ミントのシナモン 20230205

抹茶ミントですー

足を攣りました!

これは抹茶ミントの人生上わりと重要なことでありまして、というのも、これが人生初の「攣り」だったのです。

足攣るってかっこ良くないですか?

小学校低学年とかの時に、大人が「頭痛いー」って言ってるのを聞いて羨ましく思うやつと同じです。頭痛が何か分からなかったから、頭痛いって大人っぽいなーと感じていました。え、そんなこと思ったことないって?

足を攣る痛みを得たい、とか、痛みを耐えた先の人間になりたい、とかではなく、単に足を攣るという「大人な事象」を経験したいということです。

で、今まで"足攣るエアプ勢"として生きてきて、足攣る関連の話題になると本当に疎外感を感じていました。足攣るってどんな感じなんだろう。足攣ったことがない自分は子どもだな。早く「足攣った!」って言ってみたい。

だから、昨日寝る前に左足がピキン!となりじわ〜と痛みが上がってきて、これが足を攣るということか!と直感で気付きました。少しの痛みと、感動。やっと大人になれた、と思いました。

ででで。

このように、ワタクシは幸運にも足を攣ったわけですが、よく考えたらそれが本当に足を攣っていたのか分からんのです。足を攣るが何を指すのかが分からないから、本当に自分は足を攣ったのかも不明。当然のことです。

これは、痛み系の体内現象のときに毎回思うことで、その言葉が合ってるのか分からないし確かめる術もない。某漫才トリオのコントみたいにすれ違いが起こってる可能性も大いにあるよなーと思っています。

まあ何やかんや、足挫いた時も、偏頭痛になった時も、このお腹の痛みはチクチクなのかムカムカなのかゴロゴロなのかも、言葉のイメージとか感覚とかで「これは〇〇なんだ」と分かってきたし、そんなもんなんだろうと思います。

でも、例えば自分の言う「胸焼け」が、一般に言う「胃もたれ」であるみたいなのって全然あり得るし、言葉ってやっぱむずいなあとなります。

今の時代ではまだ、言葉以上に的確かつ迅速かつ公平に「こと」を伝えるツールは無いから、「語彙力とは世界の広さだ」とはよく言ったものだな、と。いずれ、感覚ごと他者に伝えられるようになれば、言葉って無くなるんでしょうね。


そんなことを思いながら、結局自分は足を攣ったのか攣ってないのか分からないまま。


「ミントのシナモン」というタイトルは、こんな感じの何もない日記のときにつけようと思っています。

日記、ニッキ、シナモン…

ちなみに、友人にこの旨を話したら「それって攣ってなくない?」って言われました。え、ほんと?

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