洋墨が持つ恐ろしい力
『海と毒薬』を読んだ。
表題にもある通り、作中の文章には驚かされる部分が数多くあった。
婉曲的に書きたくなるようなシーンなどを、どこか冷たい比喩表現やストレートな五感に基づく表現を用いることで、無感情かつ色のない手術室の描写や当時の人物の心理描写が成されており、マイナスな感情が心を覆う感覚を久方ぶりに味わうことができた。
個人的には、寂しさや悍ましさなどのマイナスで痛々しい心理描写を表現するときは、当該人物の心に深く入り込み、その張り裂けそうな心の内を表すよりも、起こっていることの描写だけに徹して、まるで遠い地域の悲惨な事件を淡々と読み上げるニュース番組のような文章が好みである。
そのような文章はある種の冷たさを内包しており、作品に没入していくと、文字の輪郭が寒色系の色で縁取られたり、やたらと紙の白色が際立って、まるで文字が浮かんでいるかのような不思議な感覚や体験に襲われる。
この状態になっているときの読書体験が、読了感を越えて数年間にわたって記憶に残り続けたりする。
『海と毒薬』はまさしく、そのような気持ちにさせてくれた。内容の是非やテーマとなっている日本人の罪への意識や宗教観については、ここでは敢えて何も述べまい。吐きそうになりながら、JRの車内でページを捲った体験ができたことが何よりもうれしい。じわじわと心を蝕まれるような感覚はまさに毒薬だった。毒薬心には苦し、されどその感覚こそ心地よい。プラスかはマイナスかはそんなに大きな問題ではなく、湧きあがった感情そのものに価値がある。
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