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すずめの戸締まりを5回も見て

映画「すずめの戸締まり」を、何と5回も見に行ってしまった。累計動員数が1000万人を突破したとのこと、うち11人は私たちの分だ。なぜ5回も見に行ってしまったのか。「もう一度見たい」という気持ちになるのはギャンブルに似た感覚なのだろうか。5回も行くと、鑑賞特典は全て手に入れることができた。かなりのはまりようだ。

一緒に行った二女は、音楽やセリフ、映像をほぼ覚えた。時々声色も似せて忠実に再現してくれる。音楽を聞けばどの場面だったかすぐに分かる。

私自身においては、歳のせいかそこまでの記憶力はない。感動したというよりは、映画を通して様々な「メッセージ性」や「伏線」などを「回収」し、新海誠監督の訴えたいことや考え方などを推測、分析してしまいたくなると言った方がいい。

そこで今回は新海「誠」だけに誠に余計なお世話ではあるが、私が個人的に映画を見て感じ取ったことを羅列してみたい。

私は新海誠作品は『天気の子』と『すずめの戸締まり』しか見ていないが、その中での個人的な感想などということでご了承いただきたい。

◉新海誠監督から勝手に受け取ったメッセージ

○天変地異への強いこだわり。
地球温暖化、異常気象により自然災害が立て続けに発生しており、皆大騒ぎしているが、古来日本は地震や豪雨などに見舞われ続けてきた。それは今に始まったことではない。

○主人公には(母)親がいない。
これは娘が発見したことだが、『君の名は』『天気の子』『すずめの戸締まり』を通して、主人公には(母)親がいない。
すずめ(鈴芽)という女の子はどこまでも純真でかわいらしい。
本人次第でとてもいい子に育つ。

○どんなにつらいことがあったとしても将来のことを心配することはない。そして、つらいことを解決できるのは自分自身しかいない。心配することはない。

すずめは幼い子どもの頃に悲しみに暮れているが、高校生になった今、決して不幸ではない。



◉映画のシーンから感じたこと

○印象的な蝶
区切りのシーンで蝶がひらひらと飛んでいる。雨の時はアゲハチョウ、その他は確か黄色い蝶だった。蝶の意味はまだつかみきれていない。

○恋する相手が椅子
「この辺りに、廃墟は ない?」
とすずめに突然、いや当然のように話しかける超イケメンロン毛、おまけに左目の下に涙ぼくろのある憂いを帯びた草太という青年。すずめは、本来なら惚れ惚れするような容姿の青年と日本縦断の旅をする羽目になったが、旅に出かける前に椅子に姿を変えてしまう。これにより、純情な女子高生とイケメン青年2人きりの旅がファンタジーになり、男女の生々しさが消える。これは親子をはじめ家族、友達同士でも鑑賞しやすい状況につながっており、中には私たちのように何度も行く人たちが出てくる理由だと思う。

○あふれる情報
映画の中では現代の若者らしくSNSが駆使されている。すずめはおばとはLINEで連絡がつき、Twitterなどでどんどん情報が拡散され、ダイジンがどこにいるかはすぐに把握できる。
一方で手書きの「古文書」も出てきてその対比が印象的である。しかし、その古文書も実はその当時最新の情報技術だったのかもしれない、と見方を変えてみる。

○戸締まりとは
扉を閉めて鍵を締めることは外界の危険から身を守り、安心、安全、ありふれた日常生活を保持すること。そして、逆に自転車の鍵に表されているように、鍵を開けることは新たな世界への出発、冒険、挑戦を表しているのではなかろうか。

○タイアップ
とにかくアニメーションの背景がリアルで美しい。ここはどこかに本当にある光景か、といろいろ気になる。一つひとつの場面に情報が溢れており、一度で全部は把握し切れない。
中には、ケータイならau、コンビニならローソン、と具体的な社名も出て来て、これらは実社会でも巧妙にタイアップし、プロモーション利用されている。

○流行を作る
すずめに「うちは焼きうどんにポテトサラダを入れる」と言わせ、監督自身はしたことがないことを取り入れて、鑑賞者の心を動かす。

○回り回って
何度も見ていると、映画の始まりのシーンがわかりやすい。その時の服装や衣装が…。他にも見ているとすずめの誕生日がわかる。

○最後まで思わせぶり
恋愛を明確に描かない。思わせぶりでもどかしい半面、子どもと見に行きやすい。

まだまだ言えばきりがない。
監督からはしたたかさ、執着、こだわり、鋭さ、冷徹を感じ、人としての温かさ、優しさのようなものはあまり伝わってこない、というのが私の超個人的な感想である。

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