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人生の無駄も大切

私は基本的に効率重視で生きるように努めております。10分もかかる作業を、別のやり方で、効果や品質を損なわずして5分でできるならば、そっちのやり方のほうが絶対にいい、という考えが根本にありまして。もちろん、10分かかるやり方も「あるものはあるべくしてある」という考えのもと、なにかしらの特異性があると思って検証はしますが、その特異性に対した優位性がなければ、5分のやり方を選択するようにしております。

これ、くどくど書くまでもない、あたり前のことかもしれませんが、実際には「慣れたから」「機材が高い」などの理由で、10分のやり方を継続するって方も多いと思うんですよね。人間にとって「変化」ほどエネルギーを使うこともなかなかないので、ついこれまでのやりかたに甘んじるのはわからなくはないのですが、絶えず挑戦する気持ちを持って、やり方の取捨選択を検証するのは大切だと思います。

ほらまた関係ない話になりそうになってるwww
今回話したいのは、そんなことじゃないんです。

さて、効率重視で生きているという話をしましたが、反面私は「人生の無駄」も大切にしようと心がけております。効率、無駄、相反する言葉ではございますが、効率重視だけでは得られないQOLがある、というのもよく理解しておりますので、いかに無駄を楽しめるかについても、しっかりと考えるようにしています。

例えば。

私はよく人から「聞き上手」と言われます。むずがゆいのですが、私自身も「話し上手」よりは「聞き上手」かなぁと思う節があるので、その評価は素直に嬉しく受け止めています。
具体的には、初対面の人と話題が途切れないことを褒められることが多いです。例えば大学時代に初対面の後輩と話す機会があったとき、よく↓こんな感じで話を盛り上げました。

私「〇〇君って、何部入ってるの?」
〇〇後輩「自分は△△部に入っています!」
私「あぁ、あそこって□□君も入っているよね?」
〇〇後輩「あ、はい、□□先輩は、部のイベント企画とかされてますね!」

みたいな感じですね。
こういう場合、私と□□君は「知り合い以上友達未満」というケースが多かったですね。入学時の体験入部で数回話した程度で、最後に挨拶したのは半年前とか、そんな程度の仲だったりします。ただ、そんな程度だったとしても、共通認識事項があると人は話しやすくなるもので、それキッカケでその後の会話がわりと簡単に盛り上がります。

ここで重要なのは、私が□□君と既知の仲だった、ひいては既知になるために私が△△部の体験入部に参加していた、という事実なんですよね。
私は△△部に入部しなかったですし、その後も関わることは特になかったです。体験入部自体は講義の後の2時間程度、プラス食事会の2時間もありましたので、冷たい言い方をするならば、△△部の体験入部で人生の4時間を無駄にしたわけです。その4時間があれば他にもできたことはあるでしょうし、人と関わるのもエネルギーを使うので、4時間無駄にし、さらに無駄なエネルギー浪費もあったわけです。

しかし、その無駄のおかげで私は〇〇君と親しくなるキッカケがありました。その〇〇君つながりで✕✕さんと知り合い、それキッカケで▽▽サークルを知り、そのサークルで仲良くなった子のおかげで私はコーヒー事業を志すことになりました。風が吹けば桶屋が儲かるように、人生の無駄が人に大きな影響を与えることは往々としてあります。

先程の事例でも、私が体験入部に参加しなかったとして、その4時間で何をやっていたでしょうか。当時は講義もオリエンテーションが多く、基礎教養科目くらいしかなかったので、毎日生真面目に5時間も6時間も予習復習しなくても十分ついていける内容でした。そうなると、当時寮生活だった私は、おそらく大部屋で友人とゲーム談義で盛り上がっていただろうことは想像に難くありません。もちろんその無駄も、必要な無駄に昇華する可能性もありました。しかし、結果としてあれは私にとって必要な無駄だったなぁと、しみじみ感じます。

他にも私は、あまり興味のない部活や講義にも、時間が許す限りは目を向けるようにしてきました。その中の一つで、私の大学院での指導教官との出会いに繋がったこともありました。具体的な事例を書き出すとキリがありませんが、とにかく、桶屋が儲かると信じて風を吹かせる努力は大切だと思います。

長々と書きましたが、効率重視の人生であっても、たまには無駄も大切だと思うというお話でした。

#自分にとって大切なこと

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