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ぼくらはいつだって青春の残像を追いかけている

ぼくらはいつだって青春の残像を追いかけている
〜コミュニティは次の青春かもしれないという話〜

かけがえのない友人をどう作るか?
大人になればなるほど、それは難しくなっているのかもしれない。

学生時代は友人を作る環境が整っていた。
クラス、部活、サークル。
同い年の人たちが集められ、
日々共に過ごすことで、
絆を深め、濃い人間関係を構築しやすかった。

しかし、大人になると
だんだんとそれが難しくなってくる。
職場に親しい関係を作ることはもちろんできるが、
大人になるにつれ、皆それぞれの家庭を持つし、
仕事に忙殺される中で、学生時代の友人関係も希薄化する。
気づけば交友関係が狭くなっていたという人も少なくないだろう。


そうして、いつしか過去が恋しくなる。
あの頃は楽しかった、と呟きながら、
美化された青春の日々を思い返す。

戻れるなら戻りたい、
取り返せるなら取り返したい。
まるで虹を掴もうとするかのように、
ぼくらは青春の残像を追いかけている。

青春は、いつもぼんやりと視界の端を掠める.


しかし、ここ最近、
NFTコミュニティのオフ会に参加したことで、
残像のしっぽを掴んだような気がした。

偽名とアイコンだけで長い間接していた人に、
リアルで会うという体験。
初対面なのに、随分昔から仲が良かった人のように感じる、不思議な体験。

以前、オンラインコミュニティが
自分のアイデンティティになりつつある、と書いた。

そんな新たなつながりを持った人たちと、
リアルで対面するとき、
言葉では表現しきれない興奮と感動があった。

テキストとボイスだけでコミュニケーションしていた人が、
目の前に、質量を伴って現れたこと。
その存在は、確かだった。

ふわふわとした感覚とともに、
それは、かけがえのない関係のように思えた。
長く同じ時間を共にした絆が、
強い力でぼくらを引き寄せているような気がした。

それはまるで、磁力のように.


青春は、よりくっきりと。
解像度の高い残像が、手の届く範囲を漂っていた。

いくつになっても、心の底から無邪気に楽しみたい。

振り返らなくてもいい、
後ろではなく、前に見える次なる青春を
追い求めたっていいじゃないか。

今この瞬間が、一番若いのだから。

ぼくらはいつだって青春の残像を追いかけている.
青春に年齢制限はないみたいだ.

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