見出し画像

新宿駅東南口の喫煙所にて

 変な人に遭遇することはあるだろうか。私はよくある。

 あれはドカタを始めて2年目の夏の日。珍しく昼過ぎに現場が終わり、夜勤まで時間が空いてしまった。どうしたもんかと新宿で遅めの昼食を取っていると、仲の良い同僚から連絡が来た。今から一緒にかき氷屋に行かないか、とのことだった。まだ流行る前(?)の台湾かき氷のお店で、マンゴー味が悪魔的に美味いと弊社のドカタゴリラたちの間で話題だった。ハイソでお洒落なその店に一人で行くのは気が引けると思っていた矢先のことだったので、二つ返事で承諾。今は無き新宿駅東南口広場の喫煙所で落ち合おうということになった。

午後3時頃だろうか、太陽が強く照りつける時間帯で、溶けそうになりながら同僚を待っていた。当時はタバコを吸っていたので、手持ち無沙汰を解消するために火をつける。怠そうにタバコを吹かしていると、すいませーんと声をかけられた。

声の主は花柄のワンピースを着た女性だった。ツバの広い帽子にトンボの目のようなサングラス、手にはヴィトンのデカいキャリーバッグにゴスロリっぽい日傘という出で立ち。一瞬で苦手なタイプだと察知した。眩い太陽光に目をしかめながら、はい?と答えると

女性『火、貸してくださーい』

ああそういうことねと、ポケットからライターを差し出した。女性はキャリーバッグを傍らに置いて、肩に掛けた小さなショッキングピンクのポシェットから取り出した細いタバコに火を点ける。

『お仕事中ですか?』

愛想の良い声で話しかけてくる。こちらも穏やかに、夕方から仕事なんでちょっと早めに同僚と待ち合わせしてるんですよと返答する。すると私の着ていたトラディショナルドカタ作業着やリュックにぶら下げているヘルメットを舐めるように見ながら

『エーッ!もしかして肉体労働ぉ〜?』

やけに甘ったるい声になった。大変失礼だが、女性をよく見てみると首や指に刻まれたシワが目立つ。顔の方は大きなサングラスによってよくわからないが、当時20代前半の私より確実に年上だと感じた。まあそれは別にいい。だが、年上の女性の猫なで声を聞くと浮き足立つような気分になった。
ええ…まあ、と歯切れの悪い答えを苦笑いと共に誤魔化す。

『喉乾いてないッ!?』

唐突な質問だった。質問というより、お前喉乾いているよな?という強引な決め付けを感じた。女性は前のめりになりながらサングラスをズラし目をパチクリさせた。小柄なため自ずと上目遣いになっていたが、目が不気味に動く人形のように感じた。まじまじと見てみると、テッカテカな口紅と淡いピンクの花柄のワンピースが年相応の格好には見えない気がした。さらに香水の強烈な匂いが鼻を刺す。

『私の家すぐ近くなんだよねッ!タクシーで5分くらいの所!ビール冷えてるから来なよ!』

口を大きく開けて捲し立ててくる。異様にテンションが高い。これは新手の勧誘か何かかと思った。宗教、デート商法、美人局。どれをとっても怖い。グイグイ来る勢いが凄い怖い。その昔、秋葉原で法外な値段の絵画を売っていたお姉さん(エウリアン)は狂気のテンションだったと何かで読んだ。
いやーこれから仕事なんで、だいじょぶですと軽く怯えながら答えた。

『夕方からでしょ!?1時間くらいイイじゃん!職場まで送ってってあげるし!』

もし私が子供だったら確実に誘拐を疑うだろう。しかし当時の私は全身真っ黒に日焼けし、減量に失敗したボクサーかエヴァンゲリオン初号機みたいな体型のドカタだった。忙しさのあまり床屋にも行かず髪の毛は肩まで伸び放題、ヒゲ面にインテリヤクザのような細い銀縁メガネ。どちらが怪しいかと問われたら良い勝負、いや、僅差で負けそうだ。しかし周りの人たちは私達のことなど一切気にしていない。
いやいや〜、とか、待ち合わせしてますしね〜、などとのらりくらりテキトーに答えながら、この女性は一体なんなんだろうかと思いを巡らせていると

『わかった。………じゃあ2万でどう?

信じられないことが起きた。買われる!?という思いが駆け巡る。いやでも待てよ、万が一私の聞き間違いで逆に払えって言ってるのかも。単純に立ちんぼ的な値段交渉かもしれないぞと思っていると、女性は慣れた様子でこちらの出方を伺いながら

『家がヤだったら他でもいいよ。アナタの職場近くのホテルにする?タクシー代も出すし

買われる!!こいつぁマジだ。そんでフランクすぎる選択肢の提案。普段では体験できない異常事態に思わず笑ってしまった。勘弁してよオバさん、と喉まで出かかったが堪えた。こういう時は焦らずにどっしりと構え、余裕を見せて答えたらいいはず。瞬時に脳をフル回転させ、泣く子も黙る伝家の宝刀を抜くことにした。
すいません、彼女いるんでちょっと…困った顔するふりして絞り出した。
マトモな人ならこれが一番効くはず。答えはすぐだった。

『あっそ、じゃあね』

女性はプイッと顔を逸らし、吸っていた細いタバコを地面に投げ捨て颯爽と去って行った。下っ腹の丹田に意識を集中し、どっしりと構えていた緊張の糸がプツンと切れ、大きなため息が自然と漏れ出た。地面に転がる火の点いたままのタバコから流れる煙を見つめながら、なんと答えたら面白い展開になっただろうかと考え込んだ夏の日の午後だった。

後日談だが、とある週刊誌にその女性そっくりの人がゴシップネタとして撮られていた。詳しい内容は忘れてしまったが、何パターンか撮られた写真の中に、着ている服や帽子にキャリーバッグ、その全てが私が遭遇した女性と瓜二つのものがあった。ドカタが忙しすぎて全くと言っていいほどテレビを見ていなかった為よく知らないその女性芸能人(?)、すぐさまググって動画を見てみると声までそっくり。写真や映像が頼りなので完全に同一人物だ!とは言い切れない。がしかし、数年後にたまたま知り合った、芸能界とツテがあるという胡散くささMAXの人物にこの出来事を語ったところ、終始無言で話を聞いていた相手は最後に一言、本人だと思うと真顔で言った。それが本当か嘘か定かではないが、当たり前のように答える素振りに薄ら寒いものを感じた。彼女にはゴシップに負けず強く生きていて欲しいと願う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?