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今日は午後からさきほどまで、去年10月に就職した会社で出会った同期の男性が我が部屋へ遊びに来てくれていた。
このコロナ禍に入って、10回近くは遊びに来ていたと思う。不思議と、彼とは話しを色々とすることができた。他の同期とも話をすることはあるのだが、なかなかそれが、友人と呼べるようなところまで行くことは無かった。

彼は、私の4歳年下である。最初こそ、敬語をお互い使いあっていたが、今ではタメ口で、年齢なんて関係なく話をしている。
彼は、実家暮らしでそれゆえの家族との近すぎる距離からくる窮屈感に悩んでいたようだった。「はやく、独り暮らしがしたい」とよく言っていた。
数年先に独り暮らしを始めた者として、色々と言ってみたのだが、今思うと多少説教じみていたかな、と思う。けど、彼の性格上受け流してくれているだろうから、私もあんまり気にしないことにする。

労働者として、東京で生活して出逢った年下の人々は、みんな自分よりも大人っぽかった。同期の彼や、もう一人研修中の帰り道を一緒に歩いた同期や床屋で髪を切ってくれた理容師の若い男性。 みんな、なにかしらきちんと考えを持っていて、それは自分の将来や身の回りについて真剣に考えているものだった。(長くなるので中身は省略する)

彼らの、そういった姿勢には大変教わるところがあった。本来、これは恥ずべきことなのだろう。しかし、私はそれを承知の上で、彼らから沢山のことを学ばせてもらったと思う。と、書くと少々大げさかもしれない。

なぜなら、私は労働者として東京に居た期間は10ヶ月ほどで1年にも満たないのだから。その時間の中で彼らと顔を合わせていた時間はというと、人生のスケールからしたらほんの数秒に過ぎないことになるかもしれない。
彼らの人生からしてみても、私が登場した時間は1秒にもみたいないものと扱えるかもしれない。

けれど、これだけは言える。彼らに出逢ったことは、本当に良かったということだ。(それは私のみに適用される可能性もあるのだが)

同期の彼と、最寄りの駅で別れた。「じゃあ、また」「またね」きっと、本当にまた会える気がした。だから、しばらく遠ざかっていく彼の後ろ姿を見つめていたのだけれど、見えなくなるまでそうやっているのは、なんか違うなと思って僕は来た道へ引き返した。

東京をまもなく離れる。また、いつか、可能性は低いけど東京で暮らす、そんな日が来るかもしれない。まぁたぶん来ないだろう。
そうやって、私はこれからの人生を東京じゃない場所で生きていく。

その中で、もう少し歳をとったら、この10ヶ月で出逢い、学んだ人間的交流の温かさを今よりもっと懐かしく思い出す日が来るのかもしれない。

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