていた。この世界は悪だ。

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。