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CHAPTER2: 震災の甚大な被害から、どのように復興したかを学ぶ、濃密な1日[東松島市オフサイト研修]

自然電力が主催する、環境問題をビジネスで解決できる地域プロデューサーを育てる実践型ビジネススクール&オーディション「GREEN BUSINESS PRODUCERS(GBP)」。この記事は、フィールドワーク先として訪れた宮城県東松島市でのオフサイト研修のレポートです。

「GREEN BUSINESS PRODUCERS(GBP)」は、気候変動というグローバルな問題をローカルに落とし込み、ビジネスの力で解決する”グローカルリーダー”を目指す約3ヶ月のプログラム。

フィールドワークを通じた実践的な学びも、多く用意されています。

いまも残る震災の爪痕と、未来の可能性を視察

CHAPTER1では、震災当時、復興政策班として、最前線で復興に向けたプランニング・調整・実行役を担っていたお二人からのインタビューをご紹介しました。

GBP受講生たちは、震災の爪痕を目の当たりにする場所の視察もしました。

いくつかご紹介していきたいと思います。


津波の爪痕を今に伝える、東松島市震災復興伝承館

震災前は、東北屈指のビーチスポットと呼ばれ、夏には多くの海水浴客で賑わった野蒜海岸。野蒜地区は、東松島市でも津波による甚大な被害を受けたエリアの1つです。今では、民家がポツリポツリと建ち、所々に空き地が広がる野蒜地区。

そこにひときわ目立つ白い2階建ての建物があります。JR東日本の旧野蒜駅駅舎です。この駅舎も3.7mの津波の被害を受けました。

地震当日、駅舎内やプラットフォームにいた乗客は、この駅舎の2階へ上り、建物が流されないことを祈り続けていたそうです。

鉄筋コンクリート造りが幸いし、旧駅舎が津波に流されることはなく、また駅舎が壁となってプラットフォームが流されることもありませんでした。

旧野蒜駅のプラットフォーム、今は役割を変え、津波による甚大な被害を未来へ伝えています
(ご案内は当施設の坂本さん)

現在、JR仙石線の野蒜駅は、より内陸そして高台へと移設され、旧駅舎は震災の記憶と教訓を後世に伝えるため、東松島震災復興伝承館へと役割を変えています。

館内には被災前後の写真や復旧・復興の状況を伺える写真や映像が展示されています。また駅舎の隣には、旧野蒜駅プラットフォームが震災遺構として残されています。

海岸から旧野蒜駅までは距離にして約900m。ゆがんだ線路や折れ曲がった柱から、津波の威力が想像できます。

伝承館の北側には、慰霊碑が設置され、震災で亡くなられた方のお名前が刻まれています。

この伝承館で、東松島市復興のキーマンのおひとり・東松島市役所復興政策課長の森祐樹さんに合流頂きました。

森さんは、震災後、復興支援で北海道庁からの派遣職員として赴任します。派遣の任期が切れる直前、「まだ自分にはやり残したことがある」と北海道庁を退職し、東松島市役所に転職されました。


東北屈指の人気ビーチ・野蒜海岸を安心できる海岸へ

森さんと共に、野蒜地区内にある、震災後に建設・整備された施設を見学しました。

道中、バスの車窓から見える景色。津波で建物が流され、更地が続いています。

ここに人の暮らしが戻ってくることはないかもしれませんが、ところどころに造成地もあり、観光、農業など未来の可能性が詰まっています。

まず訪れたのは野蒜海岸津波避難施設。野蒜海岸から200m程の場所にあった旧松島自然の家の跡地を活用し、10m超の盛り土の上に防災棟2棟が建てられています。

約13mの盛り土の上に立つ受講生。養殖いかだが見える松島湾を望む

この防災棟は、震災時、仮設施設としての活用を目的にBOSCH社から寄贈されたコンテナハウスを再利用。コンテナを鉄骨フレームで囲み、落ち着いた色の外壁や屋根を付けることで、松島の景観に溶け込むようデザインされています。

あくまで一次的な避難のための建物ですが、コンテナハウス内には水道もあります。10m超の高台にあるため野蒜エリアを一望できるほど眺望もいい。GBP受講生からも「平時は飲食店としても使えるのでは?」との声が出ていました。


“奇跡の湿地”洲崎湿地を、環境教育・観光拠点に

避難施設から見下ろせる場所に、”奇跡の湿地”と呼ばれる洲崎湿地があります。淡水と海水が混ざりあう汽水域の洲崎湿地は、生物多様性の宝庫。地元の方にとっても憩いの場所でした。

この湿地にも津波が押し寄せ、震災後は周辺はがれきの仮置き場として利用されるなど周辺環境は一変。東松島市の復興と歩調を合わせるように生態系も少しずつ回復し、今では、何百羽もの野鳥や水中生物も再び見られるようになりました。

淡水域に住む水中生物がどう戻ってきたのか?まさに奇跡の湿地です。

案内してくれた復興政策課長の森さんは、「東松島市は、この洲崎湿地や松島湾を始め、周辺の環境を活かした環境教育や自然観光の場にしたいと考えている。野鳥や水生生物の生態系、増えつつある外来種の調査を通じて、環境教育をできる場にしたい。そして、バードウォッチングを起点にした観光も考えている」と話してくれました。

約13mの盛り土の上から洲崎湿地を見下ろす

洲崎湿地の再生には、環境保護活動家のC.W.ニコルさんも生前関わっており、この湿地の可能性を高く評価していました。

また英国ロンドンのWETLANDを運営するWWTからもポテンシャルのあるいい場所だと高評価を得ています。

津波による被害で一度環境は変わってしまったものの、自然そのものの力で再生を遂げようとしている洲崎湿地は、ここ東松島にしかない場所ではないでしょうか。


新たに建設した完全木造校舎・宮野森小学校

震災後、住民の多くは高台移転をすることになりました。移転先は、野蒜海岸から直線距離で約1.5km内陸にある高台です。

山を切り崩し、新たに整備された野蒜ケ丘には、一戸建て用地270区画、災害公営住宅170戸とともに、小学校が新設されました。

宮野森小学校は、震災の被害を受けた野蒜小学校と宮戸小学校が統合されてできた新設の小学校。校舎、体育館はともに木造の小学校で、約5,000本の無垢材が使われています。木造にこだわったのは、「子供たちが安心して通える学校にしたい」「自然豊かな森と一体化する造りにしたい」という思いがありました。

木材の香りが心地よい、宮野森小学校の教室。廊下と教室の間に壁はなく、開放的です。

校舎内には、木材の香りが広がり、フローリングからは柔らかくあたたかな木のぬくもりが伝わってきます。窓も多く配置されたことで自然光を取り込むことができ、また教室から裏山の自然の四季の移り変わりを目で見ることができるようになっています。

校区外に住む子供を持つ親から「どうすれば入学できるか」と問合せが入ることもあるそうです。学校がその地域のランドマークとして、住民のよりどころになると同時に、若い世代も外から入り循環が生まれます。

地域における教育施設の充実は、町づくりにとって重要な要素だと実感しました。


移転団地の賑わいを作る野蒜ケ丘サスティナブルコモンズ

野蒜ケ丘の区画の一角に、移住定住の促進や地域の活性化を目指して整備された野蒜ケ丘サスティナブルコモンズがあります。

このエリアは、宅地整備の過程で被災者の移転が計画通りに進まず、空いた区画を活用し、仙台市の設計事務所と東松島市の工務店が、Joint Ventureを立ち上げ整備したエリアです。

戸建てが並ぶレジデンスエリア、惣菜カフェやジェラート店、そしてクラフトビールの醸造所兼店舗の並ぶテナントエリア、メゾネット形式の賃貸住宅エリアのアパートエリアで構成されています。JR仙石線 東名駅から徒歩5分圏内の駅近です。

右の建物がテナントエリア

テナントエリアにあるクラフトビールの醸造所兼店舗の「ビアベースカンパネラ」。店長の大谷直也さんは、以前は大手ビールメーカーに務め、震災後、東松島市の復興事業の1つである「希望の大麦プロジェクト」に携わっていましたが、その後、独立。

大谷さんは、「『希望の大麦』を地域の特産品として、農家の方が継続的に生計を立てられるようにしたい」と話してくれました。

この『希望の大麦』は、2013 年からアサヒグループと東松島みらいとし機構(HOPE)が共同して実施していた復興事業「希望の大麦プロジェクト」から生まれたビール用の大麦。津波により、東松島市内の田んぼは塩害被害を受けました。その土地で「二条大麦(ビール大麦)」を栽培し、地域の特産品にしようとうまれたプロジェクトです。

大谷さんの醸造所は、2023年4月頃より本格稼働される予定です。いつかは全国流通されることを期待していますが、今はここでしか飲むことが出来ないビールでもあります。

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トークセッションとあわせ、多くのことを見て聞いて学んだ日中。

夜は、市内のちゃんこの名店 萩乃井にて、美味しいちゃんこ鍋と東松島名産”のりうどん”をいただき、東松島の幸を堪能しました。

ご一緒下さった東松島市役所の職員さんや地域おこし協力隊の皆様との熱気あふれる意見交換。寒い東北の冬の夜は、心も体も温まる時間となりましたーー。

ちゃんこ萩乃井にて、東松島市のまちづくりの推進力となっている皆さんと

【CHAPTER3に続きます!】

【Green Business Producers第一期のマガジンはこちら】


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