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ノーモア財布泥棒

 ドカタ沼に肩までどっぷりと浸かっていた20代前半、日々の平均睡眠時間は3時間程度。日勤、夜勤、深夜勤。隙間時間にするのはスキルアップの資格勉強やジムで筋トレでもなく、現場to現場への移動とコインランドリーで洗濯、マクドナルドや漫画喫茶での仮眠であった。寝ていても店員さんに注意されないマックやファミレス、安くて居心地の良い漫画喫茶の情報は自然と集まり脳内でデータベース化されていた。
疲労のあまり絶対に寝坊すると確信したときには、現場近くの駅前や公園のベンチで仮眠を取り、集合時間になったら起こしに来てねと仲間に事前連絡。こんな状態になるまで働き詰めだったが、別にお金に困っていたわけでもなく、ただ単に混沌に身を委ねていただけだった…

 現場には個性が出る。楽な現場、キツイ現場。やさしい人たちばかりの現場、犯罪者予備軍たちしかいない現場。まさに人生ゲーム、次に止まるマスは絶望の20連勤かもしれない。
そんなロシアンルーレット的な仕事を面白がっていた私だが、そんな私でも表情が曇る現場があった。足立区某所、そこは鬼たちが住む地獄の淵。金棒(バールのようなもの)でぶん殴られないように必死に動かないと現世には帰ってこられない。
営業マンから「あそこ行ってくれますか?足立の…」という声色はいつも申し訳なさそうだった。他のメンバーからNGが出されすぎた結果、足立の地獄に行ける人員は限られていた。一切NGを出さない私に回ってくるのも無理はない。行きます、と答えると「さっすが!今度お寿司奢るからね!」と何度言われたことか、そして奢られることはなかった。

 足立の現場は、ある特殊な設備を組み立てる会社で、そこの職人さんについて行って作業を手伝うことになる。早朝6時、集合場所の〇○〇駅で待っていると黒塗りのハイエースが目の前に止まる。

私「オザマス!よろしくお願いしゃっす!」

鬼『土禁だぞテメェ、そのまま乗ったら○すからな』

朝の挨拶でいきなりの○害予告、2月だってのに身体中がアチィぜ。前の席に座る二人は前夜にしこたま飲んだのであろう。まだ顔が火照った赤鬼と、顔面蒼白の青鬼が現場を引っ張る。
作業が開始すると鬼たちは信じられないようなスピードで部材を間配りしていき、それを我々が追いかける形でダンボールを開梱してビニールを破く。ちょっとでもモタつくようなことがあれば

鬼『おせーんだボケ!クソガキがよぉ!!』

これでビビったり、理不尽で嫌だなと思ったならばすぐにNGを出すだろう。その辺のネジがゆるゆるだった私は「スイマセンッ!!!」の1フレーズで全ての鬼ハラスメントを凌いでいた。私の先輩であるドカタゴリラの面々もこの時ばかりはオランウータンのように静かな優しさに満ち溢れる。優しさを共有しないと脳と体が破壊されるからだ。森の人にならなきゃやってられない現場が、そこにある。

お昼休憩になりホッと一息、かと思いきや鬼たちの武勇伝を聞かされることになる。韓国ノワールかな?と感じる血生臭い話をオカズに食べるコンビニ弁当は格別。ペットボトルのラベルに表記されている成分表を熟読してなんとか残りの休憩時間を潰し、午後に備えるため深呼吸で心頭滅却。

帰り間際、遠くの方で先輩ゴリラが赤鬼から怒鳴り散らされ、金棒(メガネレンチ)でヘルメットごと殴られていた。見て見ぬ振りは武士の情け、あえて声は掛けない。その晩、荒れた先輩ゴリラは夜の街で大暴れ。飲み屋の女性従業員に対し接客態度が気にくわないと蹴りを食らわし、止めに入った黒服にも全力ラリアットからの大外刈りでガラステーブルを破壊。プロレス以外でラリアットって本当に使うんですね。店内は騒然としている中、どっしりと鎮座するリーダーゴリラから「お前が一番年下だから」という理由で止めてこいとの指令を受け、私が後ろから羽交い締めのように抱きつくが肘打ちであえなくKOされてしまった。もちろん飲み屋は全員出禁。
翌日、酔いが覚め我に返ったしょんぼりゴリラから謝罪の電話があった。

 別日。長野から帰りの車中、その日初めて会った同僚Nさんという人のマシンガントークを半分眠りながら聞き流していた。Nさんは六本木の有名店で修行していた元料理人。今は俳優を目指すため、ドカタをしつつ演技の勉強をしているのだとか。仲間内では歌声を褒められ、音楽活動も並行して歌手デビューも視野に入れているという。
劇団に所属とか、具体的になにかしてるんですか?の私の問いに

Nさん『ドラマとアニメをよく見てるね。気に入ったのは2回見てる』

あの俳優は演技が棒だ、あの声優は実力がないのに主役に抜擢されるのは枕営業しているからだと口角に泡をためながら持論を展開。俺はビッグになると言い出したあたりから記憶はない。
Nさんの噂は先輩ゴリラたちからも流れてきた。皆口々にアイツはヤバいと警鐘を鳴らす。曰く、
・お客さんにタメ口。「室内の仕事って楽そうでいいね」とのたまう
・先輩に注意され不貞腐れて帰る。帰りの交通費を水増し請求
・突然の休み。理由は「ネトゲのイベントがあるから」
私の目の前でも現場監督に向かって「いつ帰っていいんスか?雨ダル…」とフランクに話しかけ、Nさんああいうのはマズイっすよと現場の隅で注意をすると「ハァ?お前に言われる筋合いねーよ」と詰め寄られてしまった。

いつかとんでもないことをやらかすと皆が思っていたある日、それは突然の連絡だった。

Nさんが足立の鬼の財布を盗んだって!

 会社上層部から連絡を受けた先輩ゴリラが作業中にも関わらず皆を集めての発言だった。とうとうやりやがった!という気持ちと、まさかよりにもよって足立の鬼かよ!というサプライズ。想像するだけで恐ろしい………やはりNさんは只者ではなかった。

どうやらお金に困り、魔が差して鬼の居ぬ間に盗ってしまったようだ。
社長をはじめ、常務や営業マン総出で謝罪をすることで鬼の怒りは収まり、大ごとにはしないと寛大であった。その後、鬼の現場に行くと「財布盗るなよ」というイジリがしつこく続いた。
Nさんは即刻クビ。田舎から弟さんが迎えにきて実家へと引き取られたそうだ。その際、Nさんが語っていたことが全て嘘だと判明した。

この時、そんなNさんと並ぶ爆弾が入社してくるとは誰も予想だにしていなかった………


劇終!

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