コロナウイルス連作短編その57「返事してよ」


 12月31日、朝8時からルクサンドラ・オルテアヌは仲間とともに酒を鯨飲している。1月1日の暁まで続くパーティに参加する資格を持つ人間はバッカスさながら酒を永遠にその肉へブチこめる泥酔者と、酩酊のなかでコロナウイルスに中指を突き立てられる馬鹿者だけだ。Lous and the Yakuzaの熱烈なまでに凍てついた響きに合わせ、ルクサンドラたち高貴な来賓客たちは一斉にウォッカを肉へと叩きこむ。口腔が、喉が、食道が、胃が激熱に灼かれる感覚を味わいながら、彼女は横にいたマリウス・スタンチユの背中を叩きまくる。彼は咳込んでから「金玉が爆発しそうだ!」と叫ぶ。
 午後3時頃、日本にいる恋人の工藤彩未から電話がかかってくる。喧騒のなか――今、流れているのはMarina Sattiの退屈なまでに複層的な響きの数々――でも彩未の、ナパームに焼き尽くされた大地のように低い声は美しいものだった。彼女の留学時代の友人であるアレックス・パンドゥやイリナ・チョントゥにも電話を渡した後、ルクサンドラはそのイチャつきを冷やかされながらアパートの部屋を後にする。
 この日はテレビ電話を通じて、彩未と年越しをする予定だった。直截でなくとも、日本的な年越しを一緒に過ごせるのは嬉しい。今年はコロナのせいで東京に行き、彩未の膨らんだ頬を左の人差し指で突くことが叶わなかった。来年は一緒に広島の厳島神社に行きたいし、ブカレストのCăruturești Caruselという本屋にも行きたい。ルクサンドラは彼女とルーマニア語を喋りながら自宅への道を歩く。彼女のルーマニア語はコロコロしていて、まるでドッグフードのように可愛らしく響く。これを言うと彩未は困ったような笑みを浮かべる、この笑顔も好きだった。彩未にねだられ、ルクサンドラはタブレットでブカレストの街並を映す。そこは湿り気ある雪がちらつく、灰燼色の世界だった。見ている気分が鬱々としてきて、錆びた壁をトランプ支持者が持つようなショットガンでブッ壊してやりたいと思う時もある。彩未が以前に見せてくれた東京の街並もまた不思議と灰燼色に見えたが、輪郭がハッキリしていた。ブカレストはぼやけている、戦争の後に広がる蜃気楼だ。
 話に夢中になりすぎて不覚にも躓き、タブレットを道に落としてしまう。イヤホンが耳からすっぽ抜け厭味たらしい痛みを味わいながら、タブレットを拾う。画面に映る彩未の顔面が残像だらけになる、まるでフランシス・ベーコンの亡霊に憑依されたようだ。ルクサンドラは一瞬顔を引き攣らせるが、そんな彼女を彩未が笑う。
 部屋に戻り、ベッドに寝転がり、思う存分彩未と喋る。ストヤン・ミラノフというセルビアの画家、昨日彩未が食べたというセブンイレブンのコンビニスイーツ、最近邦訳が出たエルンスト・ユンガーの著作、今日出た形や色ともに健康的なルクサンドラのうんこ、フィービー・ブリッジャーズの新作アルバム。ベッドに寝転がりながら好き勝手喋るのは気分がいい、例えその横に彩未自身がいなくても。一瞬彼女の髪の間から赤く染まった耳が見える。ねむいんだな、ルクサンドラはそう思った。その可愛らしい耳が噛みたくてしょうがないし、細胞の1つ1つに自分の涎の淀んだ味を覚えさせたくて堪らなくなる。何かエロいこと考えてるでしょ、彩未の言葉は全く図星でルクサンドラは変態的な笑みを抑えることができない。
 彩未はリビングに行き、新年を迎える準備を始める。それはただ単に炬燵に潜りこんでテレビを観るというものだが。もう既に彼女の両親である工藤敬と工藤真唯は炬燵のなかで蜜柑を食べている。彩未が顔にタブレットを向けると、彼らは日本語で挨拶をしてくる、こんばんはルクサンドラちゃん、元気だったかな。テレビ電話越しにルクサンドラは彼らと何度も会話を交わしており、既に恋人同士であることも伝えている。真唯が微笑みとともに彩未の肩を抱き寄せる姿が羨ましく思える。ルクサンドラはブラショヴに住む両親に同性愛者であることをまだカムアウトしていない、彼らが自分を受け入れてくれることを全く期待していない。だから家族にありのままの自分を受け入れてもらえる彩未が羨ましい。彼女の笑顔が、羨ましい。
 彩未の通訳を通して、ルクサンドラは敬や真唯と話をする。今日は何してた?という敬の問いには苦笑いをする。日本人に"はい、今日はコロナ禍クソったれパーティを皆で開いて、ウォッカを死にかけた鯨みたいに暴飲してました"と言ったら、どうなるか。そんな不誠実な人間に娘の恋人である資格はないと通告されそうだ。ベッドでずっとゴロゴロしてネットフリックス観てました、ルクサンドラはそう嘘をつく。真唯は先の選挙で極右政権AUR(ルーマニア人統合のための同盟)が躍進を遂げたことを既に知っており、ルクサンドラを含めたLGBTQの若者のことを心配する。感謝の言葉を口にしながら、2020年最後の日に嫌なこと思い出させるなよと内心苛つく。
 時計を見ると今は4時半を回っている。そろそろ年越しのようだ。日本人は年越しを静かに過ごすんだよ、彩未が今一度これを強調してくる、分かってるよ、爆竹炸裂させるルーマニア人とは違ってね。彩未がタブレットでテレビを映すと、そこには闇に包まれた日本の冬が映りこむ。光に照らされたお寺に思わず嘆息してしまう。コロナ禍にも関わらず割と参拝客がいるので、日本人も神様を大事にするんだね、ルクサンドラがそう言うと彩未は乾いた笑顔を浮かべる。            何も言わない。         向こうから聞こえるのはアナウンサーの荘厳な言葉の数々だけだ。    何を言っているかは分からないが、不思議と            心が引き締まる。                 そんな中で何かをムシャムシャと食べる音が聞こえて、ルクサンドラは沈黙を引き裂くような笑い声をあげたくなる。もう母さんうっさいよ、彩未がツッコむのでルクサンドラが笑い、真唯の顔がひょっこり画面に現れ、ゴメンナサイねえと言った。みんなで笑った。
         そして再び       沈黙に包まれる。   ルクサンドラも最初は日本的な奥ゆかしい静寂を楽しむのだけども   だんだんと背中がむず痒くなってくる。パーティーで     マリウスやイリナが阿呆みたいに騒擾をブチ撒ける光景が頭に     思い浮かんできて、少しだけ恋しくなる。             沈黙がいつまでも続き    前を静かに見据える彩未の顔が        見上げるようなアングルで映るだけだ。彩未           彩未   彩未?と名前を呼ぶが誰も反応しない。敬さん              真唯    さん        皆の名前を呼びながら         誰も            答えない           時計を見るが                    もう5時だ         日本は               1月1日のはずだ                        返事してよ                                                返事してよ           彩未            彩未               彩                                             未                                        あ                                                    や                                             み



















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