見出し画像

野生動物を診る獣医に必要な資質とは?

9月に入って、奈良の鹿の交通事故が増えていて、鹿の治療で毎日とても忙しい。平日は残業、ここ数週間は休日出勤が当たり前になった。なんとか治療を手伝ってくれるボランティアさんの力を借りてしのいできたが、さすがに獣医一人でできる仕事には限界がある。
愛護会では獣医が私一人で、動物看護師もいないので、局長に掛け合って土日と平日2日来てもらえる動物看護師または獣医師を求人してもらうことになった。現在、ハローワークで募集している。

ところが、である。求人票を書くにあたって、私に何の相談もなく上層部だけで求人票を作ってハローワークに出してしまった。しかも、応募者が出てきた場合、私は面接に呼ばれていない。つまり鹿を治療するのにどういう人材が必要なのか、現場の声をきちんと聞いて採用しようという姿勢が愛護会には欠けているということである。

求人票を見たら、案の定動物看護師と獣医師が同じ求人票に募集されており(通常、獣医師と動物看護師はできる仕事の範囲や条件が異なるため、別々に求人することが一般的)、仕事内容について具体的な説明がなく、必要とされる経験・技能についても書かれていなかった。

野生動物の治療に興味を持つ動物医療関係者は一定数存在する。しかし、この募集内容では「どういうこと???よくわからん!」となり、せっかくの人材を逃してしまうことにつながりかねない。しかも、休日出勤が必須となっているため、給料が一見よさげに見えるのだが、そのことが明記されていないため、鹿の治療に興味はなくお金につられた人が応募しないか心配である。

そこで自分のこれまでの経験から野生動物を治療する獣医師に必要な資質は何か、自分なりに考えてみた。野生動物といっても、私が治療するのは奈良の鹿だけだが、実際は鳥類、爬虫類、哺乳類、場合によっては両生類など多岐にわたる。なお、ここでいう野生動物は、動物園で飼育されている展示動物は除き、本当の自然環境で生きている野生動物を指すものとする。

① 野生動物を治療する仕事への熱意
どんな仕事でも当てはまるのだろうけど、「やる気」が一番大事だと思う。野生動物に治療費を支払ってくれる飼い主はいないので、野生動物を治療するとなると、通常は獣医師の持ち出しになる。私の場合、幸い奈良の鹿を保護する(本当に保護していると言えるのか怪しい部分もあるのだが・・・)、愛護会に雇用されているため、給料や治療費は支払われるが(とはいえ、両方とも減額できないか、愛護会から提案されたことはある。つっぱねたら、陰口をたたかれるようになった)、ごく少数の例外を除いてお金が支払われることはない。
しかも野生動物はノミ、マダニなどの寄生虫、ウィルス、細菌を保有しており、治療する過程で獣医が野生動物から感染してしまうリスクは高い。奈良の鹿の場合、マダニはほぼ保有しており、私もこれまで何度かマダニが私の体に乗り移ってきたことを経験している。
また獣医の側は治療するつもりでも、野生動物にはそれがわからないので、かまれたり、けられたりすることもある。私も実際、鹿に麻酔をかける過程で鹿に衝突され、クモ膜下出血を負ったこともあった。
お金にならない、病気・けがのリスクがある仕事をそれでもやるには、仕事に対する熱意がないと続けられないと思う。

② 臨床経験
野生動物の病気の種類、診断方法、治療方法はたいがい確立されていない。そこで、似たような症例がないか調べながら手探りで病気を診断し、治療することになる。こんな時、役立つのが過去の治療経験だ。犬や猫などのコンパニオンアニマル、牛や馬などの家畜、うさぎ、モルモットなどのエキゾチックアニマル、なんでもかまわない。とにかくある程度の治療に関する知見が積み重ねられている動物での治療経験があれば、それを足掛かりに野生動物へ転用できる。私の場合は、犬や猫の臨床経験が役に立った。もちろん犬や猫と鹿とでは全然違うけれど、けがや骨折、感染症の治療原理は同じである。
ちなみに鹿では小動物臨床で多く見かける腫瘍の症例はほぼ皆無である。ほとんどが、交通事故か感染症だ。感染症の場合、人間がわかるほど衰弱している状態で保護されることがほとんどなので、救命率は限りなく0に等しい。交通事故では、重症度にもよるがきちんと治療できたら野生復帰も可能である。交通事故で負傷した動物を治療する場合に必要となってくるのが、外科的手技である。私はあまり外科的なことは得意ではない方だが、診るのは骨折やけがの鹿ばかり。基礎的なことをマスターして、あとは現場で経験を積むしかない。小動物や家畜の臨床現場で車にひかれて開放骨折、という症例を日常的に見かけることはまずないが、野生動物の治療現場では鹿以外の野生動物の話を聞いても、人が原因で起きた事故によるけがや骨折が非常に多い。そして、大抵の場合、ひどいけが、ひどい折れ方をしている。小動物や家畜でこんなひどいけがや骨折を診たことがないから、これまでの臨床経験が役に立たない、というわけではなく、基本さえ押さえておけばなんとか対応できる。あとは場数を踏むことだ。
野生動物の治療に興味のある獣医さんには、野生動物以外で診断、治療の流れをきちんと経験してから、野生動物の治療を始めることをお勧めしたい。

③ タフであること
肉体的にも精神的にも両方タフであることが求められると思う。
まず体力面では、「野生動物」なので当然野外での救護活動が含まれてくる。暑い環境、寒い環境で長時間作業する必要も出てくる。また、動物によっては人より大型だったりもする。
つい先日、体重80キロの雄鹿の骨折を治療した。担架に乗せて運ぶときは3人がかりだったが、坂を上るのはかなりしんどかった・・・私はそれほど体力があるわけではないので、気力で補っているという感じかな。
それから次に、精神的にタフであることが必要と言われてもピンとこないかもしれない。これは私の実体験に基づくものだが、奈良の鹿の治療をやっているといろいろ言われることが多い。例えば、奈良の鹿は春日大社で神の遣いとして1000年以上にわたって保護されてきた歴史があり、現在は国の天然記念物だが、他の地域で鹿は害獣扱いである。他府県の鹿と奈良の鹿をごちゃまぜにして「なんで治療するのか?」と面と向かって言ってくる人もいる。また先日保護している鹿たちのために鹿のえさとなる木の葉を持ってきてくれた人に骨折で治療中の鹿が食べるからうれしいと告げたところ、「馬なら安楽死だね」とさらっと言われた。もちろんご本人に悪意がないのは十分承知しているが、鹿の骨折治療をしているというと「安楽死すればよいのに」という言外のプレッシャーを感じることは多い。奈良の鹿の骨折は人間が引き起こした交通事故が原因であること、1本の肢だけの骨折であれば90%以上の鹿は治ることを説明するのだが、理解が得られず不審そうな目で見られたことも何度か経験している。また獣医系大学の某教授からは、奈良の鹿のことで議論していたときに「私は専門家で、あなたは専門家じゃないから」と言われたこともある。そういうご本人こそ鹿のことを研究したこともない人なのだが・・・
つらつら述べてきたが、言いたいことは、世間であまり認められていないことをすると変な人という目で見られ、時には心無い言葉を投げかけられることもあるということだ。そんな中でもめげずに野生動物の治療に携わるには、落ち込まずに楽観的に考えられる人でなければやってられない。

最後に自分が治療して回復した動物が野生復帰するのを目にして自己満悦に浸ることができるのは、野生動物を治療した獣医だけの特権である。あまりお金にならないリスクの高い仕事だが、この時だけは「よっしゃー!」と叫びたいほどうれしい。







いいなと思ったら応援しよう!