見出し画像

コロナウイルス連作短編その79「厄災の感覚」

「うわあ、虐殺虐殺ぅ」
 コロンビア各都市で起こるデモ抗議、そこで20名以上の死傷者が出たというニュースをテレビで見て、河瀨麻希は言った。政府の税制改革に抗議するデモ隊と治安部隊の衝突がここまでの死者を生んだという。
「うわあ、政府による虐殺だなあ」
 麻希はもう1度言ってから自身の言葉のあっけらかんさに笑ってしまう。その笑いが止められなくなる。彼女はたった独りで爆笑を続け、部屋は機銃掃射さながらの響きで一気に満たされる。爆笑の発作が収まった時、麻希はこの部屋に、この家に自分以外の誰もいないことを再確認する。侘しかった。へへへ、そんな遺骨のように乾いた笑いを発した後、ラジオ体操を始める。タブレットから流れる明朗たる声と音楽に合わせて身体を動かすと、疲労も孤独も晴れていく。だが左の膝関節が痛む。
 ゴールデンウィーク最終日だったが、麻希はパソコンに対峙しながら仕事をこなす。時間があっという間に過ぎる、その急速な流れのなかで仕事を一通り片付ける。立ち上がり、身体を伸ばし、脊椎が蛇腹さながら伸びるのを感じながら、何か美味しい夕飯が食べたいと思う。そして脳裏によぎったのがコロンビアという国名だった。メキシコに近いラテンアメリカの1国、今は全土で抗議デモが勃発し20名以上が死んだ、それくらいしかコロンビアについては知らない。衝動的に"コロンビア料理"とGoogleで調べると、電車で2駅の場所にコロンビア料理店があるということが分かる。不思議と笑みが浮かび、両の肩甲骨が震えだす。テキパキと準備をし外へ出ると、生ぬるく重苦しい雨が降っていた。頭蓋のうちに薄緑色の瘴気が広がるのを感じながら、傘を携えて駅へと向かう。
 道も、駅も、電車内も閑散としており、休日にあるべき活気は微塵もない、全てコロナウイルスに撃滅されたかのようだ。1年前は、1年経てばコロナ禍なんて収束していると高を括っていたが、実際はむしろ今の方が状況は悪化している。麻希は車窓から暮れてゆく黄昏を眺める。この状態がいつまで続くのかもはや予想できない、だがもし更に悪化していけば、どんどんどんどん悪化していけば。
「どんどん、どんどん、どんどんどんどん」

 Google Mapで探しあてた店は路地の奥に位置する、いかにも"知られざる名店"といった風な佇まいだった。看板には予想外に控えめな色味でRodrigo G.という店名が書かれている。少し中に入るのに躊躇しながら、幼い飢えが腹部でのたうつのを感じたので、それに突き動かされるように店内へ入っていく。ドアの向こうには、麻希が抱くラテンアメリカのイメージ通り、極彩色の内装が広がっているので、彼女の心は喜びで満たされる。ネット情報によれば"在日コロンビア人夫婦が経営しているそうだが、夫らしき男性がウェイターとして動き、妻はキッチンで料理を作っているようだった。客は当然疎らだが彼らは全員彫りの濃いラテン系の顔で、全員コロンビア人か?と麻希は勝手に予想する。店主の夫はぎこちなくも溌溂な日本語で麻希を席に案内するが、マスクの躍動感ある歪みからその下に浮かぶ破顔一笑が伺える。目許のクジャクの足さながらの皺も親しみ深く、早々とこの店に来てよかったと思わされてしまう。
 席に座り、店内を見渡してみる。サッカーのTシャツや謎めいた民芸品に混じって、絵画も飾られている。左に見える絵画、背景自体はシンプルな空色で満たされながら、中心には黒い肌を持った女性が描かれており、彼女が纏うドレスの上では極彩色がうねりにうねっている。その虹色の渦を飾るのは、女性の背中から生えた蝶の豪奢な羽根だ。精緻なまでに不穏な模様、周囲に散らばる鱗粉のような黒点。その均衡と躍動を同時に抱く色彩に麻希は感銘を受ける。右に見える絵画、絵具が荒々しくベタ塗りされた油彩画のようだ。広がるのは海辺の風景、黒い水着を着た女性と彼女の膝元で眠る子供。表情は意図的にボヤかされていながら、遠くからでも暖かく微笑ましい雰囲気が伝わってくる。彼らの周囲には同じように海辺の風や陽射しを楽しむ人々がいて、今やコロナウイルスによって強奪されたこの時間を懐かしく思う。こうして様々な絵画や飾りで店内は彩られながら、不思議な統一感の存在を感じ、夫婦の美的センスの確かさに心を打たれる。
 店主が料理を運んできて、テーブルに色とりどりの料理が置かれていく。瞳には輝かしき饗宴のように映った。麻希は厳かな気分になり、静かに手を合わせて「いただきます」という言葉を唱える。
 まずはコロンビアのラム酒であるアグアルディエンテ、中でもブランコ・デ・バッレと呼ばれる銘柄だ。細く艶めかしいグラスに入ったそれを、静かに唇に注いでいく。最初はほんのりと甘みが浮かびながら、度数高めのなかなか苛烈な刺激が後からやってくる。だが同時に鼻へと抜けるのはアニスというスパイスの爽やかな薫りだ。旨かった。一気に飲みほしたい欲望に駆られるが、我慢する。
 次はアレパというトウモロコシから作られたパンだ。見た目はどら焼きかお焼きのようだが、中にはハムと濃厚そうなチーズが挟まれている。頬張ると思った以上にアツアツで、思わず唇から離してしまう。指や唇に蟠るかけがえのない熱を味わいながら、少しずつそれを冷ました後に齧ってみる。トウモロコシの繊細な薫りや甘み、それが馥郁と口のなかへ広がっていく。後にはハムの塩味やチーズの不健康な旨味が遠足さながらついてきて、味覚の交わりがとても楽しい。歯触りも天使に撫でられるような感覚があり、心が落ち着く。旨かった。やはりこちらも一気に食べ尽くさないよう、自制心を働かせる。
 あれこれと食べながら再び周囲を見渡す。料理を食べ終えたのだろう、マスクをした2人のラテン系の男たちが会話を繰り広げているが、それが熱を宿すのに気づく。スペイン語ゆえに内容は一切解らないながら、言葉の勢いや身振りの激しさが加速度的に派手なものに変貌していく。おそらくコロンビアの現状について議論していると、麻希にはそう思える。皮膚がビリビリと震えるほどに議論が激烈さを増す頃、あの店主が落ち着けとばかりに2人を宥めにかかる。彼の陽の存在感が激熱を抑えながらも、何か苦い雰囲気が店内へ広がる。今この時、麻希はワクワクしたんだった。
 麻希はパパクリオージャとアヒアコを同時に食べ進めていく。パパクリオージャはコロンビア版のポテトフライといった料理で、外のカリカリさと中のホクホクさクリーミーさが絶妙に混淆する。旨かった。じゃがいもの柔らかな甘さとサルサソースは相性が頗るよく、手が止まらなくなる。だがその合間にシチューのようなアヒアコで唇を彩る。中身はコーン、鶏肉、またもじゃがいも、そしてアボカドとパクチー。黄土、白、緑の色彩の交錯が網膜を優しく撫でてくれる。具材たっぷりで満足感もひとしおだ。ここでもやはりじゃがいもの旨さには驚かされる。おそらくここでは煮崩れるタイプと煮崩れないタイプのじゃがいもの2種類が使われており、スープにその芳醇な風味が溶けだしているとともに、骨太な感触すらも一緒に味わうことができる。この夕食だけで大量のじゃがいもを身体に取りいれているような気がしながら、明日明後日更にじゃがいもを食べたいとそう思わせる魔力が、このコロンビア料理の数々にはあった。そして麻希は全ての料理を食べてしまう。旨かった、しかし食事の最後はいつだって物悲しかった。
 唇を舐めてから、再び手を合わせて「ごちそうさま」と唱える。すると店主がやってくる。
「今来てくれて、ありがとうねえ」
 彼のふやけた、親密な言葉に心が温かくなる。
 外へ出ると雨は既に止んでいる。空気が月光によって開けているのを感じた。気分が良くなり、アグアルディエンテの酩酊も相まって路上で踊りだしてしまう。運動神経が良いという訳ではない、だが自分の身体が羽衣になった気分で軽やかに動くのは気持ちがいい。ぐるぐる、ぐるぐるといつしか身体は回りはじめ、ぐるぐるぐるぐると回転は加速していく。ぐるぐる、ぐるぐる。左足の関節に激痛が走る、重力に臓腑ごと引きずられるようにその肉体がぞ面へと倒れていく。その間も麻希の意識はずっとぐるぐると回転している。そして彼女は気づいた。月が赤い。とてもワクワクした。

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。