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ノスタルジーの条件 // 写真コンペ特別賞選定理由

ノスタルジーの条件
〜未体験のノスタルジーを何と呼ぶのだろうかという話〜

THE CITYで秋の写真コンペを開催しておりました!
エントリー総数83件!
じんぺんさんの華麗な取り仕切りにより非常に大盛り上がりとなった写真コンペ、そのテーマは「ノスタルジー」でした。

大賞はみんなの投票によって選ばれますが、もう1つ、特別賞としてmotoki賞を作らせてもらいました!
僕の独断と偏見で選ぶ作品賞です。

その特別賞に輝いたのは…

cocoさんの「祖父の家で迎えた朝」でした!

「祖父の家で迎えた朝」by coco

この記事では、なぜこの作品を選んだのか、その選定理由についてお話しします。
そもそもなぜテーマを「ノスタルジー」にしたのか、それを含めた僕の想いを綴ります。ご興味あればぜひ!


ノスタルジーを紐解く


見たことのない郊外の風景に、ノスタルジーを感じるのはなぜだろうか。
幼少期の原風景と似ているからだろうか。

この風景は初めて見る。けれどノスタルジックだ。


フィルムカメラで撮った光の滲んだ風景にノスタルジーを感じるのはなぜだろうか。
そのメディアの解像度の低さが懐かしいからだろうか。

解像度の低さが、ノスタルジーを生み出すのか?


僕の人生の探求テーマの1つがこれだ。
なぜ見たことのない風景で、ノスタルジーを感じられるのか。

写真コンペに投票した人は、なぜその写真にノスタルジーを感じたのだろうか?その風景を初めて見るはずなのに。

ここでの「ノスタルジー」は「(自分の過去の体験の)懐かしさ」とは少し違う。過去のある時点、あの瞬間が懐かしい、のではない。初めて見るけれどなぜか懐かしい、そんな"未体験のノスタルジー"なのだ。


ノスタルジーは、もはや存在しないものへの憧れ


思うにそれは、
もはや存在しないものへの憧れなのではないだろうか。

この"未体験のノスタルジー"という感覚がそもそも何なのかと考えた時、そう定義してみることはできないだろうか。

ある写真を見たときに、
心を揺り動かされるあの感覚、
この瞬間に戻りたい、身を置きたいと、胸が締め付けられるあの感覚、
それは、
もう戻れない過去への喪失感であり、
すぐには手の届かない甘美な風景への憧憬であり、
美化された過去の時代への陶酔なのではないか。

それは、記憶の中の過去が懐かしい、と思う感覚ではない。
記憶の外にある「過去であろう」瞬間に、
もはや手に届かないことが「儚い」という感覚だ。


ノスタルジーに関する文献には以下のような定義づけがある。

「ノスタルジアは、喪失と転位の感情であるが、しかしまた自身のファンタジーへのロマンスである」

スヴェトラーナ・ボイム

「ノスタルジアは指定できないものへの憧れにもとづきながらも、その指定できないものからすらはぐれた時点で世界を眺めている視線なのである」

松岡正剛

ノスタルジーは、もはや存在しない、あるいはそもそも存在すらしなかった、過去のフィクションへの憧れのように思える。


祖父の家で迎えた朝

改めてcocoさんの写真を眺めてみる。

この風景はもちろん見たことがない。
しかしなぜかこの風景は、ノスタルジックだ。
はじめて見るけれど、この瞬間の過去に戻りたい。
そう感じさせてくれる。

幼い頃、祖父母や親戚の家に泊まりに行った翌朝、
目を覚ました瞬間の景色がいつもと違って
変な感覚を覚えることはなかっただろうか。

ーーーー祖父の家で迎えた朝。
自室より少し寒い、そんな部屋で、
障子越しに見える景色は、いつもと違った。
そうだ、祖父の家に来ていたんだった。

そんなシーンかな、と想像しながら、
フィルム調にざらついた写真を見る。

粒子の目立つ解像度の低さと、焦点の合わなさは、
ノスタルジーをかきたてる。
メディアの古さは時代の色を出す。

窓越しの庭の風景にも、
窓に反射する光にも、
その瞬間にしか出せない、過去の静寂を感じる。

そんな不思議な感覚を呼び起こしてくれるのが、
この写真だと思う。

この過去に戻りたいと、思ってしまう。

そんなわけで、
特別賞はこの写真を選ばせていただいた。


おわりに

もしかしたら、伝わらなかったかもしれない。
この感覚を言葉で伝えるのはやはり難しい。

こんな思いで写真コンペのテーマを選んだ、ということ、
ぜひ少しでも伝われば嬉しいと思う。

次のコンペは何だろう?


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