人生に迷子 -大雑把な振り返り②-

こんにちは、グリーンです。
マメに文章を書いていくって中々たいへんですね。
まぁ、マイペースで書いていこうと思います。

今回は、人生の大雑把な振り返りの続きです。
前回はこちら

大学時代

大学に入学した私は、即アーチェリー部に入り、4月から試合に出るなどアーチェリー三昧の日々を送り始めました。
一方、学業の方は本っっっっっっっっ当についていけない状態でした。化学の授業なんて1回目の一言目から何を言ってるのか分からない、ハテナだけが頭を駆け巡るのでした。
それでも、4月は一人暮らしの環境が整っていなかったこともあり、早寝早起きでちゃんと授業に通ってました。ただ、5月になり(主にネット環境が整ったことで)だんだん夜更かし生活になり、授業の分からなさと相まって教室に行かない生活になっていきました。毎日大学には行くけど教室には行かない(アーチェリーだけはする)、典型的なダメ大学生でした(笑)
それでも、過去問を入手するとかレポートを助けてもらうとか、何とか単位を取ろうとする人が多いのですが(それがいいか悪いかは別として)、私は「授業に行ってないのに単位取るとかちゃうやろ」という謎の真っすぐさで玉砕していました(笑)
結果、アーチェリーを堪能して、当然留年。
ただ、留年したこと自体はそんなに後悔していないです。もちろん、4年で卒業できるように勉強しとけばよかったなーとは思いますが、例え今大学生に戻ってもきっとアーチェリーだけをして留年すると思います(笑)
(留年についても語り出したら止まらないので、どこかのタイミングで別にまとめます)

進学?就職?

というわけで、大学生活は5年(厳密には4.5年)になったのですが、卒業してどうしたいか?という部分は空白のままでした。
ザックリと流れを書くと、
大学院行こうかな(なんとなく、興味ないわけではないし、就職とか考えるの先延ばしにできるし)→院試勉強に身が入らない→院試落ちる→就活せにゃ…→地元戻って薬剤師するか…→研究室の先生から大学病院(母校)の特殊な部署の仕事を紹介される→流れでそっちに就職することに
という感じで、すべてにおいて主体性なく社会に出ていくことになりました。
ちなみに、職業というよりは資格として興味のあるものはありました。それが、スポーツファーマシスト。ちょうど院試落ちた直後ぐらいに資格の創設がされて、アーチェリーしかしてこなかった薬学部生にとってはドンピシャな資格でした。ただ、生まれたての(どうなっていくか分からない)資格だけをあてにする度胸はなく、一旦保留にしました。(このスポーツファーマシストが後々の人生のカギになるんですけどね)

国家試験は合格しましたよ(ギリギリでしたけど)

こうして、社会人になったわけですが…、先の話は次回にします。
                             グリーン

この記事が参加している募集

#自己紹介

227,979件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?