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45. 親子留学3年→帰国に至った経緯など

前回の更新からだいぶあいてしまいました。。

2022年7月に帰国して早7カ月。カナダで過ごした日々が遠くなつかしく感じられる今日この頃・・・。やばい! この記憶力のないわたしのこと。もうどんどん忘れていってしまう!

というわけで本日は、帰国に至った経緯などをまとめようかなと思う。

まとめるも何も、当初から「3年」と一応決めていたわけですが、予定外の何かがあったら、もっといようとかそういう道もゼロではなかったわけで。その辺のことについて。

※写真は最近見つけた梅の花(@駒沢公園)です。日本の冬が4年ぶりなので梅の花見てうれしかった〜!そして花粉がひどい今日この頃

そもそも3年と決めたわけ

なぜ3年と当初から決めていたかというと。まず海外に住むなら最低2年くらいいないと英語も覚えられないよね、と思っていた(結果的に3年いても全然モノになってないのだが…南無阿弥陀)という前提があり、

そして3年で帰ってくれば長男がちょうど中1の夏なので、まぁ高校受験などにも間に合うよねと。それに夫は日本だから、家族が離れて暮らすのもまぁ3年くらいが限度かなと。

あと、カレッジはどうせ行くなら2年行きたいし、最初の年は英語力もなくて無理だから、1年英語力UP+カレッジ2年で3年かなと・・・(後述するPGWPもカレッジ2年行った方が長く申請できる)。

結果論的なところもあるけど、わたしの中で”3年一区切り”みたいな意識があったわけです。

※ちなみに公立カレッジに行くとカナダではPost-Graduation Work Permit(PGWP)というのを申請できて、そうすると、就職先の会社が決まっていなくても、カナダにいることができるのですよ。最長3年。すごい太っ腹です。だからカレッジに行き、このPGWPを申請して、なんとか就職先を自分で見つけて、その間に就労先のところでビザもサポートしてもらえるよう働き、、みたいなルートが、カナダで永住権をとる一つのパターンともなっているようです。というわけで、永住する可能性が完全に0ではなかったわけで、一応PGWPも申請できるといいよね、と思っていた。結果的にしなかったけど(ちなみにこの申請は一生に一度のみらしいです)。

そもそも永住する気はなかったのか?

これもそもそも論ですが。

わたし自身はやっぱり、日本が、東京が、好きで。そして長らくそこに住んできて、築いてきたものが多くあって。仕事とか、友だちとか、家とか、親とか、思い出とか、もろもろ。あぁ、もちろん食べ物も。温泉も。その他もろもろカルチャーも。それらに全部さようならして海外にずっと住みたいとは思わないんですよね。。(もちろんいろんなムカつくこと、嫌なことはあるわけだけど、やはりプラマイ、プラスになるのです、わたしの場合)

というわけで、今回の留学は、一度も海外に住んだことないから1回くらい住んでみたいなーっていうミーハーな気持ちで行ってるわけで、日本がやばいから脱出する道を探ろうとかそういう感じではなかったわけです。

いや、もしかして10歳若かったら違うこと考えたかもしれない、とは思うよ。10年前だったら、キャリアも方向転換しやすいし、家も買ってなかったし。15年前だったら子どもはおろか、結婚もしてなかったから、単身留学してそのままの流れで永住権目指したかもしれない。なーんて、ね。

たら・れば。

何歳になってもチャレンジできるとはいえ、やはり若いということはそれだけフットワークが軽いとは思う。それは間違いない。最近30代そこそこで夫婦2人でカナダに移住しまーすとかの明るいツイート見てると、あぁ若いってすばらしいってほんと思う。

だからと言ってわたしは自分の今まで築いてきたものを後悔しているか?と言われればそんなことはないし。たまたま、タイミングがあって、なんとか海外に3年だけど住むことができて、いろんなことを学ぶことができてよかったと思っている。

途中で気は変わらなかったのか?

だから、もし3年以上長く住むことがあるとすれば、それは子どもたちの両方、あるいはどちらかがカナダをとっても気に入って、ずっとここにいたいという感じになったとき、と思っていた。

と思っていたんだけど、結局子どもたちはどちらもずっとカナダがいいとはならなかった。はい、話、終了…。

行ってしばらくの間は、次男なんて毎週のように「ねぇ、日本いつ帰る?」って聞いてたくらい…。とはいえ、次男は徐々によく遊ぶ友だちもできてきて、帰る年にはあと1年くらいならいてもいいよ、などとは言うくらいにはなった(でも1年ね笑)。

でも長男の方はうーん、ずっと楽しめてる感じがしなかった。英語もけっこう苦労したこともあって、授業についていくのも大変だし、おそらくクラスメートとコミュニケーションをとるのも大変だったのではないかと思う。ただ、担任の先生に聞くとみんなとうまくやってるよー、みたいには言ってくれてほっとしたりしたけど。。

いや、本当のところ、長男は思いをあまり話してくれないので、何を考えていたのかは実はわからない。でも、辛いとか学校行きたくないとかは言わなくて。めっちゃ楽しいとも言わない。日本で楽しくやってたのに連れてきちゃってごめんね…と思ったりはした。

(とか言いつつ、日本の中学校についても楽しいとかつまらないとかあんまり言わなくて、これが彼のマイペースなやり方なのか?カナダでもそうだったのか?とますますわからなくなったりはした・・・)

もちろん、子どもたちはカナダが全然好きになれないというわけではなく、カナダの好きなところもある。例えば緑豊かなこと、動物がたくさんいること、フレンドリーで優しい人が多いこと、雪が降ってきれいなど。うちの子たちは寒さに強く、寒くてもうやだとかそういうことは全然言わなかったな。むしろ次男はトロントの気候がとってもあっていて、冬は家はあったかいし、夏は涼しくて快適で良いと言っていた。

次男は実際どっちでも上手くやっていけたんではないかなと思うだけど、わたしは長男がここで高校生とかになるのは想像ができなかった。例えば次男は日本のアニメもかなり見るけど、アメリカのアニメも見る。でも長男はそういうカルチャー的なものも全然北米文化に染まらず、日本のコンテンツばかり見てた。そういうのって溶け込めるかどうかに大きく関わるような気がする。

長男だけ4カ月早く帰国

そんなわけで、留学2年を過ぎた頃から、当初の通り3年で帰ろうと決めていました。子どもたちがもっといたいと思わないならば、それはもう3年間の特別な体験として、帰国後にそれをどういかすのかを考えれば良いと。

そしてさらには、長男だけ先に帰国させて中学校の入学式に間に合わせようということも決めた。元々は、夏まで3人とも丸3年いて、子ども2人は9月に編入すればいっかと思っていたんだけど、長男は中1。次男は小5。小5はまぁどうでもいいけど、中1は4月からいた方が、部活やら新しい友達やら、なじみやすいかなと。

あと、長男は向こうでグレード7だったから3月に抜けてしまっても特になんてことはなかったけど、次男は向こうでグレード5で、その小学校はグレード5が最高学年だったため、一応6月までいれば「卒業」みたいな感じになるので、途中で帰ってしまうのはもったいないかというのもあった。実際、わたしのカレッジも4月過ぎまであったから、家族3人がみんな3月中に帰るというのは現実的ではなかった。

というわけで、夫と長男が日本で、わたしと次男がカナダで、それぞれ暮らすという体験をすることになりました。

長男の春帰国を決めた前年の夏休みには、帰国した際に中学校に行って教頭先生に事情を話したり、制服屋さんに行って採寸してもらったりと準備をしました。

※ちなみにうちは中学受験は元々考えていなかった上に、子どもたちが勉強嫌いすぎて受験勉強をできる雰囲気が1ミリもなかったので地元中学一択でした。。友だちのお子さんで、駐在に伴って海外に住んでたけど、帰国枠で慶應SFC入ったとかサラッと聞いてたけど、すごいことだよね。それ留学前に聞いてて、やはり帰国子女は違うなーとか思ってたけど、元がめっちゃ頭いいか、かなり勉強してるか、どっちか、あるいは両方だよね。。普通に海外に住んでただけでそんなとこ入れないよ。うちはそんなん無理無理無理無理という感じでした。

ちなみに長男の帰国については、まだコロナ禍だったため一人で帰すのは無理と、夫が迎えにきて2人で帰国して行きました。

「心残りがない」とは言えない

以上がざっと帰国を決めた理由になります。
そしてここから一気に本格的に帰国モードになって準備を進めて行きます。

2019年8月に渡加して、2020年3月からパンデミックと、留学の3年間中2年半はコロナまみれだったので、思い残すことはない、とは正直いえません。

長かったオンライン授業(現地校)、入って数ヶ月で最後までオンライン授業だった日本語学校、消えた「気軽に家に誘ったり誘われたり…」、子どもたちがやめてしまった習い事、体験してみたかったカレッジの対面授業、そしておそらく泣きながらやったであろうインターンシップ、わたしが交流をはかるはずだった習い事(合気道)、行く気満々だったニューヨーク、いろんなものが失われて、本当になんと言ったらいいのか、誰のせいでもないんだけど、もう行き場を失った感情がやっぱりある。

でもそれでも、それでも、こういうのって運だし。3年も留学できただけですごいじゃないとも思う(いや、思うしかない)。

わたしはカナダに行く1年前に会社を辞めていて、その経験もとても大きくて。この4年間の間に、会社員じゃなくなった、カナダに住んでみた、パンデミックを経験した、これらが3つ相まって価値観がぐるぐるぐるぐる変わりまくりました。

価値観の変化についてはまた別途、忘れないうちにちゃんと書いておきたいな。

というわけで、どうにもまとまっておりませんが、本日は本帰国を決めるに至った経緯などをまとめてみました。

それでは、また♪

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