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茶会の意味とは

☆久しぶりに

先日、お茶会にお手伝いとして参加させていただく機会を得た。

大学を卒業してからというものの、コロナの影響があり、お茶会の開催が自粛された時期が続き、開催側として参加することはもちろん、客として参加する機会も限られていた。

だんだんと、そんな日々は過ぎて新しい日常が定着するとともに、お濃茶の席も、新たなカタチで再開されるようになった。

私が参加させていただけたのは、そんな貴重な濃茶席の場であった。

開催地が遠方だったため、朝4時に起き、着物を着て、出かけた。

前日に突発的なアレルギー性鼻炎になり寝不足だったこともあり、会場に着く頃には目は覚めているが、頭がキリキリと締めつけられ、既に疲労感を覚えていた。
だが、そんな私を包んでいた靄は、師の背中に続いて会場に足を踏み入れた瞬間に吹き飛ばされた。

正面玄関を横切るように伸びた廊下を、色とりどりの着物の上に割烹着を被った先輩たちが忙しなく物を運び、掃除をし、動き回っていた。

私は、一緒に手伝いに参加に来た友人と文字通り立ち尽くしかけた。

だが、師が一瞬にして、その勢いのあるまとまった風のうねりのような彼女たちの流れに溶け込んで行く様を見て、「甘えてられない!」と心だけは覚悟を決めた。  

① 学び

久しぶりの茶会の緊張と高まりにゾクゾクし、と同時に一抹の不安が胸を掠めた。

そして、その不安は的中した。

準備の段階から、どのように席中の様子(今どのくらい点前が進んでいるのか、誰にどこまでお菓子やお茶が渡っているのか、、等々)を水屋に伝えて、お運びをまわしていくのかについては、打ち合わせがされていた。

だが、始まってみて初めて気づくことが多くある。だから、決して打合せどおりにはいかない。

個々人が状況に応じた判断と行動をすること、それは何より大切なのだが、共通した認識が失われていくと、結局は全体としての判断や行動の指針が失われ、やがては大きな問題の火種が生まれていく。

茶会とは、いくら準備したところで、ハプニングや問題が必ずあるものだ。

重要なのはその後に、どのように、誰にコミュニケーションをとって対処していくか。

先日のお茶会では、そんな場面において、誰に何を伝えてどう解消するかをすぐに判断した先輩の姿を見ることができたのが、何よりの学びだったと感じる。

②茶会の意味

茶会とは、なんだろう。

何のために茶会をするのだろう。

学生の頃は、茶会の目的が明確だった。

1年、初めての晴れ舞台の茶会。
2年、新入生歓迎の茶会。
3年、部の中心学年として、活動の集大成を披露する茶会。
4年、最終学年として、師、後輩、家族、OB・OGへの謝意を伝える茶会。

だが、師の名前のもとに開く茶会に出るということは、それは心から茶を以て客をもてなすという行為によって「師に報いる」、そんなことのような気がする。

大寄せの茶会には名も知らぬ、もちろん素性も知らぬ客が多く訪れる。

正直、そのような偶然性に満ち満ちた茶会の場は、身体も頭も動き続ける「動」の世界であり、胸が息苦しいようなそんな気持ちになることもある。

だが、名も知らぬ客たちは、茶券に書かれた師の名前だけを頼りにそこに集まる。そして、そこにどんな席が待っているのか胸を高鳴らせているのだ。

その想いに真心から向き合うことが、茶会を成功に導き、師への最大の感謝につながるのだと、そう感じている。

③今後

いつか、気心の知れた人たち、たとえば家族や大切な友人や、そして感謝を伝えたい人たち、恩師やお世話になった方を招いて、小さな小さなお茶の席を持つことができたら、どんなに幸せだろうと思う。

お茶のことなど何も知らなくても、真心を込めたことが伝わるような、居心地の良い空間を作りたい。


いつか、いつか、いつかね。

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