見出し画像

51歳 まだまだやりたいことだらけ

今日は私自身のことを書いてみよう。

なんだかんだと、
ふりかえれば
温室育ちといわれるんだろうな。

小学校は、近所の公立。
自分でいっちゃうけど(笑)
運動も勉強もできて、
なんとなく目立っちゃうタイプ。
(ほんとはグイグイ前にでるのは好きじゃない)
鼓笛隊とか、なんだか指揮者をやる状況になったり
常にリレーの選手だったり。

中学からは短大まで
お嬢様学校といわれる女子校に。
かといって、静々しているわけではなく、
のびのび、友達や先生といるのが楽しくて
学校にいっていた。

6年皆勤で、
金のネックレスやチャームを頂いた。
卒業式は、ミキモトのパールのイヤリングを
くれるような学校。
(高1のとき、ちょっと病んだけど。
また機会みつけて書こう)

短大後は
『今しかできないセレクトをしよう』
と、自分のなかでは

1️⃣どこかに留学
2️⃣他の大学に編入
3️⃣大手に就職

この3つを掲げた。

同じ世代の方はわかるとおもうのだけど、
東京のお嬢様学校の短大生が、
大手企業に入りやすい時代でした。

ぼわーん、と生きてきたわたしが
なんの技術ももたないのに、
大手企業で働けるチャンスはいまだろうな、
と思い、3️⃣を選びました。

この時代の就職活動は、
やればやるだけお小遣いがたまる(笑)

ランチにおやつ、交通費が
当たり前についてきました。

しかも、内定断っても
「どうしてもだめですか?」
って電話がなんどもかかってきたなあ。

私は父に相談して選んだ企業に、
内定をいただいた。

自由で、のびのびな社風、
女子校にいた私は、
親戚のおじちゃをんおばちゃん
おっきいお兄ちゃんお姉ちゃんがいるような環境で
この会社で20年間お給料いただきました。

お給料いただきながら、
今の私の人生の土台をつくってくれた場所。
最高の理解者達のもと、すごせた会社生活。

いまでも先輩同僚、みんな仲良し。
いつでも連絡とれるし、宝物です。

こんな私ですから、
子供を産むなんて考えていなかった。
正直にいうと、子供は苦手。

なんだろな。
わけわからず走り回って、あげく転んで泣いて、
とか、そういうのが嫌い。
たべこぼしとか、赤ちゃん言葉も いや。

私は多分、本来母にはむかないタイプ。

まあでも、いろんな流れがあって
二人の娘の母となりました。


うん。
ここまで、私の履歴を書いてみるだけでわかるな。

苦労や困ったことが、あんまりおきなかったんだ。  
 
いつでも自分のペースで
自分の思う通りに生きてこれたから

自分の思う通りにいかない状況に
ストレス👽

あたりまえだわな(笑)

そんな私が、17歳、14歳の母をやっている。

甘いかもしれないけど、
私はよく頑張ってる(笑)

今日から4日間、ちょっと移動して
好きなことしてきます。

あ、DNAなのかな。
わたしが好きなこと、子供達も好きになるから
一緒なんだけど。

やりたいことの一つ、やってきます☺️

あ、やりたいことは、
1日、1週間、1年、5年、と
自分の中で分類があります。

また、書きます。

50歳超えたって、
子供が学校いかなくたって、
私は私の人生があるので。

自分のやりたいことは、
あきらめずにやります🌈

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?