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読書感想「インド夜想曲」/アントニオ・タブッキ

「肉体のことです」僕がこたえた。
「鞄みたいなものではないでしょうか。われわれは自分で自分を運んでいるといった」

もう十年以上前のことになるが、インドに旅行に行ったことがある。
その記憶は、まるで昨日のことのように、すぐに自分の中から取り出すことが出来る。
飛行機から一歩降り立った時の、じんわりとしたインドの夜の熱気まで、鮮明に。

「インド夜想曲」は、失踪した友人を探す主人公がインド各地を旅する物語である。
主人公は行く先々で出会った人々と対話をして、不思議なメッセージを受け取る。

これは、旅行記であって旅行記ではない。読んだ人は、きっとそう思うだろう。
肉体と魂は一対のものなのか、肉体は自分から離れてしまった魂を追い求めるのか。
現実なのか夢想なのかよくわからない物語を読みながら、私はずっとインドに行った時のことを思い出していた。

道端のゴミ溜めの横にある、小さな祠のようなものに供えられた色鮮やかな花。
寝台列車の振動。
夜明けのガンジス川のほとりで飲んだ、ミント入りのチャイ。
露店で買ったザクロのずっしりとした重み。

そんなすべての思い出が、懐かしくて、もう一度あの空気を吸いたくて、なんだかたまらない気持ちになってしまった。


小学生の頃、アジア太平洋子ども会議という地元の取り組みに、ボランティアで参加したことがある。あまり記憶が定かじゃないけれど、来場者にアジア諸国の魅力を知ってもらうことと交流を目的としたイベントだったと思う。

私はインドブースの手伝いをしていて、そこには同じ日本人の女の子数人とインド人の女の子数人がいたのだけど、来場者の欧米人(おそらく)のおじさんが私を見てこう言った。
「君は日本人にはとても見えない。他の子の国籍はすぐにわかるけど、私には君はインド人にしか見えない」
その人は何度も首をひねりながら、君は日本人のはずないんだけどなあ、と繰り返していた。
もちろん、何言ってるんだろうこの人、いくら日焼けしているからと言って、私の顔立ちはインド人には見えないでしょ…と思いながら聞いていたけれど、妙に心に残る出来事だった。

「インド夜想曲」を読んで、その出来事を思い出し、もしかしておじさんが見ていたのは、私の「鞄」ではなくて「魂」だったりして…なんて考えた。
私の魂は夜になるとこの肉体を抜け出し、インドへと帰っているのかもしれない。
そんなオカルトじみた夢想をついしてしまうほどに、インドは魅力的な国であり、そして「インド夜想曲」はそんな魅力に取り憑かれた人の心をくすぐるのが実に上手い物語なのだと思う。

この先、何度も読み返しては、インドへの想いを募らせることになるに違いない。そんな気がしている。
















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