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幸せなのは…だから?

先週昔から見ていたアメリカドラマの最終シーズンの最終回を見終わった。ドラマは「Glee」という高校のShow Choirsの物語で、Season 1の初めからアメリカで見ていた。その後国際転居を繰り返し、見れなくていつの間にか忘れていた。ドラマの登場人物が夢や恋愛、友人の関係で悩んだり虐められたり失敗しつつも、歌やクラブの活動を通して成長していくというストーリーで大好きだった。最終回では2020年(今だ!)は皆友情を保ちつつ成長してそれぞれ成功するというハッピーエンドで、よかったなあと思うと同時に感慨深かった。

このドラマを見始めた頃の私は孤独で(今もわりとかわらないけど)学生でお金もなくて、もがきながら成長している登場人物たちに励まされた。そして今約10年後、ドラマの中とは言え皆成功して、それだけではなくて生涯のパートナーを得たり強い友情を育んだことが素晴らしくて、それが自分の間違っていた部分、失敗したというのが身につまされて良くわかった。

人生がうまくいかなかったり満足できなかったり、自分のことが好きになれないときは、自分が面白くないから、容姿が良くないから、人とうまく付き合えないから、理想の仕事や家族、パートナーがいないから、お金がないから、上司がわかってくれないから、仲間が悪い、etc. etc.... と色々な理由を上げて、これがあれば、この問題が解決すればうまくいくって思いがちだし、私もそう思ってきたところがある。でもそうじゃ無いんだよな。あの頃から今まで私はそれなりにやりたいことができてきた、コロナ禍の中でも経済的な心配はしなくて済んでる、全体的には充分満足できる状態である。でもあまり幸せを実感しなかったし、ドラマの登場人物とあまりにも対照的でうまくいっていなくて、なんだか複雑な気分だった。

この週末に、「シリコンバレー式超ライフハック」という本を読んでいた。この中で、「最終目標」と「手段として目標」があり、手段としての目標に注目していたら幸せになれないのは当然だと書いてあった。「最終目標」は、経験したいこと、人間として成長したいこと、世界に貢献したいことまたは自分の足跡として残したいことの3つだそうだ。その他にも「充足感のない成功は究極の失敗」、「コミュニティを持つこと」ことなどなど...。非常に納得。

確かに私は手段としての目標に集中していて、最終目標のことを忘れていた。それは3年前に自分が間違っているとわかっていたけど下した決断の結果で苦しくて、その決断の結果を取り戻そうとしていたから。自分としては正当化していたけど、その決断は恐怖や不安、自己中心的なネガティブな感情から出たもので、決して前向きなものではなかった。そのために自分を通すために人を批判したり意地になったり、バカにする人は許さない、決していい奴ではなかった。自己中としか言えない。まあ幸せでなかったのも当然だね…。

でもいいや。もう一度考え直そう。自分の最終目標が何か。何を体験したいのか。誰とどんなコミュニティを作りたいのか。自分がいなくなった後に何を残していきたいのか。考えて決めるんだ。年齢とか今何しているのか関係ない。もう一度考えて、考えて、選んで、選び直して、最高の自分、理想の自分を作っていく。頑張るぞ!と決意する週末でした。

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