建設機械発達の概要(スクレーパ)

1.スクレーパ

 終戦後、わが国で用いられたスクレーパは米軍払下げの関係から大部分はルトルノ社製の上部ケーブル式の8yd2(LS型)及び12yd(LP型)のもの(いわゆるキャリオール)で、昭和28~29年頃までは国産機も殆んど出現せずもっぱらこれらの機械が活躍しており、旧式ではあるがスクレーパ作業の効果を認識させ、スクレーパ使用に刺戦を与えたいことは明かであろう。当時までに国産品は小倉、金剛で上部ケーブル式の4m3、6m3のものが製作されていたが、あまり実用に供されていなかった。
 昭和28年防衛庁の発注により金剛製作所でオープントップ型のC-80型(6m2)が製作され、9月建設省土木研究所でキャタピラNo.70及びルトルノLSと性能の比較試験が行われている。同じ時期(昭和28年7月)に日本開発機でもオープントップ型のFA8型(6m)を設計製作した。その後この型はFA8S、FA8Kと改造され約100台生産された。昭和33年7月さらに改良を加えロウボウル型のFA8Lに発展しており容量も平積7m3と増加している。日開では容量932のFA12を昭和32年に試作しているが、需用がないためか未だ実用されていないようである。
 日開がキャタピラ社のスクレーパをモデルにして製作したのに対して、東急車輛製浩KKではルトルノ社のオープントップ型をモデルにした6m3、7m3、9m3のスクレーパを試作したことがあったが、最近では日開同様キャタピラ社製のものも作っている。昭和33年に相模工業では小松D120トラクタに見合うスクレーパとしてRS9(9m2)を製作したが、昭和34年1月にはさらに小松D80トラクタに見合うスクレーパとしてRS(6m2)を試作し完成した。

2.モータスクレーパ

 終戦後最初のモータースクレーパはやはり払下げのルトルノ社製のもので、いわゆるターナプルと呼ばれているものであった。昭和30年にユークリットのツインパワースクレーパが火力発電所の石炭処理用に輸入され、建設工事用としても、ユークリッド、キャタピラのものが数多く輸入されている。一方国産の方は、昭和30年三菱が通産省の鉱工業研究補助金を受けて容量4.5m2の四輪式トラクタのWTSスクレーパを試作した。四輪式スクレーパでは世界最初の全輪駆動のものであったが、容量に対して出力不足などの点からか、試作機が作られただけで終った。その後トラクタ部分のみを生かしこれに除雪装置をつけ北海道で除雪機械として活躍している例が多い。昭和32年9月三菱では防衛庁からの発注により同庁が輸入したウーリッジをモデルにし二輪式トラクタのMSスクレーパを試作したが、これも試作機だけで終っている。

クリップボード一時ファイル07

(↑)三菱 WST型モータスクレーパ

クリップボード一時ファイル08

(↑)三菱MSモータスクレーパ

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