見出し画像

相手をやり込めるということ〜『有吉の夏休み2023』を見て思ったこと〜

(下書き保存していたらその間にジャニーズ事務所に大きな動きがあった。いろいろ思うところはあるが、今日のところはご容赦いただきたい。)

「有吉の夏休み2023」という番組をある程度楽しみに待っていた。推しのふっかさん(SnowMan深澤辰哉さん)が出演するからだ。親しみを込めてあえて呼び捨てにさせてもらうが、有吉なんて進んで見ようとは思わない。彼が何者だというのか、この人は何をした人か、と夫は酒を片手にケチをつける。まあまあ、ドン底を見た人が1人で這い上がってすごいじゃない、気の利いたおもしろいことを言うのがうまいんじゃない、とふっかさん見たさにいい方の色眼鏡をかけて何とか好意的に受け止めようとしていた。たまに出る広島弁訛りもうれしいではないか。そう自分に言い聞かせる。

正直、有吉のありようは大しておもしろくもないが、ふっかさんのイケメン姿とたまにしゃべる姿見たさに録画を見続けた。録画なのに画面越しに「dボタンを押してプレゼントをもらおう」という企画に参加できると思ったのは大きな間違いだった。ハワイでおいしいとされるものを食べ、日本にはあまりない遊びに興じる彼らを半ば辛抱しながら見た。

波乗りに挑戦する場面では、全員できるまでやめないぞ!と意気込み、番組をおもしろくするために気合を入れてくれたのか元々の企画の範囲内なのか知らないが、有吉の他者に命令するような口調にため息が出そうになる。まるで『ドラえもん』のジャイアンのようだ。

極めつけは、フワちゃんに対する言葉。引用するために見返すのがつらいので、正確ではなくニュアンスで伝えることをお詫びしたい。「だって有吉さんはいつも私のことをたくさんバカにするじゃないですかぁ〜。」と言ったフワちゃんに、一瞬の間を置いて有吉は「バカにされるようなことを言うお前が悪いんだよ」と言い放った。次のコマーシャルに入る区切りのところで、一緒に見ている娘の動向を伺った。一番番組を見たがっているのは娘だから。すると娘が「…つらいな。」と言った。

そうだよね、そうよね。途中だけど、もう見るのやめようか、と夫とも珍しく意見が一致して、いつものYouTube視聴に戻った。

有吉の放った一撃に、周りからは笑いが起こっていたが、本気だろうか。だとしたら人間性を疑う。口が立つ、とでも言うのだろうか。私には「いじめられるようなことをするお前が悪い」と言ういじめっ子の理論と同等に思えて、大変不快だった。まさに詭弁だ。
「どんなことがあってもいじめる方が悪い」
昔変わった性格のためいじめられていた話をした時に大学の友人が言ったことを突然思い出した。

実は私自身、その数日前に同じような思いをしたから、余計につらかった。私と妹は母を通してしかお互いのことを見ていない。喧嘩っ早い私の方から妹に言われてつらかったことをわざわざLINEで伝えてしまった。すると…。妹はありとあらゆる角度から、私に対する猛烈な批判を始めた。私が嫌がることを少しずつ論点、焦点をずらしながら、あらゆる角度からどんどん攻撃をしてくる。まるで、口が立つ有吉のように。

Facebookにプライベートを晒して恥ずかしくないのか。
Facebookに投稿する暇があるなら母を助けろ。
許可なく家族のことを投稿するな。
子どものことをほったらかしにして母に押し付けてきた。
私が他所とトラブルを起こし、母は傷ついている。(「傷ついてかかりつけ医を変わった話」を参照)




そうだ、私と妹は母を通してしか知らない。でも知っている部分はとことん深く知っている。

最初は私も応戦していたが、どんどん立ち位置を変えながら的の狙いは変えず撃ってくるから、傷ついて気持ちが萎えた。これは謝ればいいのか、と思い、ありったけの謝罪をした。

妹からはスタンプが一つ来て、攻撃はピタリと止んだ。妹の目標は達成といったところか。本気でショックを受け、本気で応戦し、本気で謝罪した私の完敗だ。これが誹謗中傷、ヘイトスピーチというものなのだろうか。妹はピンホールほどの小さな穴から地球全体を見ていて、世界を相手に戦っている。私にはフェイクにしか思えないが、妹にとっての正義のために相手にありとあらゆる言葉の武器を使って勝つまで戦っている。

私にできることはただ一つ。同じ土俵に立たないこと。大きく構えて、取り合わないこと。大変傷つき、大変勉強になる経験だった。そして、悲しい。ただただ、悲しい。実の妹とやり合うなんて。一生わかり合うことができない。「普通って、一体どこにあるのだろう。

というわけで、私はこれからも、恥ずかしげもなくFacebookにプライベートを晒すだろう。幸せ、不幸自慢を披露するだろう。

ジャニーズ問題について自らのラジオ番組で釈明した山下達郎のように「自分の音楽を聴きたくない方は聴かなくて結構」と言いたいところだが、それは適切ではないようなので控えておこう。読者の中にはこんなこと言って恥ずかしくないのか…と思われている方も多かろう。書いて、読んでもらうのが好きなので、恥を忍んで書き続ける所存だ。

さて、大阪に遊びに行った長女が、私へ花束を誕生日のプレゼントとしてくれた。私をイメージして、紫色をオーダーしてくれたそうだ。モノは何を買っていいかわからないから、と花束にしたとのこと。はるばる大阪からやってきた花束、大切に飾っている。

いじめたこともいじめられたこともあり、欠けたところばかりの私が、家族の腐れ縁ではあるが、こうやって誕生日を祝ってもらえた。本当にありがたいことだ。

これがプライベート晒し、幸せ、不幸自慢だ。これからも投稿を続けると思うが、お目汚しご容赦願う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?