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「THE CITY」とアイデンティティ

「THE CITY」とアイデンティティ
~ゆるくつながってたいよねという話~
THE CITY

milkさんのNFTコレクション「CITY BOY & CITY GIRL」のDiscordコミュニティ「THE CITY」の運営として参加させてもらって約4ヶ月。
今やNFT界隈の大御所たちにも、うまく回っているコミュニティとして名を出してもらうほどTHE CITYは良い形で成長を続けています。

  • milkさんの素敵なイラストと人柄に多くの人が魅了され、ファンになっている

  • ホルダーのみなさんの結束が強く、投機転売ではなくガチホばかり

  • ホルダーでなくても積極的にコミュニケーションに参加している

  • 運営でない方でも、新しく入ってきた人をあたたかく迎え入れる

などなど、milkさんを中心にこのコミュニティは非常にアクティブかつ穏やかです。

CITY BOY & CITY GIRLコレクション
https://opensea.io/collection/cityboyandcitygirl

THE CITYのイメージビジュアル"talk cafe"

そんなTHE CITYの様子をみて、この街の住民として、
そして運営として、考えるところがあったので文字にしてみることにしました。

milkさんや同じく運営のコヤさんのように発信力があるわけではないので、
そういう貢献ができていないなあと分かりつつも、
なにか形で想いを残したい、と書き連ねた文章です。

ですので、これはTHE CITYの紹介記事ではありません!
ただの個人的な日記レベルですが、
考えて、書き留めて、反芻して、
砂の中から拾い集めた言葉でこの感覚と関係性を言語化していきます。



◆アイデンティティはどこにある?

好きな言葉の1つに「暮らし」という言葉がある。
その土地で、身の回りの人たちと、生きること。
1日を過ごし、1年を過ごし、そして日常を生きること。
日々を幸せに生きることが、「暮らし」という三文字に見え隠れする。
そしてそんな「暮らし」が、僕らのアイデンティティを形作っている。

つまり、住んでいる土地や環境、文化、地域コミュニティ、家族、学校や職場で関わる人々…
“日常の射程”に含まれるあらゆる要素があってこそ、自分がある。
日本人としてのアイデンティティ、東京都民としてのアイデンティティ、
○○家としてのアイデンティティ、会社員としてのアイデンティティ。
自らの身体が存在する空間や時間の中で、
複層的なアイデンティティが絡みあって自分という存在ができあがっている。

生きることは、暮らすことだ。

人間は人間である以上、身体からは逃れられない。
いくらメタバースに入り浸っていても、
身体を通じて栄養を摂取し、接触を通じて愛を確かめ、
生物としての生命活動を維持する。
デジタルが自然になればなるほど、アナログな身体性が愛おしい。
だから、身体が存在する空間における、
戸籍に登録された氏名において自己を同定される、
そんなリアルコミュニティこそが、アイデンティティの源泉だと思っていた。

しかし、THE CITYというオンラインコミュニティの現状を目の当たりにしたとき、
身体と本名から解放された領域で「暮らす」という感覚が駆け巡ったとき、
CITY BOYのアイコンが自分だとしか思えなくなったとき、
コミュニティとアイデンティティについて考えなければいけないと思った。

THE CITYは、自分のアイデンティティの一部になりつつあるかもしれない。
それは何を意味するのだろうか。



◆コミュニティってなんだろう?

社会学における「コミュニティ」の歴史を遡れば、
1917年にマッキーヴァーが、コミュニティを「場所や空間を共有する結合の形式で、地縁による自生的な共同生活」と定義している。
ここでは、地域性や共同性が重要視されている。
日本では1970年代に、急速に進む都市化の中で新旧の住民が入り乱れ、
従来の村落共同体の伝統的秩序では制御できなくなったところに、
コミュニティという概念が持ち込まれたという。

1990年代に入ると、インターネットの普及により
オンラインコミュニティという概念が生まれる。
そこには当然、地域性の含意はなく、
「人と人とのつながり・人間関係」くらいの意味合いで
コミュニティという言葉が使われ始めることになった。

しかし、THE CITYのコミュニティには、
ただの「人と人とのつながり」以上の、
本来であれば地域に根ざすコミュニティに見られるような関係が見てとれる。
もちろん人によって、関与度や感じ方は違うと思うが、
運営でもある僕の立場から見るに、それは、
定在性、互いへのリスペクト、互助関係、自治の精神などだ。
milkさんとそのアートと、そしてコミュニティに対する愛着のもとに、
コミュニティメンバーのサステナブルな関係が構築されつつある。

毎日早朝から早起きを競い合うようにgmの応酬。
起きたらまずここに来るという習慣が根付いている。
THE CITYの日常
新しく来た方を、コミュニティメンバーが自発的に迎え入れる。
排他性のないオープンなコミュニティで、閉鎖的な村社会になっていない、
多くの人が往来し、出入りする、まさに都市(CITY)の様相を呈している。
THE CITYの日常
コミュニティメンバーが自発的に、THE CITYの良さを語る記事を書き、
それを自発的に他のメンバーが拡散していく。
利己的にではない、愛着からくる行動で、
自然発生的にレピュテーションが高まっていく。
THE CITYの日常
web3やNFTプロジェクトに関する知見を共有し合う。
DYORのこの領域で、集合知でリサーチコストを下げている。
しかも情報発信元がここのメンバーなら信頼がおける。
THE CITYの日常

殺伐とした雰囲気もなく、
ここにいるメンバーは皆仲間なのだとでもいうような互助関係。

多くは会ったこともない、顔も名前もしらない人たちと、
そういう関係性を構築する。
そういうアイデンティティで関わり合う。
この新しい関係性を何と呼べばよいだろうか?

THE CITYのコミュニティに新しく入ることを、我々は「引っ越し」と表現している。
オンラインではあるけれど、ここには「暮らし」がある。
自分は、THE CITYに「住んで」いる。
地域と身体にとらわれないコミュニティに帰属している。
この自意識こそが、アイデンティティだと思う。



◆THE CITYはどこへ向かうのか?

この先、THE CITYはどこへ向かうのだろうか、
ふとした瞬間に、そんなことを考えている。

売り上げを目的としたプロジェクトではないし、
何かの理念を達成するための宗教でもない。
ある1点を目指して進む矢印の関係ではなく、
「暮らす」という、継続的な、線の関係なのだろう。

身体性から解放されている分、
抜けるも自由だし、発言しないも自由、
リアルコミュニティに比べればかなり敷居の低い、
流動性のある街だと思う。

それだけに、
ここをもう1つのホームのように感じ、
関わり続けようとするその関係性は、かけがえのないものになるだろう。

何かに焦ることもなく、何かに惑うこともなく、
このコミュニティは風の吹くままに進み続けるし、
たくさんの人にとって居心地の良い場所になっていく。

ボルボックスという生物をご存知だろうか?
淡水に生息する緑藻の一種なのだが、分裂した1つ1つの個体が集まって1つの個体として生活するため「群体」と呼ばれる。

分散と集合のはざまで、
僕らはボルボックスのように、
ゆるくつながった共同体として
ふわふわ浮かんでいたいのかもしれない。

いつかDiscordがなくなったって、
時代が変わってしまったって、
milkさんのイラストで、
そしてオンチェーンの関係で、
きっとつながってられるはず。

ゆるくつながってたいよね

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