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多様性って言葉だけが一人歩きしているような…
多様性という言葉は、私にとって非常に気になるキーワードでありながら、あらためて考えてみると、その意味はあまりにも広く、何となく分かっているような、いないような… なんとも心許ない。
多様性と聞くと…
人間に限らず、植物や他の動物たちとの共生をイメージしつつ、それと同時に気になるのは、やはりもっと身近な事。
自分や息子のように、発達障がい、自閉スペクトラムなどの特性を持つ人の少数派と定型標準型の多数派の人との関係。
近頃は、多様性のキーワードのもと、互いを認め合おう!みたいな感じのメッセージをよく目に、耳にする。そういう風潮は有難い一方で、そんな便利な言葉を使うだけで、社会が大きな包容力を手に入れたかのように勘違いされては困るなと、申し訳ないが、皮肉ってしまう自分がある。実際には、世間はそんなに寛容ではない。と、私は日頃から感じているから。
と、ここまで書いてから、ちょっと落ち着こうと考えてみた。
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庭のドクダミ 今年もさわやかに咲き始めた
ハート型の葉、白と黄色の可愛い花に独特の香りも私は好き
そこで、今は多様性感が育っている最中なのだから、多様性の考え方みたいなものがまだまだ社会に浸透してなくて当然なんだなと、ようやく気持ちに思考が追いついてきた。
きっと10年後、20年後にはもっと寛容な世の中になっていて、多様性という言葉を使わなくても、多様性を自然に受け入れる社会になっているのかも。
そうなっていたら素敵だね。
やはり、こうして書いて考えると頭の中が整理されて良いな。
しかしながら、多様性と言うだけでは片付けられない事もあると思われ。
息子は自閉スペクトラムで、日常のいろんなことに困難を抱えていたりする。
それは、「多様性社会だから、そんな彼もそのまま受け入れるよ。」だけで片付けられたのでは困る事もある。
例えば、
今、私たち家族でタイムリーな話題は、小学校の運動会。
息子は、運動会は出たくない❗️とハッキリしているので、昨年に引き続き欠席の予定。すると、運動会の練習も出ないので、これから2週間は体育の授業もお休みになる。こちらの都合だから、それで結構です。としているけど、息子も含めて、現行の運動会を楽しめない児童の為に工夫が出来たら素敵なのにな💕と思うところもあるのが本音だ。
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さあ、お風呂入るよー!と洗面所へ行くと、
真ん中にドーン!と何やら作品が展示されていたので、
とりあえず撮影📷
息子は、聴覚過敏があるため、運動会での大音量の音楽や拡声器やマイクでのスピーチ、指示、それにスタートを知らせるピストルの音に加えて、みなさんの歓声は耐えられない。イヤーマフを使う事もあります。でも、何時間もイヤーマフを炎天下で使うのは、7歳児には結構な苦痛です。
音の問題だけでなく、大勢が集まる場所は緊張するし、並んでじっと待つとか、勝ち負けがつらかったり、突発的な想定外の事態もつらい。
ここまで色々とあると、学校のほとんどの行事はお休みしています。
仕方ないですね。
希望すれば休む自由を認めて下さっているのだから、とりあえずは良し。
でも、息子がそうした理由で欠席していることは担任の先生以外には限られた方々しか知らないことで済まされていて、そこにはどうしたら一緒に過ごせるのか等の考察はない。誰かが考えてみようという動きもない。
結局、同じ小学校で過ごしていても、児童も保護者もそうしたマイノリティーが実はすぐ近くにいることも知らずにいる。
支援学級を設けて、交流級で授業をシェアしていれば十分⁈
多様性の考え方が浸透する道のりは長いと私は思う。
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