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建築史 古代④ローマⅠ

こんにちは。インテリア&建築の学び直しサロン「くらし間」です。
それでは古代④ローマⅠです。
(まだ時々加筆・追記・修正などしております)

ローマ(紀元前2世紀~6世紀)

■古代ローマ建築のポイント!

ギリシャ人の作り上げた古典文化を継承して発展させた
コンクリートの使用
アーチやドームの採用
装飾的な意味を強くした柱
ビルディングタイプの多様さ

ローマ文化の中心となる都市ローマは、紀元前7.8世紀にはまだ諸民族が共生する小さな集落にすぎませんでした。紀元前753年ラテン人により建国。

紀元前272年にはイタリア半島を統一し、前1世紀にはマケドニア、ギリシアなどを征服。こうしてローマは地中海の覇者となりましたが、戦争で農地が荒廃し、輸入品におされて土地を失った農民が続出し、1世紀におよぶ内乱の時代へ突入しました。

都市に住む多くの民を治めるために、仕事ばかりでなく「食糧と娯楽」を与える政策を買収目的でとりました。つくった娯楽施設の代表が劇場です。

古代ギリシャでは劇場は元の地形を生かしたものでしたが、古代ローマの劇場ではアーチやボールトを利用し、観客席と舞台背景が一体となりました。

すぐれたコンクリート技術で、レンガと石とをともに用いて、堅固で長い歳月に耐えられる建造物を作りました。「ローマンコンクリート」とも言われます。古代ギリシア建築は柱を重視したのに対し、強固な壁が生み出され、柱が装飾的な意味を帯びるようになりました。

ギリシア神殿のオーダーとアーチを融合させたのです。オーダーが建築の構造的な制約から離れ、建築美を担うことになりました。


その大規模実用建築の最高峰が、石造とコンクリート造を併用したコロッセオです。

・コロッセオ(72-80年頃)

コンクリートを主材料とする円形の競技場。直径188m。周囲527m、最大5万人を動員できた。中央の楕円形のアリーナでは剣闘士の試合や剣闘士と猛獣の試合などを開催。

オーダー(柱)は、一層目からドリス式半円柱、イオニア式半円柱、コリント式半円柱、コリント式ピラスター(壁付き柱)となっています。
構造においても、アーチ技法からボールトやドームへと立体的な展開をしました。

身分別の観客席があり、出入り口や通路、観客席は身分によって5層にわけられた、アリーナは240年の火災で焼失、現在は地下通路が露出している。

(なぜか地図を貼り付けすると、大阪のリストランテの名前が入ってしまいます・・・)

・カラカラ浴場(216年)


カラカラ帝が建造した公衆浴場。浴室やプール、サウナ、ジム、図書館などがありました。大ボールト天井。


・セゴビア水道橋

地下に水路を設けない区間では水道橋を建設しました。
石とコンクリート製のセゴビア水道橋(現スペイン)。


・ガール水道橋(紀元前1世紀)

3層のアーチ構造で有名です。保存状態がよいことでも知られています。(現フランス)


・フォロ・ロマーノ

古代ローマの政治・経済・文化の中心。元老院の議場、裁判やバシリカ、神殿などが残っています。バシリカは屋根付きの公共集会施設であり、のちの教会の元となっています。


以上古代ローマⅠでした。ローマはもう少し続きます!

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