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お弁当生活

美味しそうに見える弁当を作ってみたい。誰かに美味しそう、と褒めてもらいたい。

ずーっと、弁当作りにコンプレックスから来る高い理想を掲げ続けて来た。元ネタのFacebookでは、Facebookの性質上、詳しく言っていないが、私は、親が作った弁当にいい思い出がない。

それは、私が親に対していい感情を持っていなかったからかもしれない。いつも入っている冷凍食品。確かに美味しいけど、またか、と思った。ある時は弁当箱を開けたら、いつもの日の丸ご飯に、でっかいシャケとカボチャの煮物デーンとピーマン、あとは寄ってスッカスカだったことがある。また母の場合は良かれと思ってそうしていたらしいが、卵焼きに醤油をたっぷり入れるため、色が暗かった。お世辞にも美しいとは言えず、思春期と相まって、よくお弁当をふたで隠して他人に見えないようにして食べていた。

今、どんなにみじめな弁当だったかを書いたら、ある程度のおかずだったことに驚いた。やはり受け手の問題なのかもしれない。

でも、親自体が弁当作りに熱を込めてなかったし、手を抜かれたという感覚があった。それは母の母つまり私の祖母が、当時珍しい共働きで、母は小さな頃からご飯や弁当を子供たちだけで作らなければならなかったらしい。母にとって、弁当作りにいい思い出がないのだと思う。

ふたで隠して食べるほど見られたくない弁当だった私だが(今思うとかなり不自然な行動で、さすが思春期だなぁと思う)、他の友人の弁当がとてもとても美味しそうに見えた。きれいなおにぎり、真っ黄色の卵焼き…。

私も美味しそうに見える弁当を食べたい!自分は絶対に人をガッカリさせるような弁当は作りたくない。でも不器用だからできないだろう…。弁当作りにコンプレックスがあり、執着してしまうのはこんな理由からだ。

長い自粛生活を経て変わったこと。元々うちにこもり型だった私だが、家の中にいて、活動することが好きになった。

今は、土曜日少しだけテニス、日曜日は昼下がりから2、3時間かけて1週間の弁当のおかずの仕込みまたは作り置きをするのが恒例になった。

テニスを土日してできる「取れ高」と比べたら、今の生活の方がメリットがあると判断した。要は、時間かけても疲れて時間食うだけでテニス上手くなるわけではない、ということ。

かなりカロリー高い作業なので、実は弁当作りはしたくない。自粛生活の時は作ってなかった。子供のためなら、できる。夫と私だけだと…作らなかった。

時々、子供に聞いてみる。
「美味しそうって言われんかった?…よね。言われるわけないかぁ、ごちゃごちゃしとるだけじゃし」
子供が冷めて答える。
「いちいち他人の弁当見てないし見られない、何も言われんよ」
…しゅん。

そしたら、先日、夫が、もう一日の終わり頃、思い出したように
「あぁ、そういえば、今日…」
と始める。
「パートの女性から、Pさんところのお弁当、毎日毎日すごい美味しそうですねー!覗いているみたいで申し訳なくて言えなかったんですけど…って言われたよ」。

えっ?それ帰ってすぐの話題じゃんかー!早く教えてや。

「いやまあ、晩飯作ってないですしね、と答えた」だって。
要は、みんな自分がこだわっているほど弁当のことは気にしていないのだ。

そんな時、かまいたち濱家さんの作ったお弁当とエッセイを見つける。

その中に「皆さんも経験あると思いますが、人に作ってもらったお弁当のフタを開ける瞬間て、絶妙なテンションの上がり方しないですか?」
という一節がある。

そうだ。それだ。

今度は子供に
「お弁当開ける時、楽しみ?」
と聞いてみた。

答えは、YES

どうにも、承認欲求の塊の50を前にしたオバハンである。

※濱家さんの作ったお弁当、めちゃくちゃきれいです。チェックしてみてください。


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