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The BIBLE of Religio Scientia

『人類が知っていることすべての短い歴史』という本を読んだ。元々、大学の友達の机に置いてあったものを貸してもらったのだが、これが大層面白かったので、こうして所感を記しておこうと思った次第である。

さて、本書は「科学」と呼ばれる諸分野について、その発展に纏わる紆余曲折を主として記したものだ。章ごとに天文学、物理学から医学、生物学、人類学に至るまで、それぞれの崇高な研究の潮流が合計800ページにわたって長々と述べられている様は、圧巻というしかない。どの分野の研究史も、博識な科学者達がその人生すべてを擲ち、倦まず弛まず努力を続けた結晶である──。

と、このように有り体な書評をしても無味乾燥な文章になること請け合いなので、読後の興奮が冷めないうちに思ったことをつらつらと書き殴っておこうと思う。

 殆どの諸分野の研究史を読むと、強くショックを受けることがある。それは才気煥発な研究者に潜む浅ましさや欲深さなどの極めて人間的な汚い部分だ。気に食わない研究者がいれば、その研究内容がどんなに整合性が取れていようとも、妥当な批判が思いつかなくとも、資金援助やデータの共有体系から爪弾きにし、果ては教会や研究業界に掛け合うまでして、若い芽を摘み博学多才な人物を追い落とす。しかし、そのような行為が諸分野で起きていたことが、残酷な事実として本書には記されているのだ。死後いくら認められようとも、死人に口なし心なし。ギデオン・マンテルを想うと、大英博物館の見学はなんだか憚られるし、ウジェーヌ・デュボワやグレゴール・メンデルも浮かばれなかったに違いない。科学界が私怨と謀略が渦巻く陰湿な空間ではなかったとしたら、科学の発展は更に進んでいたのではないかと思うと悔やんでも悔やみきれない。

 勿論、残るのは悔悟だけではない。本書は同時に科学が我々に齎してくれた計り知れない知の質量で読者を圧倒してくれる。人類が未だ嘗てどの生物も入ることのできなかった不可知の暗闇に知識欲の手燭を携えて手探りで入門したのは、人類が地球に生を受けて良かったことの1つだと思う。決して近道ではなかったにしろ、今現在ホモ・サピエンスはDNAが99%同じのチンパンジーよりも多くのことを知っていて、それを活かす能力がある。生物学を例に挙げると、顕微鏡が発明されて、細胞が発見されて、染色体が発見されていくように。ページを捲る度に学問が発展していく様はさながら巨大な館の小部屋に順番に灯りが点る様を見届けているようで爽快だった。今まで勉強してきた学問がこれらの科学者の叡智の結晶だと思うと、感動すら覚える。その爽快さと共に各章の読後感として残るのは、私たちは何も解っていないことが判っただけだというある種の幸せで虚しい気持ちだ。1の事実は10の新たな謎を我々に突きつけてくる。依然、学問の館の中は果てしなく広く、暗闇に呼びかけても声が木霊することすらない。残されたのは暗闇に対してあまりにも僅かな光明と、ちっぽけな人間ただ一人だ。それでもなお、暗闇に挑み続ける科学者たちには畏敬の念を感じずにはいられない。

 そして、忘れてはいけないのは、正しさの象徴のように扱われる「科学」というものは極めて人間的なものの上に立っているということだ。今は当たり前の考え方でも、当時は突飛な意見だったということは往々にしてある。教科書には概して"正しさ"しか書かれていないが、その正しさに至るまでの脇道にはたくさんの否定された説が存在する。1つ例を挙げてみる。放射線と聞くと、多くの人が人体にとって有害なものであると想像するだろう。しかし、1920年のアメリカでは放射性物質を含んだ清涼飲料水(ラジソール; Radithor)が、万能薬だと謳われて販売されていた。放射線に関する理解が深まった1930年頃に飲まれなくはなったが、時すでに遅し。この清涼飲料水を愛用していたアスリートの遺体にて顎の骨と頭骨の一部が消失していた、ラジソールの発案者の遺体を研究の為に20年後に掘り起こしたとき、体内に残っていた放射線の影響でまだ温かかった、等の奇妙な逸話で溢れている。2000年代に広く世界中で飲用されていたエナジードリンク中の〇〇という成分が4世代後の胎児に悪影響を及ぼすことが判明、なんてニュースが2100年代で流れることが絵空事だとは言い切れない。放射線が安全だと妄信されていた近代のアメリカ。魔女の存在が妄信されていた中世ヨーロッパ。科学も広義の宗教だという考え方にはある種の納得を示さざるをえない(決して賛成はしないが)。

 人類学の発展と人類の誕生の謎を以て、本編は終了する。何も知らなかった類人猿は、やがて自分たちにサピエンスという傲慢な名前を付けるまでになった。科学者たちの人間的な一面を見せておいて、終盤で自分らの傲慢な命名を出してくるあたり、強い皮肉を感じて堪らない。そんな傲慢なサピエンスによって存分に栄養を与えられた科学は、これからも暴力的に発達し、生物や地球を巻き込んで、人類をどうすることだってできそうな勢いだ。それは木星に到達することだったり、ピテカントロプスになることだったりするかもしれない。だが同時に、真の意味での賢人になれる可能性だってまだ残されているはずである。どうか本書を読んで、自分が学び信じているサイエンス教を今一度振り返ってみては如何だろうか。

 以上、一匹のサピエンスからでした。

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