見出し画像

コロナウイルス連作短編その221「さぞ鮮やかな血潮」

 実久塁がショッピングモールを歩いていた時,ある人間を視覚的に認識した.
 見てくれが雑な短髪,妙につるんとした顔立ち,網膜剥離を引き起こすような鮮烈な橙のシャツ.カーキ色の短パンから伸びる足は吐き気を催すほど白い.
 塁はその人間が“男装している”と直感した.
 こういった違和感の塊のよう人間を見るとTwitterで“ボーイッシュな格好してたら,それだけでもうトランス男性とか言われなきゃいけないの?”と問題提議していた女性たちを思い出す.思い出しはするが,正直言えば取るに足らない問題だ.とはいえ喧しい女と男っぽい女という,見苦しさで言えば上位層に位置する存在たちが潰しあうならそれは祝福だ.
 しばらく歩くが,その人間が自分と同じくトイレを目指していることに気づく.こうなるとやはりこの人間が男子トイレと女子トイレのどちらに入るかが気になった.
 フロアの端,エレベーターと階段が隣接するなら仄暗い地帯,そのさらに奥へと続く細まった通路を歩くならば公衆トイレが存在している.そこは食料品コーナーで買い物をしている際に尿意や便意を催した来場客が行くべきトイレだ.塁自身も仕事帰りに惣菜を買おうとしていた.だが20%引きの鴨のパストラミを手に取る前に,尿意を催したんだった.
 二人は薄暗い通路を歩く.その人間は男子トイレに行くか,女子トイレに行くか.
 その人間は男子トイレに入った.塁もニヤニヤしながら男子トイレに入った.
 次の瞬間目に入ったのは,洗面台の前に立つ巨大な男性だった.南アジア出身だろうか,老舗喫茶店のテーブルの色にも似た濃厚な焦げ茶の肌が,凄まじい量の筋肉を覆っているのが一目で分かる.灰色のシャツ,黒いズボン.その単調な服装だからこそ,彼の武骨隆々たる体格が露わになっている.そんな男が,鏡の前で優雅に猛々と生える黒髪を整えていた.
 そしてあの人間が彼の後ろを縮こまりながら進んでいるのもまた,塁の目に入った.
 そのまま人間は小便器に行き着き,塁は一つ離れた小便器を陣取ることになる.
 塁はいつもなら,小便器で排尿をする際には目を瞑る.周りの人間が排尿している様を盗み見る趣味はないからだ.特に小さな子供たちが排尿する場面に行き当たるのは,なかなかに居心地が悪い.なら排尿時にも個室を使えばいいのだが,実際排尿を行うたびにホックやベルトを外す必要があるのは煩わしい.ファスナーとパンツを下げて,ペニスを出すだけの小便器の方がずっと楽だ.この経済効率性を,結局は優先してしまうのだ.
 だが今回は進んで小便器を使い,かつ目を開いていた.あの人間の排尿をこの目で盗み見たかったからだ.その人間はなかなかファスナーを下ろさなかった.後ろを何度も何度も振り返るばかりだ.おそらくは手洗い場の南アジア人の存在を気にしているのだろう.その姿がとても無様だったので,塁はさらにニヤついた.
 襲われるのとか気にしてるのか?
 そう思った時,今こそあのもはや放送禁止用語レベルにまで蔑められた言葉を,心のなかでだが使ってみようと久しぶりに思えた.
 女々しいよ,アンタ実際……
 塁は右手でファスナーを下ろし,ペニスをまろびだす.
 その時に見たのは右腕に浮かびあがる血管だった.紫と緑の狭間にある独特の色彩をまといながら,少し赤みがかった肌の下を血管が伸びている.肘関節の目前からその流れは浮かびあがっており,しばらくは平坦に進みながらも,上腕を半分行ったところでそれは2つに分かたれている.右の分岐は少しばかり弱々しく,上腕の3/4時点で肉に埋没してしまっている.だが左の分岐は凄まじく力強いものだ.網膜に圧力すら感じるほど血管は隆起し,前面の肉を押しのけるがごとく手の方へと伸びている.この分岐を見ていると,2つの間に広がる空間にも目が行く.以前知ったことだが四大文明の1つであるメソポタミア文明,この“メソポタミア”とはギリシャ語で“2つの川の間の土地”を意味するのだという.ちなみにその“2つの川”とはティグリス川とユーフラテス川を示している.この空間とはある種“メソポタミア”なのではないかと,そんな幼稚で壮大な連想が働くのだ.そして長く続く左の分岐は手首辺りでさらに三叉に分かれ,それらは肉の奥へ潜航し,見えなくなる.だが実際,塁の右手は燃えるような赤さを常に誇っている.それはこれら潜航した血管,それに加えて無数の毛細血管が皮膚の下で激しく脈動しているからに他ならないだろう.
 ふと横を見ると,あの人間もペニスをまろびだしていた.体と小便器の間の隙間から覗くそれは,驚くほどに巨大に見えた.
 予想外の光景に少し気圧された.あの身なりからあの一物というのはエロ漫画でしか見たことのない光景だった.
 それでもよくよく目を凝らすならば,そのペニスは大きいと同時に細くも見えた.色も真っ青だ.まるで栄養失調の白アスパラガスのように哀れに見えた.
 翻って塁自身のペニスはどうか.勃起時における日本人のペニスは平均13.56cmという長さだというが,塁のペニスはそれに全く満たない.昔,当時の恋人だった佐登崎舞美乃にメジャーで以て長さを測られたが,その時の数値は10.5cmというものだった.自分のペニスは小さいと常々思ってはいたが,数値を通じて非情な現実を突きつけられ気落ちした.
「別に長さじゃないよ」
 あの時,舞美乃はそう塁を慰めた.コンドームをつけずに挿入することも許可してくれた.こういう女性が大半ならば,世界はもっと平和になるだろう.
 実際,ペニスに関して短さを補って塁が誇りに思える部分もあった.力強く脈打つ血管の存在である.腕のそれが強靭であるように,ペニスの血管もまた強靭であり,摩擦ゆえに黒黒しくなった皮膚にはそれがより映える.これは間違いなく誇りに思えるものだった.
 その人間はとうとう排尿を始めたが,それもチョロチョロと貧相極まりないものだった.塁もまた右手で己のペニスを握りしめ,排尿を始める.その勢いはもはや噴射と形容してもいいほどの猛烈さだった.警察部隊がデモ隊を制圧するために使う放水機の勢いも斯くやだ.それがゆえに飛沫がペニスを持つ右手に同じく猛烈にかかる.その状態のままにチョロチョロぶりを横目にするならば,顔面に張りついたニヤつきもより深まる.
 そして排尿がほぼ同じタイミングで終る.
 空っぽの膀胱に清々しさを感じながら,ペニスを振り先端の尿滴を散らしていると,あの人間が早々と洗面台に向かうのが見えた.急いでペニスをズボンに仕舞いこみその背中を追うと,そこにはまだ筋骨隆々の南アジア人がいて,髪型を整えていた.人間は空いていた蛇口で手先だけをチャッチャと洗ったのち,そそくさとトイレを後にした.
 塁はその光景に深い憤りを覚えた.
 ああやっておしっこした後に手を洗わないバカが多いせいで,ツイフェミどもが“男性ガー”とかクソデカい主語使って雑な批判しやがるんだよ.“男性”がことごとくバカにされんだよ,実際さ.
 塁は南アジア人の男の横に行く.そこはあの人間が手を洗った場所でもある.横に立つと確かに南アジア人の肉体には濃密な威圧感があり,少し恐怖を覚えてしまうのも無理はない.しかもカレーのスパイスめいた体臭まで鼻の粘膜を苛む.食べたものこそが体になるという東洋医療的な概念を,彼はそのまま体現している風だった.
 だが塁は手を洗い始める.
 石鹸を満遍なく広げた後,まず手の甲や指の間といった部分は,モミモミというオノマトペが適用できるほどに優しく,揉むように洗っていく.こうすることでこそ汚れがより落ちると塁は習ったのだった.
 さらに指の1つ1つ,加えて手首は,逆の手でそれらを掴んだうえで,キンギョソウの花を描くがごとくクルクルと洗っていくことが望ましいゆえに,塁はそれを実践していく.
 手のひらに関しては他と比べてより入念に,ゴシゴシという音が聞こえるほどの力強さで洗っていく.このやり方はコロナ禍が極まっていた頃,YouTubeの動画で学びとった.
 これらを実践している間,塁は鼻歌でハッピーバースデーを唄っていた.これを通常の速度で唄うと15秒で唄い終わるが,少し遅めで唄うことによって塁は20秒を計っている.
 この20秒間は手洗いに己を捧げているのだ.先程の排尿で多くの飛沫が手に飛びながらも,こういった汚れを完全に落とせるまでの手洗いを彼はここ数年徹底している.未だコロナが猛威を奮っている.そんな時代,自分の身体は自分で労る必要がある.
 最後の“ハッピーバースデー・トゥ・ユー”を唄い終る頃,ふと横を見るとあの南アジア人もまた手を洗っていることに気づいた.彼もまたなかなかに丹念な形で手を洗っている.人種は違うながら,何か心が通じあった気がした.
 そして彼の腕を見るのならば,その焦げ茶色の皮膚に血管が浮かびあがっているのに気づいた.確かに黒黒とした剛毛の方が視覚的には目立つ.それでも鬱蒼たる毛の群れの奥に,存在感として負けないほどの強靭な血管が見えるのだ.美しい.そこにナイフを突き刺したなら,さぞ鮮やかな血潮が迸ることだろう.塁は帰りにKALDIに寄ってカレーか何かを買おうかと思う.ダルマッカニーカレーというカレーが,なかなかに美味いらしい.

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。